序章ー③
広間には日付が変わった事を知らせる鐘の音が重たく響いた。たった今フリージアは十八歳になった。
広間は明日デビュタントを迎える子息令嬢を祝福するために光のランタンなど華美な装飾が施されているが、もう意味をなすことはないそれらは、悲しげに映る。しかし、たとえ成人の証であるデビュタントがなくなろうと、フリージアはたった今成人となった。
フリージアは
息をすることすらためらわれるほどに誰もが口をつぐんでいる広間に、遠くから徐々に近づいてくる重たい足音と、
アルベルトとサイラスは顔を見合わせて立ち上がり、足音のする後方扉に体を向け、剣を抜いた。広間には緊張が走る。数秒後、扉は大きな音を立てて開いた。
「皆無事か?」
入ってきたのは父である国王だった。
いつものお父様の外見はしているが、その紺色の瞳は見たことがないほど見開いて、
不安そうにしている様子が伝わったのか、フリージアの横を通る時、お父様はその大きく暖かい手をフリージアの頭に置いた。お父様の顔を見上げると子供をあやすようになやさしい笑みを向けられたので、緊張が解けていく気がしたが、それはほんの一瞬のことで、お父様はまたすぐに元の厳しい表情に戻り、フリージアから離れると広間前方の玉座に勢いよく腰掛けた。フリージアも背筋を伸ばし、次に放たれるお父様の言葉を待った。
「国家間の魔力戦争は勝敗がつかないとされてきた。しかし我々は圧倒的に不利であり、これ以上はもちそうもない。アルベルト、そなたがやるべきことは、わかっているな」
お父様はやるべき事が何なのかは話さなかった。きっと普段から有事に備えてアルベルトと話をしていたのだろう。フリージアは疎外感ともいえる寂しさを覚えた。この国の成人は十八歳。たった今十八歳になったフリージアも、もう守られるだけの存在ではないはずである。
「お父様……」
自分の存在を主張しようとしたが、それを遮るようにお父様が言う。
「フリージアそなたは今すぐ城を出ろ」
フリージアは唖然とするしかなかった。
「そなたはまだデビュタントを迎えておらず、顔を知っているものはごくわずかである。今なら無事逃げおおせるであろう」
お父様の言葉の意図がわからない。フリージアはいつ何時も民のためを最優先に考え、王族としての責務を果たさなければならないと考えてきた。つまり、この状況でいの一番に逃げるというのは選択肢としてありえない。そもそもそういう考え方をするようにと教えたのはお父様であるはずなのに、それなのに、逃げろというのか。
「お父様、私は、私は足手まといという事でしょうか」
お父様は驚いたような表情をした後、少しだけやわらかい表情をしてからゆっくりと言葉を続けた。
「そなたにはこの国の王女としての責任を果たしてもらいたいがために、今城を出てもらいたいと思っている」
お父様はまっすぐにフリージアの目を見ている。
「よいか、帝国の目的はわからない。奴らは火と土の国。火を用いて武器を作るのを得意としている。しかし今回は武器ではなく魔力を戦いに使ってきた。代償の話はもう聞いたのか?」
アルベルトはゆっくりうなずく。
「そうか。つまり、代償を支払ってでも奴らは月の国を手に入れたい、潰したいと思ったということだ。この後我々が降伏し、これ以上の同胞の犠牲を防いだとして、その後はいったいどうなる? 奴らが我が月の国とその民に何をする気か、私には見当もつかない。もしも帝国の一部としてこの月の国を奴らが平和に導いてくれるのであればそれもよかろう。しかしそうでないのであれば、月の国の王族として、この国を取り返さなくてはならない――」
真っ直ぐにフリージアを見つめる紺の瞳には有無を言わせぬ威圧感と威厳が
「私は代償は
魔法を使えるのは、いにしえの女神と契約を結んだ従者の血を引くもの。つまりは三国の王族や皇族だけである。原理はわかっていないが、血が薄くなれば魔力保持者は生まれず、各国それぞれ十人を超えて魔力保持者が同時に存在したことはない。
国王と三将軍が魔力を戦いに使った今、月の国がいにしえの女神から継承する光と闇の魔力保持者はアルベルトとフリージアだけということになる。
「つまり、私まで人質となれば、お兄様が殺される可能性があるということでしょうか」
「その可能性もあるな。
もちろんそれを避けるために城を出るという意味合い確かにある。しかしそれだけではない。フリージア。そなたの顔を知るものはごくわずかであるからこそ、それは強力な武器になる。
つまり、うまく逃げることができれば、自由に動ける重要な駒となりえる」
お父様はまっすぐフリージアを見つめた。
「アルベルトを助けてくれるか」
視界が意志とは裏腹にぼやけてきてお父様の表情はよく見えない。ただお父様は国王として、王女であるフリージアと話をしているのだ。であれば、月の国の王女として、答えは決まっている。
フリージアは片膝を床につき、右腕を曲げ、胸に当てて頭を少し下げた。
「陛下、王女フリージアは、王族として、この月の国の民を守るため、陛下と王太子殿下の命を受け賜わります」
頭を下げたとき、間違っても頬に雫が
国王は立ち上がり、フリージアに近づくと、首に何か重量感のあるものをかけた。
「それは国宝である。帝国に渡してはならない。フリージア。我らを代表して持っていてくれ」
フリージアは頭を上げた。重みを感じる胸元に目をやると、手のひらほどの大きさの『鍵』が細い鎖を伴って首からかかっていた。
フリージアはこの『鍵』を知っている。いにしえの契約の証、そして国宝として代々王家に受け継がれてきたものである。国を象徴する月と烏、そして紺と黄の宝石があしらわれたその『鍵』はずっしりと重く、まるで任せられた責任の重さのように感じた。
「かしこまりました」
視界はぼやけているが、まだ涙は流さない。
「フリージア、もう行きなさい。一刻を争う」
情を含んだ優しい声が聞こえる。これは国王としてではなく、お父様の声だ。
「お父様――」
もう行かなければならない。だけど最後に何か伝えたい。こんな時、最後に選ぶ言葉は何がいいのか、全く思いつかない。こんな日が来るなんて思ってもみなかったし、考えたこともなかった。
「お父様、大好き」
フリージアはそう言ってお父様に抱き着いた。大人扱いされたいと散々言っておいて、それがなんとも幼稚な言葉と行動であることは知っている。しかし最後に伝えたい一言は口から勝手に飛び出し、体も勝手に動いたのだ。お父様はフリージアの背中に手を置いた。アルベルトも近寄ってフリージアの頭の上に手を置いた。お父様の腕の中は安心する。ここにいれば間違いがない、大丈夫だと守られている感覚。
「フリージア、誕生日おめでとう。フリージアは美しく、優しい子に育ってくれた。自慢の娘だ」
お父様の声が耳元で響く。ああ、嫌だ。ずっとこの時間が終わらなければいいのに。この温もりにずっと包まれていたい。
しかしお父様は背中を優しく二回叩き、この時の終わりを促した。覚悟を決めて離れると、自分の頬が濡れていることに気がついた。泣いているなんて子供みたい。涙で濡れた頬を見られぬよう、すぐにお父様に背中を向けた。大丈夫、まだ涙はコントロールができている。
広場後方の扉付近に、大きなリュックを背負い支度をして戻ってきたエリーと目が合った。フリージアはエリーのいる広間後方扉へと走った。振り返りたい。振り返ってもう一度お父様の腕の中に飛び込みたい。そんな感情が
エリーと合流し、広間を出た。もう振返っても、お父様もお兄様も見えない。
廊下を抜け、そして王宮の裏口も抜けて、そのまま城が遠目に見える山まで、力の限り走った。
やっと振り返って炎に包まれる王宮を見た時、やっと感情の糸が切れて、フリージアは声を上げて泣き崩れた。エリーもフリージアの肩に手を当て泣いていた。
ふと頭に手をやると、月の髪飾りが手に当たった。お父様から誕生日プレゼントとしていただいたものだ。
月の形をした金細工の髪飾りは、花や星の透かし細工に黄と紺の宝石があしらわれ、繊細かつ主張しすぎない華やかさのある見事な品である。
公務で忙しいはずのお父様がわざわざ時間を作って、この贈り物をしてくれたときのことが思い出される。
お父様は片膝をつき「大好きだった姫の誕生日であり、デビュタントという人生で一番の晴れ舞台のために、どうか贈り物をすることをお許し下さい」と言った。
それは大好きだった絵本の最終ページ、王子様が妖精のお姫様にプロポーズするシーンを再現しているのだということはすぐにわかった。お父様の国王たる威厳により放たれる堂々としたオーラと、頬を赤らめ照れくさそうにしているアンバランスさが可笑しくて――
たった半日前のことだ。たった――
代償の話が本当なら、お父様は――
フリージアは髪飾りを外すと、手で握りしめた。
月の国は満月のその夜、太陽帝国の配下に降った。王子アルベルトは太陽帝国の人質として帝国へと連行された。
次の更新予定
月と太陽のアリア〜亡国の王女は敵国で恋を知る〜 くま木茉希 @9maki_kuma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。月と太陽のアリア〜亡国の王女は敵国で恋を知る〜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます