第2話
「でさぁ、
「わかるぅ。好きになっちゃう~」
「え? じゃあライバルじゃん。ウケル」
頬杖をついて、何とはなしに近隣の女子グループの話を聞いていた。顔を向けていたわけではないのに、どうしてかひとりの子が私が耳を傾けていることに気づき、「
「え?」
「カッコいいな~、って思う男の子とか、いるの?」
ここは果たして、どう応えるのが正解なんだろう。
いないと言えば、そこで話が終わってしまう。せっかく話しかけてくれたのに、話題を膨らませることができず、失礼にあたるかもしれない。
いると言えば、名前を聞かれるだろうけれど、他人の顔なんて基本的にどうでもいい。
ああ、でもあの音楽室の女子生徒は、きれいな顔をしていたな。私のことを面白い子扱いしたけれど、あっちの方がよっぽど変な人だった。
思い返して、うっかり笑いかけた私は、すでに言葉を返して会話のキャッチボールをしなければいけない、という気持ちを失っていた。それは向こうも同じで、再び他愛のない話を、私抜きで再開している。
まぁ、いいか。私に相手を楽しませる技術はない。
それよりも、思い出したらあの人に会いたくなってしまった。
二年生と三年生は、なぜかあんまり仲がよくない。教室前で観察したところで、不愉快な目を向けられることは、想像に難くない。
「よし」
気合いを入れるときは、思わず声が出てしまう。たまたま会話が途切れた瞬間のことで、隣の席から、ぎょっとした視線を感じた。
教室に行けないなら、行かなければいいだけの話だ。
私はその日から、休み時間になる度に、トイレに行った。最寄りのではなく、三年生の教室に一番近いところだ。
出入り口付近で待機して、彼女が通らないか、目を皿にして探す。一日じゅう学校にいて、トイレに行かないということは、考えづらい。
「……いない」
三日続けても、彼女はトイレにやってこなかった。さすがに毎日同じ場所にいるものだから、「あの子なんなの?」と、うさんくさそうな視線をぶつけられた。たぶん、明日はきっと、詰め寄られてしまうだろう。
並行して、出会いの場所である音楽室にも行った。でも、鍵がかかっていたり、開いていても中では吹奏楽部が合奏していたりで、彼女は不在だった。
音楽室以外も、秘密基地にしているんだろうか。あの人なら、それくらいやりそうだ。
一回会ったきりだけど、なんとなく、そんな気がする。
だから、放課後はあちこちの特別教室をさまようことにした。
そしてようやく再会を果たしたのは、初対面から二週間後、理科室だった。
半月もあれば、季節も変わる。春の名残の桜は、青々と葉を生い茂らせていて、もうあと少しすれば、梅雨空に悩まされる時期が到来するだろう。
彼女の存在を知らしめたのは、姿かたちではなく、目に見えない匂いだった。
理科室前の廊下には、漏れ出た独特な薬品臭さが漂っているのが常だ。しかし甘ったるく、どこか懐かしい匂いを感じたところで、ピンと来た。
ノックすら忘れて、扉を開ける。案の定、彼女がいた。
「おや。こないだのウサギちゃんじゃないか」
ウサギ?
ああ、頭の上で二つに結んだ髪型を、ウサギの耳に見立てているのか。
「何してるんですか?」
「何って」
大きいお玉の中で、しゅんしゅんと音を立てる、茶色っぽい液体。甘い匂いの正体は、どうやらこれらしい。
真剣な顔で見つめる先は、温度計だった。見極めて、ガスバーナーの火から外す。答えを聞きたいのだけれど、「声をかけてくれるな」と、背中で語られてしまっては、躊躇する。
白い薬品をさらさらと投入、そして一気に掻き混ぜると、
「わっ」
むくむくふわふわぽこぽこと膨らんでいく。不思議な形のそれを、彼女は取り外した。
「あちちっ」
できたてを、彼女はためらいなく口にした。
食べ物だったのか、これ。
まじまじと目を見開いて凝視していると、「知らないの? カルメ焼き」と、分け与えられる。
ただただ、甘い。縁日のわたあめの味がする。
ところで、なんでわざわざ理科室なんだろう。百歩譲って、家庭科室ならわかるけれど。お玉はまさかの家から持参したのだろうか。
「カルメ焼きといえば、理科実験じゃないか。家庭科室や家でなんて、やってられるものか」
彼女の主張はさっぱり理解できなかったが、本気で言っていることだけはわかった。
「変な人」
呟きは本人の耳にも届く。
「まぁ僕は確かに、自他ともに認める奇人変人ではあるが」
あ、認めちゃうんだ。
確かに、イマドキ中学生にもなって一人称が「僕」なんて痛いオタクでしかない。彼女の場合は、ショートヘアも相まって、納得のいく力を持っているけれど。
「でも、君だって変な子だろう?」
「私が?」
理科室でひとり、カルメ焼きを作って頬張っている先輩に比べたら、クラスで多少浮いている私なんて、可愛いものだ。
不満を抱いたことを鋭く察知した彼女は、視線を私の足下へと向ける。
「だって、裸足でこんなところまで来るなんて、よっぽど変わった子じゃないと、そんなことしないよ」
言われて、私は靴下のままであることを思い出した。
今日の最後の授業は、体育だった。外で活動を終えて玄関に戻ってきたら、靴箱に上靴がなかった。
まぁ、今日の授業は終わったしな……そう諦めて、スリッパもなしに歩き回っていた。上靴探しと彼女の居場所を探すのを兼ねて、ふらふらしていたのだ。
指摘されると、途端に恥ずかしくなる。右足を左足の上に重ねても、隠せるわけはない。
もじもじし始めた私に、彼女は「本当に君は、面白い子だ」と微笑みを浮かべた。
「ねぇ。魔法をかけてあげようか?」
「魔法?」
さすがに、魔法が実在するとは信じていない。
それでも、神出鬼没の放課後にしか会えない少女の口にする「魔法」は、信じたくなってしまう魅力があった。
こうやっていろんな物がなくなってしまうという不運――本当は、私のことを気に入らない誰かさんの仕業だってことを、知っている――を、慰めてくれそうな気がしたのだ。
彼女は指で、例のリズムを刻み始めた。
最初は一定に。
タン、タン、タン。
それからリズムを変えて。
ターン、ターン、ターン。
テンポが半減する。元に戻る。繰り返す拍に、耳を奪われる。
「君はちょっとだけ、人とずれているところがある。でもそれこそ、僕の求めているものさ」
ねぇ? ヘミオラのウサギちゃん?
彼女は私の手のひらに、小さな何かを落とした。指先でつまんでみれば、それはアルファベットの「A」をかたどった金のピンバッジ。
「これ、補助バッグにでもつけておきなよ。何か聞かれたら、『アリスにもらった』って言えばいい」
「アリス?」
「それが僕の名前だ。ほら、そろそろ靴も、下駄箱に戻っているんじゃないかな? またね、ウサギちゃん」
軽く握った手の中の重さは、実際にはたいしたことがないのに、なぜかずっしりと感じる。冷たい金属が手のひらの温度になじみ、じんわりと熱を帯びていく。
私は教室に戻り、アリスの言葉通り、生徒玄関へと向かった。
そして彼女の予知は、正しかったことを知るのだった。
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