第3話
思えば、幼稚園の頃から、友達を作るのが下手だった。
絵本を読むのが好きで、ぶつぶつと独り言を言いながら、空想の世界に耽るのが常だった。子どもながらに気を遣って、「水風船で遊ぼ」「鬼ごっこしよ」と誘ってくる子たちに、返事すらせずに、ひとり遊びに没頭していた。
私の性格、友人付き合いは、今もなお変わりない。
驚いたり、心が動かされることがあれば、我慢しきれずに、つい口をついて出てしまう声。
それでいて、話しかけられると無数の選択肢の先の反応を考えてしまい、結局何も言うことができなくなる。
いじめまではいかないけれど、些細なものがどこかへ行ってしまうことが多いのは、そういうことだ。ゴミ箱に捨てられたりとかはないが、探している私を見て、陰で笑っている誰かの存在を、いつも感じている。
アリスはずれている私のことを、面白いと言った。求めているとも言った。
彼女の発した「ヘミオラ」という言葉を、帰って調べてみた。
【三拍子の曲の途中で二小節をまとめてそれを三つの拍に分け、大きな三拍子としてとらえる】
インターネットの辞書は、パッと調べられて便利だが、残念ながら音楽用語ということしかわからなかった。
次に動画投稿サイトを検索する。
ピアノの先生が解説をしている動画がヒットした。女の人の笑顔が感じよかった。短い動画によって、ようやく私は、「ヘミオラ」がどんなものなのかを理解した。
アリスがピアノで、理科室の机の天板を叩いて奏でていた、途中でゆっくりなテンポに聞こえてくるリズムが、まさしくヘミオラだったのだ。
ヘミオラのウサギ。
ずれたテンポ、不可思議なリズムで生きている私を、そう名づけた。
手の中の金バッジを見つめる。
アリスがくれた魔法。金メッキに違いないだろうけれど、私にとっては純金に等しい重さで、手のひらに転がっている。
「補助バッグにつけとけって、言ってたっけ」
学校指定の補助バッグは布製なので、簡単に装着することができた。
そして次の日、紺色の地味なバッグに、金バッジがピカピカしているのを何度も確認して、登校した。
今日は家庭科があるから、裁縫セットを突っ込んであるバッグを、「よっこいしょ」と、机の上に置く。
「えっ」
すると前の席に座っていた女子が、朝の挨拶もせずに驚きの声を上げた。
「うん?」
彼女の声を皮切りに、周りのクラスメイトが私に、正確には私の鞄についた「A」の形をしたピンバッジに注目する。
「宇佐見さん、それ、どこで手に入れたの?」
クラスの中でもひときわ目立つギャルっぽい子に話しかけられて、私は首を傾げる。
「とある先輩がくれたんだけど……」
本物の金でもあるまいし、何をそんなにざわついているんだろう。
「なんで?」「どうして宇佐見さんなの?」
その日は物がなくなったりすることもなく、掃除もひとりじゃなくて、斑のみんなと一緒にやった。
仲良くやれたと言えればよかったが、ちらちら視線を感じて、居心地が悪い。
清掃後のチェックもクリアして、友達同士連れ立って教室を出て行くのだが、私を誘ってくれる子はいない。それなのに、こっちを見てひそひそ話しているのだ。
クラスメイトの妙な反応はすべて、この金バッジのせい。もっと言えば、これを寄越したアリスが原因に違いない。
私は学校中を歩き回った。音楽室は真っ先に行ったんだけど、いない。理科室からも、甘い匂いはしてこない。
彼女の姿を見かけたのが特別教室だけだったので、三年生の教室は後回しだった。この時間なら、ほとんどの生徒は帰宅したか、部活に行ったかのどちらかだ。
三年B組の教室。行儀悪く、教卓の上に座っていた。開け放した窓からの風を気持ちよさそうに浴びていて、私は一瞬、話しかけることを忘れた。
人の気配に敏感なアリスは、こちらを見た。透き通るような、彼女の目。
「ウサギちゃん。どうしたの?」
「……どうしたもこうしたも」
三年生の教室だというのに、「失礼します」もなしに乗り込んで、私は補助バッグを突きつけた。
「このバッジつけて来たら、クラスメイトがいつもよりよそよそしいんですけど」
「でも、持ち物はなくならなかっただろ?」
確かにそうなんだけど、そうじゃない。
「あの……これ、本当になんなんですか? 魔法って?」
アリスは教卓から、ぴょん、と跳ね下りた。 私の鞄のバッジを指でなぞり弾き、それから頭の上で結んだ髪の毛をすくい上げた。
こうやって近くで並んでみると、彼女は背が高い。
そこそこの角度をもって見上げれば、高い鼻に尖り気味の顎、堀の深い、やや男性的な顔立ちだと思う。
きれいな顔にぽーっと見惚れていると、彼女は王子様のように恭しく、すくった私の髪に、あろうことか口づけた。
「ぎゃ!」
同性とはいえ、少女漫画のワンシーンを再現されて悲鳴を上げる。ツインテールを取り戻してぎゅっと握り、十歩くらい飛び跳ねた。
まさしく脱兎のごとく逃げた私に、アリスは「ウサギちゃんだなぁ、ほんと」と、笑った。
「そのバッジはね、僕のお気に入りの証」
「お気に入り……?」
「そう。が気に入った子だけ入れる、僕の同好会のメンバーの証なんだ」
アリス主宰の同好会は、名前もない。活動内容もない。彼女の気の赴くままに、その時々で好きなことをする。直近の活動を、本人すら思い出せずに首を傾げている。
当然そんなサークルが認められるわけはないから、学校非公認だ。
お姫様がわがままを言い、自分のお守りを探し集めたというわけで、私にはちょっと、いや、大いに荷が重い。
「そんな、困ります」
「またまた……本当は、僕のことが好きでしょう?」
じっと見つめられると、息が詰まる。顔は、まぁ……好きかもしれない。
「僕は君の、自然に生きているのにずれているそのリズム感が好きなんだよ。一緒にいると、何かが生まれるような気がする」
「アリス先輩……」
と、うっかり丸め込まれそうになるけれど、いやいや、別に褒めてないのでは? ということに気づく。
「明日、他のメンバーにも紹介するね。今日は一緒に帰ろうよ」
他のメンバー、一応いるんだな。指折り数えるアリスの様子では、あと三人はいるらしい。
深い溜息をついて、仕方がないと後をついていくと、たまたま廊下を歩いていた先生に声をかけられた。三年B組の担任の先生である。
「有住。お前、ちゃんと制服着ろよ」
有住と呼ばれた彼女の全身を見上げる。校則通りのスカートの長さ、スカーフもちゃんと結んでいる。
それより「有住」って、どこかで聞いたことがあるような気が。
アリスは可愛らしく小首を傾げると、
「やだなあ、先生。ちゃんと着てるじゃないですか」
と、悪びれもせずに言う。
先生は眉をつり上げた。
「お前は! 女子じゃないだろうが!」
先生の剣幕もどこ吹く風の先輩と、びっくり顔の私。恐る恐る横を見ると、彼女……いや、彼はにっこりと美しく笑った。
「放課後だけですよ。授業中はちゃんと学ラン着てるんですから、このくらい許してくださいよ。せーんせ」
ほら、似合ってるでしょ?
美少女にしか見えないアリスの上目遣いに、先生も黙ってしまった。
ああ、そうだ。クラスメイトが何か言っていたっけ。
学校で一番カッコいい先輩が、有住って名前だった。
みんなは「A」のピンバッジが彼のお気に入りだということを知っていたから、驚いたし、私を遠巻きにしていたのだ。
学校イチのイケメン。でもその実、学校イチの奇人。
じとっと睨み上げていると、アリスは何を思ったのか、私の目を見つめ返した。
「これから楽しみだねえ、ウサギちゃん」
とんでもない人に目をつけられてしまった。
けれど、私の胸は嫌な感じに鼓動が跳ねたりはしていない。
むしろ、このドキドキは。
自分の内に芽生えた不可思議な感情を、私は溜息ひとつで抑え込む。
「別に、楽しみなんてありません!」
ぼやきつつも、これからもアリスを探して校舎中を歩き回るのだろうと容易に想像できてしまう自分自身に、呆れ半分、楽しみ半分であった。
ヘミオラのウサギ 葉咲透織 @hazaki_iroha
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