第9話

 150年の奇跡から既に1年が経過していた。

 その間、俺は自然写真家としても活躍していた。


 俺が撮った150年の奇跡は、国内外問わず、あらゆる賞を総なめにし、俺の代表作ともなった。


 全てはアイツのお陰だ。


 150年の奇跡は、空と地上一面の彩雲だった。

 彩雲を見た者には幸運が訪れるという。


 自然風景写真家として成功した俺には、彩雲は確に効果があったといえる。


 でもーー、


 ーーもうアイツはいない。

 

 俺の心にはぽっかりと穴が空いたままだ。

 写真家として忙しくしていれば、少しは埋められると思った。


 ようやく落ち着いた頃、俺はやっとアイツの遺品を整理することにした。

 アトリエは、二人で住んだマンションの一室。


 ずっとドアを開ける勇気がなかった。

 俺の中では、まだアイツの死を受け入れられなかったからだ。


 もし時間を戻せるなら、戻したい。


 ドアノブに手を掛けた。

 涙が溢れそうになる。


 静かにドアを回して開ける。

 絵の具の匂いが、部屋に充満している気がした。


 この部屋の主であるアイツは、一度か二度くらいしか戻って来れなかった。

 描きかけの絵がイーゼルに立てかけてある。


 箱の中には、何枚のもキャンバスが収められている。

 一枚、一枚がアイツが存在した証。


 その箱の中に、丁寧に布で包まれたキャンバスを見つけた。

 これは誰かに届ける予定だった作品だろうか。


 確かめようと、布を解いていく。


 現れたのは、高校時代、俺をモデルにしただった。

 キュビスムの俺。


 ふと、この絵を見たあの時の感想を思い出す。

『モデルは、俺じゃなくてもよかったんじゃないか』


 いや、俺じゃなくちゃ駄目なのは、今ならよく分かる。

 アイツはどんな気持ちで、この絵を描いていたのだろう。


 時折感じたアイツの眼差し。

 情熱を秘めた琥珀の瞳を向けられていたことを、今なら実感できる。


 絵と一緒にアイツがよく持ち歩いていたスケッチブックを見つけた。

 最初のページには、『お金に困ったら、賞を取ったこの絵を売って欲しい』と書いてあった。


「売れるわけないだろ、馬鹿野郎」


 何気なくスケッチブックを捲る。

 思わず口に手を当てた。嗚咽がこぼれ落ちないように。


 スケッチブックには、いろんな俺が描かれてあった。

 キュビスムではない俺だった。


 カメラを覗く俺。

 料理をする俺。

 アイツが見た、いろんな俺だ。

 

 最後のページには、一面の彩雲と飛んでいる大量の鳥が描かれていた。

 それはあの時、150年の奇跡で俺が見た風景とほぼ同じだった。


 アイツはすでに見ていたのかもしれない。


 ページを捲ると、絵の裏にはこう書かれてあった。






『最愛の克陽かつあき


      君へ捧げる空


            さいより』






 俺はスケッチブックを抱きしめた。

 アイツの温もりを感じられるように、そっと抱きしめた。







 <了>

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150年の奇跡 - 君へ捧げる空 月柳ふう @M0m0_Nk

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