第一章 祝祭の日

1ー① 朝のひととき

 フリージアが洗濯物を干し終えて室内へ戻ると、エリーはコーヒーを淹れているところだった。テーブルにはオムレツやベーコン、サラダといった色とりどりの朝食が並ぶ。


「姫様、丁度できましたよ」

「ありがとうエリー」

「今日のパンは私がアイディアを出した新作なのですよ」


 そう言いながら、エリーは見るからに柔らかそうな白パンを食卓上のかごに入れた。


「柚子の皮を生地に練りこんでいるのです」


 嬉しそうに話すエリーを見て、ここでの暮らしがいかに馴染んできたかを実感する。


「柚子、大好きなのよね」

「知っています。だから柚子を提案したのです」


 エリーはエミリエという偽名を使い、太陽帝国帝都にある小さなパン屋で働いている。いつも余りもののパンを貰ってきてくれるので、食べ物に困る心配はない。



 月の国が太陽帝国のもとに下り、一年が経った。


 最初の頃は月の国内を転々としていたフリージアとエリーだったが、しばらく経った頃、帝国城下で暮らすことに決めた。

 身をひそめるのであれば人の多いところ、意外にも敵に近いところの方が見つかりにくいものだ。

 さらに、兄アルベルトは人質として帝国にいる。ならばフリージアとて、帝国に暮らし、接触の機会を伺いたい。


「姫様、今日は本当に予定通りになさるのですか?」


 エリーは今でも二人きりの時には、フリージアを姫様と呼ぶ。今は王女でもなく、侍女としての給金を払うこともできていないので、「姫様と呼ぶ必要はない」と一度伝えてみたが、「姫様とお呼びするのは月の国の民としての誇りと希望なのです」と返されて応じてはもらえなかった。


「今日はもちろん、予定通りよ」


 フリージアはパンを手でちぎり口にほおばりながら言った。口に広がる柚子のすっとした甘さと香りを堪能たんのうする。柚子はやはり大好物である。


「やっとお兄様に会えるチャンスだもの」


 あの夜からちょうど一年の今日、帝国は月の国併合を祝う、なんとも趣味の悪い祝祭を開催するらしい。正午に太陽広場で記念式典があると告知されており、そこには帝国皇帝はもちろんのこと、月の国の元王太子アルベルトも参列するともっぱらの噂だ。


「そもそも併合したことを記念した式典なのだから、お兄様を参列させてアピールしないわけがないわ。またとないチャンスでしょ」

「私は心配しているのですよ」

「大丈夫。いざとなったらすぐに逃げるから。お兄様には月の国の併合なんかじゃなくて、私の誕生日を祝って貰わないと!」


 冗談を言ったつもりだったが、エリーは笑うことなく不安そうな表情を向けている。


「絶対に無理をしないと約束して下さい」

「もちろん。大丈夫」


 エリーは了承はするけれど納得していないといった顔をした。


 太陽帝国では、昨年の月の国占領について人々は正義だと思っている。


 帝国では先帝を含めた皇族が惨殺されるという大事件が二十年前に発生した。先帝の弟である現皇帝は独自に調査を進め、ついに一年前に黒幕が月の国だとつき止めた。帝国の名誉をかけて、皇帝は復讐することを決め、あの夜月の国へと攻め込んだ。


 これがこの国で語られているストーリーである。


 この話をフリージアは信じていない。二十年前といえばまだフリージアは生まれていないが、お父様が帝国の皇帝一族を殺害する命を下したとは到底思えない。そもそもそんなことをしても月の国にメリットが見当たらないのだ。


「結局お休みが取れず、申し訳ございません」


 エリーの声が割り込んできたので、思考の世界から現実世界へと引き戻される。

 エリーが働くパン屋は今日の祝祭に出店を出すらしい。


「全然大丈夫だから。エリーのお店を見に行くわ。エリーのパン屋さんのお菓子おいしいから楽しみなの」

「昨日からたくさん祝祭用のお菓子を用意していますので、きっと楽しめると思いますよ。あっ姫様の好きな綿菓子もあります」

「それは楽しみ」

「でもお菓子ばかりの食べ過ぎはいけませんよ」

「あ……うん」


 城下を自由に歩いて食べ歩きをするなんて、月の国では護衛をつけてもなかなか許可してもらえなかった。

 光の幻影魔法げんえいまほうを覚えてすぐの頃、人形にフリージアを模した幻影を投影することでおとりにし、城を抜け出したことがあった。ちょうど街はお祭りの日で、街中にランタンが飾られ、射的やボール投げなどのミニゲームや、お菓子の出店が並んでいて夢の国のようでわくわくした。その時初めて綿菓子というものを食べた。口に入れると一瞬で消える儚ない甘さと、見た目の可愛さで虜になったことを覚えている。


 結局、護衛も付けずに城を抜け出したことで、こっぴどく怒られ、それ以降お忍びで城下に出ることもあまりなかったのだが、自由に出歩くことへの憧れはあった。


 正直に言うと、この自由な暮らしをフリージアはかなり満喫していた。


「そういえば、夜には花火が上がるそうですよ。私は遅くなりそうなので、一緒に見られず残念ですが……」


 祭の時にはランタンを空に浮かべて祝う月の国とは異なり、帝国では花火を打ち上げて祝うらしい。フリージアは花火というものを見たことがない。

 夜は花火を見に行くのも悪くない。


「せっかくの姫様の誕生日ですのに……」


 エリーは申し訳なさそうにしている。


「エリー、アリアの誕生日は今日ではないわ」

「それはそうなのですが……」


 エリーは最初はパン屋の仕事を休み、フリージアと一緒にいると言い張ったが、フリージアはそれを許可しなかった。誕生日のことを考えるとあの日を思い出してしまうし、エミリエとアリアになりきるならば、今日はエミリエはパン屋に出勤するのが自然だ。


「無事にアルベルト様にお会いできるでしょうか」


 エリーは心配そうに言う。

 今夜花火が上がる頃、いったいどんな成果を手に収めているだろうか。お兄様にはあの夜から一度も会っていない。フリージアが帝都で働いていることも、そもそも生きている事さえもきっと知らないだろう。

 朝食を食べ終えると、仕事へ行くエリーを見送った。人の気配がなくなった部屋は必要以上に広く感じ、その広さを埋めるように不安が押し寄せてくる。


「私もそろそろ準備をしないと……」


 フリージアは白いフリルのついたブラウスに、茶色のスカートを履き、長い髪は三つ編みにしてから後部でまとめた。そして仕上げにメガネをかけた。瞬間、フリージアの金色の髪と紺色の瞳は栗色へとみるみる変化した。


 メガネには光の触媒石しょくばいせきを埋め込んでいる。フリージアが触媒石にほんの少し光魔法をかけると、光の反射で髪と瞳の色を変えられるよう細工している。道具を使わずに髪や瞳の色を変化させることもできるが、魔力消費量が多く疲れるだけでなく、魔力を感知されてしまうリスクが高いので、この魔道具まどうぐを使っている。


 魔力を感知できるのは魔力保持者だけである。帝国の魔力保持者は皇族惨殺事件こうぞくざんさつじけんや昨年の月の国との戦いにより、今や皇帝一人だけだといわれているが、念には念を入れた方が良い。


 フリージアは全身鏡をのぞき込んだ。丸いメガネに、こげ茶色の髪と瞳、いかにも町娘風といった服。金髪に紺の瞳のフリージアはいない。顔は一切変えていないのに雰囲気で人はずいぶん変わるものだと感心する。


「きっとうまくいく。大丈夫」


 鏡の中のに声をかけた。言葉は自分を強くする。

家の外に出ると、気持ちの良い風が体にあたった。雲ひとつない空は晴れ渡り、柔らかい太陽の光が射しこむ。


 あの日から一年。今日の空は本当に美しい。

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