1ー⑤ 月の舞

 家の裏道を街から離れるように歩くとある森、さらにその森を東方向に坂を進むと、見晴らしの良い丘に到着する。この丘からはレンガ造りの赤茶の屋根が並ぶ帝都の街並みが見渡せる。


 この丘はいつだって静かだ。フリージアは一人で考えごとをしたい時にはよくこの場所を訪れる。静かで、街の喧騒けんそうからも離れたこの場所は冷静に物事を考えたり、感情と向き合うのに適している。


 既に半分が屋根の下に隠れてしまった太陽は、オレンジ色の幻想的な光を放ち、祝祭で賑わう街を照らしている。


 フリージアはお気に入りのこの場所で、太陽を見送り月を待つ。ここからは花火がきれいに見えそうだ。


 この場所で人を見たことはない。だからといって安心して良いわけではないが、フリージアはメガネを外した。まとめていた髪も解くと、栗色の髪は、瞬く間に金色へと変わり、夕焼けのオレンジをしっとり染み込ませて風になびく。メガネはポシェットにしまい、地面に置いた。


 フリージアは弧を描くように腕をしならせて頭上に高くあげるた。吹きぬける風を顔に受けた後、軽やかに右足を前に踏み出した。


 月の舞――


 誕生日には毎年家族の前でこの舞を披露していた。何百回何千回と踊り、息をするのと同じように体に染み込んだ舞は、一度踊り始めると勝手に体を運んでくれる。光魔法をまとわせて、周りに光の花を咲かせる。


 音楽もなく、華やかな衣装もない。久しぶりの今宵の舞はきっととても貧相なものだろう。それでも今日は踊りたかった。


 母である月の国の皇后は国一番の踊り子だったと聞いている。フリージアが三歳の頃に空へと帰ってしまったため、母の記憶はほとんど残っていないが、この月の舞を踊る姿はまぶたの裏に焼き付いている。母の額飾ひたいかざりにお父様が光の魔法をかけて、回るたびに光の花が咲いた。母のしなやかな孤影こえいは光に満ちて幻想的で美しかった。


 初めて踊りを披露した六歳の誕生日、父が涙をこらえているのがわかった。

 舞ながらフリージアは感情と向き合う。帝国で暮らし、この暮らしにも慣れ、自由を楽しみ、幸せすら感じるようになっていた。


 『本』を探す――


 フリージアは王女としての使命のともしびを新たに燃やした。


 アリアではない、自分はどこまでいっても、月の国のフリージアなのだ。


 今宵、この『月の舞』は決意の舞としよう。


 拍手をくれる人はいないけれど――


 太陽は役割を終え、辺りはすっかり闇に飲まれ、月の舞に拍手をするように月が現れた。


 最後のステップを踏み、闇に掲げた手を眺める。掲げた手には光の花、そしてその先に見える満月のなんと美しいことか。


 息が上がる。ほほに涙が伝う。


 今日はフリージアの誕生日であり、父を失った日でもあるのだ。


 体にあたる風の音に混じって、何かを感じる。これは、人の気配?

ハッとして、フリージアは舞のステップのまま、手も髪もを描くように振り返った。金色の髪は螺旋らせんを描き、光の花が追従する。


――誰?


 振返ったその場所にいたのは、ミルクティー色の髪の青年であった。ミルクティー色の髪が風に揺れている。その茶色の瞳は真っ直ぐにフリージアを捉えている。


「すみません。驚かせてしまいましたね……」


 数秒か数十秒か――続いた沈黙の後、青年は困惑交じりの声で言った。昼間に遭遇した青年。なんでまたこんなところにいるのだろう。さすがに今回は偶然とも思えない。


「私はルーカス・バーデンと申します。もしよろしければお名前をお伺いできませんでしょうか?」


 ルーカスは軽くお辞儀をした。まるで物語に出てくる王子様のような丁寧で気品に満ちた挨拶である。この国では貴族にしか名字はない。察してはいたが、やはり貴族なのだろう。


 フリージアは風になびく金色の髪に手を当てる。今、彼は昼間に出会ったアリアと今のフリージアを同一人物と認識しているのだろうか? 実はとうに正体は見抜かれていて、なにか探りを入れられている可能性はないか? いろいろ思考するが、考えたところで答えが出るわけでもない。


「お初にお目にかかりますバーデン様、ですが私は名乗るほどのものではございません」


 膝を少し曲げ、手を胸元に置いた。これは月の国式の公式な挨拶の手法だ。しまったと思ったが、既に手遅れだ。そもそも金色の髪を持つ人は帝国ではめったに見かけない。だから何をしたって怪しまれるのだからろうけれども。


「その瞳と……」


 ルーカスは何かを言おうとしていた、しかしその時、街の方向で大きな破裂音が響いた。

 音の方へと目を向けると、夜空には火でできた花が咲いていた。


「これが、花火……」


 帝都の夜景の上に咲く火の芸術は、お世辞ではなく本当に美しく永遠に見ていられそうだ。横へと目をやると、ルーカスも花火をぼんやりと見ている。

 フリージアは今がチャンスだと思った。その瞬間、闇魔法を使って瞬間移動を試みる。刹那、ルーカスがこちらをハッとした顔で見て、手を伸ばしたが、フリージアに届くよりも前に体は闇に消えた。




 ドスッという鈍い音とともに、背中からお尻にかけて痛みが走る。手には土の感覚があり、地面に叩きつけられたのだとわかる。フリージアは強く打ち付けてしまったお尻をさすりながら立ち上がり周囲を見渡す。花火のおかげで、音と共に周囲が明るく照らされる瞬間があるので、状況が見える。ここは木々に囲まれていて、おそらくは先ほどの丘の下に広がる森であろう。


 フリージアは闇魔法があまり得意ではない。アルベルトであれば、遠距離かつ意図する場所に正確に移動する事ができるが、フリージアはそうはいかない。距離はせいぜい三百メートル、降り立つ場所も選べないので、人気のないところへ移動できるかは賭けのようなものだった。だから、真にやむおえない場合以外は使ってはいけないと、お父様やお兄様にきつく言われてきた。


  ――しっかりと考えて行動してください


 昼間サイラスに言われた言葉がこんな時に頭をよぎる。


 魔法をまとわせて、丘の上で本来の姿で踊り、うっかり帝国貴族に見つかって、闇魔法でワープを試みました! などと言えば、数時間にわかって説教をされるだろう。


 しっかりと考えて……本当にその通りだとフリージアも思う。しかしあの状況ならこれが最善だったのではないだろうか。


 とりあえず、人気のないところに降りたてたのだから、賭けには勝ったようで安心した。フリージアはスカートについた落ち葉と土を払った。そして、花火の音がする方向を目指し歩き始めた。


 ルーカス・バーデン。お伽話とぎばなしの王子様のような人。心臓はまだ、とんでもない速さで鼓動をしている。


 空には満月と星と花火。花火というのは、素敵なものだなとフリージアは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る