1ー④ あの夜と『本』のこと
西通りから人通りの少ない路地へと入った。エリーに貰ったピンクと水色の綿菓子を食べて思わず頬が緩む。メガネに綿がつきそうで邪魔だ。最近は毎日メガネをかけているのに、メガネはなかなか馴染まない。
その時、急激に周囲が暗くなるのを感じた。同時に
闇の魔法の気配。
その気配を感じて、一気にホッとした。これは良く知っている気配だ。闇魔法の気配が最も強い一点を見つめていると、そこに徐々に人影が表れた。
現れたのはアルベルト……ではなく、兄の乳兄弟であり、宰相家の息子であるサイラスだった。
路地を通る人はまるでこちらが見えていないかのように横を素通りしていく。これも闇魔法の力だ。闇魔法はワープや隠し事、
「アルベルト様は感情さえも
路地裏に現れたサイラスは、久しぶりの再会にもかかわらず、挨拶をするでもなく、大量の嫌味と説教から始めた。
フリージアは手に持った綿菓子を、顔の位置から太ももの方に下げ、無意味だとわかっているがサイラスの視界に入らないようにならないかと試みる。しかしサイラスの目線は既に綿菓子を追っていた。
「これは、祝祭を楽しむ町娘を自然に演出するための小道具だから……ね?」
フリージアは一応伝えておいた。
「……。相変わらず、お元気そうでなによりです」
わざわざそんな呆れた感じを声に乗せなくても良いのに。
帝国では珍しい薄い黄色の髪を後ろで束ね、銀縁の眼鏡をかけたサイラスは、これっぽっちも以前と変わっていない。柔らかく中性的な見た目にもかかわらず、怖い表情と低めの声で、まるで相手に針を突き刺すようなするどい発言をする。
「お兄様はサイラスに頼んだのね」
会って早々に説教をされたので、不貞腐れたような声を織り交ぜて言う。
「今日は祝祭の日ですから、不審な動きを見せるのは得策ではありません。アルベルト様は一日中皇帝陛下と供にいますよ。という事でアルベルト様から預かった闇の
不機嫌な物言いだが、お兄様が良かったのにといった発言をしたフリージアにも原因がある。
「そうよね……。でも、サイラスに会えて嬉しいわ」
可愛らしさを載せて、こんな感じで言っておけばちょっとは機嫌がなおるだろう。それに半分は本心だから、嘘はついていない。
「それで、ご用件は?」
一瞬間をおいて、サイラスは何事もなかったかのように、淡々と本題に入ろうとする。王女への態度としてはいささか冷たすぎないだろうか。しかしフリージアは、なんだかんださっきの言葉が効果的であることを知っている。
「それで、月の国は今どうなっているの?」
フリージアとて全く何も知らない訳ではないが、兄たちが知る情報と自分の知る情報とを比べたかった。
「月の国は帝国の属国となり、王宮には帝国軍が進駐軍として滞在し、実行支配しています。アルベルト様が帝国へ渡り、皇帝に尽くすことで、月の国の民は一定の暮らしを保証されているのです」
アルベルト不在の月の国はサイラスの父である
「ねぇ……尽くすって、実際には何をしているの?」
「魔力を使った魔法道具の提供、政務の手伝いといったところでしょうか」
王族が持つ魔法を使えば魔道具を作ることができる。アルベルトは闇魔法が得意であるため、大量の物を持ち運ぶことができるカバン、暗闇で活動できる眼鏡、事前に決めた場所へ飛べるワープ石、話し声吸収装置などの道具を作れるはずだ。
「月の国の民は確かに一定の暮らしは保証されています。しかし実際には、高い税率をかけられ、その暮らしは楽とはいえないでしょう」
「月の国の税率を上げて、帝国の税率を下げる。また月の国の特産品を優先的に帝国に流通させている。それにより帝国民の現政権への支持率は異常なまでに高い……のよね?」
「えぇ。今の帝国の好景気は、すべて月の国の民の忍耐の上に成り立っているのです」
サイラスは早口で説明を続ける。
「今のところ月の国の民からは不満はあれども、反発はありません。それは国王亡き後、後継ぎであるアルベルト様がこの状況を放置しないと期待しているからです。しかし動きがないまま何年も過ぎれば、民の不満は爆発し、取り返しのつかないことにもなりえるでしょう。あの日から一年が経った今、行動しなくてはなりません」
サイラスはフリージアの目をじっと見た。
「今日のご用件はそのことなのでしょう?」
「えぇ……お兄様の事だから、きっと作戦があるのでしょう? 私は何をしたら良いのか、それが知りたいの」
何もする必要はないと言われたらどうしようかと思った。必要とされないのは悲しい。
「『本』を探していただきたいのです」
「『本』?」
「いにしえの女神との契約のお話はご存じですね。『本』とは女神と三人の従者との契約書です。契約書は三分割され、それぞれの国が『本』にして所有しているのです」
サイラスの説明によると、女神との契約書には、魔法の使い方や制限事項などが事細かに書かれているそうだ。しかし『本』は三分割。全容を把握するにはそれぞれの国が保有している三冊すべてを読む必要があるというのである。
「『本』に魔法と女神との契約のすべてが書かれていることは理解したのだけれど、だからと言って月の国を取り返すために『本』が必要な理由がわからないのだけど……」
「姫様が城を出られた後の事なのですが……」
サイラスは喉に言葉がつかえているようだ。この期に及んで伝えるかどうかを迷うことなどあるのか。いつも思うが、そもそも黙っておくならもっと完璧に隠しておいてほしい。
「あの夜、王宮の大広間に突然、帝国皇帝が現れたのです。陛下もアルベルト様も闇魔法で広間の守りを固めていましたから、相当厳重な守りだったはずです……ですが、帝国皇帝はその守りをまるで何でもないかのように突破して広間に入ってきたのです。陛下は魔法で戦おうとしました。しかし、帝国皇帝によって、いとも簡単に殺害されたのです」
「ちょっと待って? 殺害って何? お父様は魔法の戦力利用の代償により死んだのではないの」
「違います。実際には、帝国皇帝が殺したのです」
殺された? 想定外の事実にフリージアは顔から血の気が引いていく。どのみち魔力の戦力利用の代償により、命はなかったのかもしれない。しかし自ら覚悟を決めて死ぬのと、殺されるのでは訳が違う。
「『月の本』に書かれていた内容によると、本来女神の魔力は対等です。一対一で戦ってどちらかが殺されるなどありえないのです」
「でも、確かにお父様は皇帝が使った魔法で殺されたのよね?」
「えぇ。ですからその時、帝国皇帝が使っていた力は、女神に由来しない別の力なのではないかアルベルト様はそうおっしゃっていました」
「別の力って、いったい?」
「『月の本』には、黒魔法の存在についての記載があります」
「黒魔法……?」
背筋がひんやりとした。
「その昔、女神は従者と供に黒の魔王を封印したことは知られていますが、その魔王が使っていたのが黒魔法だったようです。『月の本』にはその力が人の道を外れた魔法とも書かれていました」
「人の道を外れた魔法……お兄様は皇帝が黒の魔王だと思っているの?」
「そういう訳ではありませんが、少なくとも使っていた力は黒魔法ではないかと考えているのです」
フリージアは、先ほど広場で感じた禍々しいオーラを思い出した。思い出しただけで気を失ってしまいそうなあの強大な力。あれが、黒魔法なのだろうか。
「『本』には黒魔法を封印する方法についての記載があるのですが、それは三冊の『本』に分割して記載すると書かれており、『月の本』には、黒魔法が存在するということと封印の方法が残りの『本』の何処に書かれているのかだけが記載されていました。我々は月の国の民を人質に取られ、皇帝の得体のしれない力による脅しを前に、何もできない状況なのです」
アルベルトが置かれている状況を想像すると、呑気に綿菓子を楽しんでいたことを反省したくなる。
「アルベルト様は『本』に書かれた黒魔法の封印を試すことで事態が打開できないかと考えています。そして、花の国とこの太陽帝国内にある『本』の調査をしています。しかし『太陽の本』を探すには我々は皇帝に近すぎます。姫様には、この太陽帝国内に存在するであろう『太陽の本』を探していただきたいのです」
「『太陽の本』……」
どこにあるのか全く見当もつかない。それは無作為に探して見つかるものなのだろうか。
「ちなみに……『月の本』はどこに保管してあったの?」
「王族の霊廟に」
「そうなのね……」
そういえば王族の
「『太陽の本』を探し出せばいいのね……」
「はい。しかし……」
サイラスは銀縁の眼鏡の縁に触れてかけ直す。
「『本』は見つけられても、それを開くことはできないかもしれません……」
「どういうこと」
「『月の本』は厳重に保管がされているだけでなく、本に『鍵』がかけられておりました」
フリージアには思い当たる『鍵』があった。今日ももちろん肌身離さず、首からぶら下げて、服の下に隠してある。そう、お父様から託された国宝の『鍵』である。
「えぇ、姫様がお持ちのはずです。鍵がないと『本』を開くことはできないのです」
国宝の『鍵』にそんな役割があったとは。そして『鍵』を私に託したということは、お父様はそれだけ私を信頼したということだ。
「とにかく、情報を集めてみるわ。そして『太陽の本』を開くには『太陽の鍵』も見つけ出さなくてはいけないという事ね」
できれば『本』と『鍵』が同じ場所に保管されている事を願いたい。しかし普通に考えればそんなことをするわけはないか。
今聞いた情報を必死に脳内で整理していると、目線を感じた。サイラスを見ると、めずらしく少し微笑んでいるように見えた。
「なっ何?」
「本当にお元気そうで何よりです」
ふふっとフリージアは自慢げに笑って見せた。片手に綿菓子を持っているので、どうにも締まらないが。
「しかし……姫様、魔力の制限があまりできていないのではないですか? アルベルト様が
少し微笑んでいるように見えたのは気のせいだったようだ。いつものお説教が始まった。帝国に暮らして最初は厳重に魔力を管理していたが、最近は気が緩んでいる事はわかっている。という事は今日合図を送るよりも前から、アルベルトはフリージアの魔法の気配を感じ取っていたということか。
「今この国の魔力保持者は皇帝ただ一人と言われていますが、どうか警戒は怠らないでください」
「お兄様ったら、私が帝国にいることがわかっていたのなら、もっと早く会いに来てくれればいいのに」
「アルベルト様は、もし姫様が今平穏に暮らしているのであれば巻き込まなくてもいいと考えたのではないでしょうか」
「それは、逆に悲しいわ。私は生まれた瞬間から王女で、この命は民のために使わないといけないと覚悟を持って生きてきたつもりだもの」
サイラスはやっぱり微笑んでいるようにみえた。
「今の言葉を民が聞いたら、どれほど希望になることか。しかし……そう思うのであればなおのこと、行動はしっかり考えてからにしてください。民の希望の灯を消すおつもりですか? あと……甘いものはほどほどに」
「――っつだから、これは町娘に溶け込むための小道具で。もう、ひどいわ!」
こういったやりとりは、昔に戻ったようで、今日だけは嫌な気はしなかった。
「あっ、姫様。アルベルト様からの伝言です」
「何?」
「お誕生日おめでとうございます」
サイラスは今日一番のやわらかい声で言った。
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