1ー② 皇帝のスピーチ

 帝都の中央にある宮殿、その正門前に位置する太陽広場は、皇帝の登場を今か今かと待つ群衆で溢れかえっていた。どうやら皇帝は赤煉瓦造あかれんがづくりの正門の上に現れて、群衆に向けてスピーチをするらしい。


 フリージアは広場中央前方にある、初代皇帝レオ像の後ろに陣取った。馬に乗った猛々しい男性の像は、起伏が激しく、おかげで体の前に隙間ができて、人混みの中でも身動きが取りやすい。


 それにしてもすごい人の多さである。


『月の国には悪いけどさ、結局月の国を配下にした事で俺らの暮らしは楽になったわけだし……』

『悪いって言っても奴らは我が帝国の皇族を何人も殺したんだぜ』

『嫌な事は全部月の国、いや、今や月の地方か? に任せとけば……』


 人込みに混じれば、嫌な声も聞こえてくる。皇帝は月の国を併合する事で民衆の理解と支持を得たようだ。


『今日は月の国の王太子も来るんだろ、どんな恐ろしい顔してるのか……そういえば王女は行方不明だったか?』

『もっと俺らの税率を下げろってんだよ……税金は月の国の奴らからとれば十分だろう』


 誰もまさかここに月の国の王女がいるなんて思いもしていないだろう。月の国の民が帝国の支配の元、厳しい暮らしを強いられていることは噂で知っている。そんな中、帝国での暮らしに慣れて、快適さすら覚えている自分は本当にダメだとも思う。


 正門の上にトランペットを持った騎士が現れた。いよいよ皇帝のお出ましか。


 ファンファーレが流れ、歓声とともに正門上に燃えるような赤髪の、大柄な男が現れた。名乗らなくても、放つ威厳と存在感だけでそれが太陽帝国皇帝だということがすぐにわかる。


 そして数秒遅れて、傍らに現れたのは、黒い服に身を包んだアルベルトだった。


 一年越しに見るアルベルトは外見的には何も変わっていない。しかし異国の地で今、いったい何を思っているのだろう。皇帝が白地に赤紋様の衣装を身にまとっている一方で、アルベルトはマントも含め全て黒を選んだのは、喪に服すというせめてもの抵抗なのだろうか。相変わらずのくねった長い前髪は表情を隠していて心情を測ることはできない。


 フリージアがここへ来たのは、アルベルトに合図を送るためである。ほんのわずかでも光の魔法をアルベルトへ届ければ、アルベルトはその気配からフリージアの存在に気付くことだろう。その結果、アルベルトの方からこちらへコンタクトしてきてもらう。これがフリージアの作戦だ。


 他力本願な作戦のように聞こえるかもしれないけれど、勝算はある。アルベルトは昔から闇魔法が得意だった。


 闇魔法には任意の場所に移動することができる、いわゆるワープ魔法がある。昔、城を抜け出したフリージアを捕まえたのも、闇魔法でワープしてきたアルベルトだった。フリージアが光魔法で居場所を伝え続ければ、こちらへコンタクトすることは、アルベルトにとって造作のないことのはずだ。さらに無防備に魔法の気配を垂れ流しておけば危険極まりないので、きっとすぐに接触を図ってくれるはずである。


「皆よくぞ集まってくれた」


 皇帝は話を始めた。拡声器を通して、低く圧のある声は大歓声の中でもはっきりと聞こえた。


「我が帝国は悪に屈する事はない。

 月の国の為した悪事は許しがたき事ではあるが、彼らが悔い改め我が帝国とともに歩むこととなり、早一年の月日が流れた。ここに両国の友好と我が国の更なる発展を願い、今日の良き日を存分に楽しむがよい」


 どっしりとした声で話終えると、皇帝は右手を高く上げ、手から黒炎のようなものを出した。

 その時、この世のおぞましいもの全て凝縮させたような冷たくて熱い何かが、全身を這い回るような感覚がした。


 いったい、これは……?


 その感覚はじわじわと体に浸食してきて、体の動きや思考、視界の色が奪われていく。言葉では到底言い表すことができない程に恐ろしい。いまだかつて感じた事のないその感覚に、立っていることもままならなくなり、フリージアは皇帝レオ像の馬の脚にしがみついた。


 苦しい――


 どれくらいの秒数がたったのかはわからないが、目の前の景色に色が戻ってきた時には、皇帝は聴衆に向けて手を振っていた。あの黒炎は既に消えている。


 皇帝が民衆に見せた黒炎は、太陽帝国の火の魔法だったのだろうか? それにしてはおかしいのだ。なぜなら魔力の気配を感じなかったからだ。フリージアは月の国の光と闇魔法以外に触れたことはない。しかし、お父様はたとえ違う国の魔法であっても気配はわかると言っていた。


 距離が遠すぎたせいなのか、皇帝が使った魔法からは女神の魔法の気配が全くしなかった。代わりにあの禍々しい感覚。フリージアは違和感を覚えたが、その違和感を解消するだけの情報は持ち合わせていない。


 民衆は皇帝に向けて手を振ったり旗を振ったりしている。あの禍々まがまがしさを感じたのはどうやらフリージアだけのようだ。


 フリージアは冷静になろうと大きく息を吸った。ここへ来た目的、アルベルトに合図を送らなければならない。それには正門上にアルベルトが立っている今が最大のチャンスである。


 フリージアは肩に下げたポシェットからコンパクト型の手鏡を取り出す。そして皇帝レオ像と自身の体の間にできた隙間を使い、鏡に向けて光の魔力を放った。普通の人では視覚できないくらいの淡い光だ。光は鏡に反射して線となる。その光の線を鏡の角度でうまく調節し、アルベルトの方へと向けていく。距離があるせいで、ほんの数ミリ動かしただけでも、軌道は大きく動く。いくら淡い光とはいえ、関係のない人を照らしてしまうことは避けたい。 


 慎重に――

 あと数メートル――


 微かに手元が揺れる、緊張で震える手が腹立たしい。


 あと少し……。


 見えるか見えないかの淡い光はアルベルトの方へと少しずつ近づき、ついに頬のあたりを照らした。一瞬、驚いたようにピクッとした動きを見せたので、おそらく魔力を含んだ光に気がついたのだろう。


 フリージアは鏡に送っていた光魔法を止めた。

 広場では楽団による国歌の演奏と国旗の掲揚けいようがなされている。

あとは人に紛れ込み、自然にこの場を離れるだけである。フリージアはそのまま祝典が終わるのを待った。


 祝典が終わると、人々は一気に任意の方向へと流れ出した。フリージアも体の向きを変え、広場の端へと向かう。この人混みをやっと抜けられると思った時、うっかり何かに躓いてしまった。


「ひぁっ――」


 転ぶ! と思い衝撃に備えたが、体に伝わったのは腕で抱えられる感触だった。


「大丈夫でしょうか?」


 細くても筋肉質な腕、耳に届いた声から推察するに、ぶつかったのは男性だろう。

 フリージアの肩を支えている腕はとても高級そうな青い生地をまとっている。ジャケットの袖口には金糸の刺繍ししゅうと鳥の紋様が入った金のカフスボタンが見え、とうてい庶民の服とは思えない。


 フリージアは回された腕を手で押しのけると、「失礼しました」と言い、軽く会釈をして、その人の顔さえ見ることなく逃げるように離れた。


 逃げる必要などなかったのかもしれないが、アルベルトに接触をしようとした直後だ。

 皇帝に近い帝国の貴族や騎士に今は関わりたくない。

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