第6話 エピローグ

 あのフィールドワークから三日が経った。


 教室の扉を開ければ、彼がいつかの日のように教卓の上で手を動かしている。

 またかと思いながら教室に入って扉を閉めた樹に、麻生は言葉を投げかけた。


「あんな目に遭って、まだ私の講義を受けにくるなんて物好きだよな」


「そうですか?」


 樹の言葉に、麻生は心底呆れたかのようにため息を吐く。

 彼だって裏の学問である自分の講義を受けにくる生徒がいることは、やぶさかじゃないだろうに。


「まあ、たしかにあの程度のことで日和る精神性はしてないだろうな、君は」


 確信したような言葉だった。


「と、言いますと」


 その問いかけに、麻生は「天狗だよ」と作業する手を止めることなく答えた。


「君はかつて天狗に攫われ、連れて行かれた先で修行をしたんだろ? あのとき君が披露したのは天狗の体術だ」


 しっかりと言い当てた麻生の言葉に樹は目を細めた。


 その通り。樹はかつて、天狗に攫われて数年間、行方不明だった。


 脳裏に小学生の頃の思い出が鮮明に蘇る。班行動をしていたときのこと。

 突如吹いた突風に攫われ、気がつけば自分は空を飛んでいた。

 赤く長い鼻の面をつけた何者かは樹を山奥に連れていき、「見所がある」と言って自らの持つ術のうち、天狗の身のこなしを自分に叩き込んできた。


「さすがですね。彼らの中に知り合いでもいるんですか?」


「お生憎だが、天狗とは会ったことない。ただ、君の同類と会ったことはある」


 麻生の言葉に、荷物を置く樹の手が僅かに止まる。


「そうですか。少し、興味がありますね」


 具体的には彼にどういう感情を抱いているのか、とか。

 もしライバルが増えようものなら一回、その相手とはしっかりと話し合う必要があるかもしれない。もちろん場合によっては拳を出すことも辞さない。


 樹がそんなことを考えているとはつゆ知らず、麻生は言葉を続けた。


「だけど、君のそれは私が見たものよりさらに上級。天狗とほぼ同等に思えた。かつて見た技はまだ人間がなんとかできるレベルにあった」


「お目が高いですね」


 樹の茶化したような言葉に、麻生は目を細めながら星の形に折り上げた黄色い折り紙を、黒板に貼り付ける。


「天狗の語源は中国にあると言われている。元々は凶事を伝える流星のことを、天の狗と呼んだことが始まりだそうな」


 手にしたチョークで折り紙の星に尾を描くと、その上に今度は少しへたくそな犬の絵を描いていく。かわいい。

 邪な感情を察知されないように、彼が振り返ると同時に顔を引き締めた。

 麻生はそんな樹に僅かに目を瞬かせるが、まあいいかと一人頷く。


「そう考えると、天狗は流星の化身という一面も持っているのかもしれないな。あの時、君はまさしく流星だった」


「ありがとうございます。ところで……」


 惚れ惚れしたかのような視線に少しばかり照れくさくなって、樹はニヤける顔を抑えつけながら話題を変えることにする。


「教授」


 樹がガシッとチョークを持つ手を取る。男のように節くれだっていない、しかし女性のように細すぎるわけでもない手のひらは、嫌なくらいに冷たかった。


「あなたがもし捕まったとしても、俺があなたを想う気持ちに変わりはないので」


 そんな樹の言葉に、麻生は目をパチクリさせると訝しげな視線を向ける。


「いきなりなんだ」


 怪しいという感情を多分に含んだ問いに、樹は静かに答えた。


「いや、だって、持ってたじゃないですか。銃を」


 その言葉を聞いた麻生は目を丸くして、少し考えたあと肩を落とす。


「……あれはただのオモチャだよ」


「え?」


 今度は樹が驚きを浮かべる番だった。


「あれもまた魔法の道具だ」


「そう、なん、ですか?」


 いまだに信じられずにいる教え子に、麻生は懐から取り出した拳銃を押し付ける。おそるおそる受け取ってみると確かに軽い。これはプラスチックの塊だ。


「……たしかに。じゃあ、あれは」


 樹の脳内で森の中に響く銃声が再生される。困惑する樹に麻生はクッと笑みを溢した。


「言っただろう。見立ては魔法の基礎だって」


「魔法使いじゃなかったのでは?」


「魔法が使えないなら、道具を使えばいい。そういうことさ」


 三日前と同じセリフで、うまく煙に巻かれた気がする。

 少しムッとして追求しようか悩む。が、樹はそれ以上踏み込むことを止めた。


 今はまだ聞くべきではないのだろう。きっと、今後もまた彼のフィールドワークに付き合う時があるのだから、そこで少しずつ知っていくのがいい。忍耐の強さには自信がある。


 そんな樹の企みを知ってか知らずか、さて、と麻生が教卓に手をついた。


「それじゃあ、講義を始めようか」


「おや、珍しくまともに講義するんですか?」


 教え子のぽろりと溢れた言葉に、麻生は拗ねたように唇を尖らせる。


「受けたくないなら良い」


「受けます」


 樹がノートと筆記用具を手にして、教卓の目の前の席に座った。麻生の拗ねた顔はもう少しだけ見たかったが、真面目に教鞭を取ってくれる麻生もこれまた珍しいのだ。


 麻生は唯一の教え子の真面目な――ある意味で欲望に塗れた――態度を見て、僅かに口元を緩めた。

 白衣を翻して、チョークを黒板に滑らせる。


「それじゃあ、始めよう。麻生教授の魔法考古学を、な」

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麻生教授の魔法考古学 Ayane @musica0992

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