第5話 半端者

 背後から迫る冷たい空気に樹は本能的に振り返る。


 何もいない。


 それに僅かにホッと息を吐いて麻生の方を向いた瞬間、見えた白い着物に呼吸が止まりそうになる。


 鳥居の前に、幼い少女が俯きながら立っていた。


 先程まで誰もいなかったのに。どこかに隠れていた? 違う。それなら草木を踏みしめる音の一つや二つしてもいいはず。何が起こるか周囲に注意を払う中で、それに気づかなかったとは考えにくい。


 それにこの山の中、白い着物に傷だらけの素足の子どもなんて明らかに普通じゃない。


「教授」


「……君は何者だ」


「わた、し……?」


 麻生の問いかけにギギギギと、古びたブリキのおもちゃか何かを思わせる動きで少女が顔を上げる。頭の重さを支えきれなかったのか、ガクンと首が横に傾いた。


 瞳孔を開きながらこちらを見つめている様が、長い髪の間から見えた。


「わた、し、わたし、わた、わ、わわワワわタたたしししシシし死死死死死死死」


「君は退がっていろ!」


 麻生の張り上げる声とともに、少女の背後の祠が激しい音とともに開く。

 そこから血の気の引いた真っ白な腕が、無数に伸びて麻生を狙った。


「教授!!」


 焦る樹とは対照的に、麻生はどこまでも冷静だった。白衣の内側に手を突っ込み、何かを引き抜く。

 引き抜かれた何かを麻生は真っ直ぐ、自身に一番近い腕へ向けた。


点火せよイグニス


 が引かれる。

 花火が上がったときのような大きな音。


 彼が手にする自動拳銃から放たれた弾丸が、麻生を今にも掴もうとする腕を後続諸共、撃ち抜いた。まるで紐が解けるように崩れる腕たちを気にも留めず、麻生は反対側からやって来る腕にも弾丸を撃ち込む。


「君は逃げろ。守りながらじゃ戦えない」


 銃声を響かせながら白衣で隠していたらしい腰のマガジンを取り出して、麻生が告げる。


 樹はその言葉を受け止めきれずにいた。

 あなたを置いていけるわけないだろうとか、銃刀法違反だとか、そもそも物理攻撃が効くのかとか、いろいろな感情と思考がこんがらがり、体をその場に縛り付ける。


 ただ、一つだけわかること。

 彼一人でこの量を捌き切るのは


 麻生もそれはわかっているのか、押し寄せる腕の隙間を縫って少女に銃口を向けた。

 しかし放たれた弾丸は、横から濁流のように押し寄せた腕によって、少女に届くその前に弾かれる。


 舌打ちをする麻生を飲み込もうと、すかさず腕の群れが津波のように地面を飲み込む。

 横へ跳躍してそれを避けると同時に、白衣からもう一丁の拳銃を取り出した麻生は引き金を引こうとして――


「がはっ!?」


 細い体がくの字に折れて吹き飛ぶ。鞭のようにしなった長い一本の腕が麻生の腹部を思い切り打ち据えたのだ。


「教授!」


 少女の姿をしたナニカの腕が麻生を飲み込もうとする。


 奪われる。


 その事実を認識した瞬間、樹は鞄を投げ捨てていた。ほぼ同時にキィィンという甲高い音とともに衝撃波が発生し、麻生の眼前で腕の津波が霧散する。


 勝ちを確信していた少女は、突如襲いかかってきた想定外に、前髪の向こう側で濁った瞳を大きく見開いた。


 麻生も同じだった。翡翠の瞳を大きく見開いて呆然として少女と蠢く白い腕を


 当たり前だろう。

 気づけば彼は樹に抱きかかえられながら、音もなく木の太い枝の上に移動していたのだから。


 信じられないものを見る目で自分を見上げてくる麻生に樹は苦笑する。


「なぜだ……君は人間のはずだ。私のグラムサイトは少なくとも」


 困惑する麻生に珍しいものを見たと思いながら、樹は答えた。


「ぐらむさいとが何かは知りませんが、俺は確かに人間ですよ。ただ、小学校の修学旅行でちょっとした人攫いに遭ってそこで」


「人攫い……?」


「ところで、あれは本体を倒せばいいんですか? ガード硬そうですけど」


「……切り替えが早くて助かるよ」


 半ば呆れたようにため息を吐く麻生は真っ直ぐに少女へ視線を向けた。

 警戒しているのか、相手は蠢く腕に守られながらこちらを恨めしそうに睨みつけている。


「あれは神なんかじゃない。そういう見立てで場が成立してるから存在できている猿真似以下のナニカだ」


「と言いますと?」


「この場そのものを叩き潰せばいい」


 樹の言葉に麻生はキッパリと言い切った。


「場を構成するのは藁人形祈りと祠と鳥居。しかし、ここまで大量の藁人形祈りを破壊するのは今の状況じゃ難しい」


「となると、鳥居と祠ですね」


「できるのか?」


「崩れかけていますから、おそらく」


 樹が頷く。麻生は特に驚いた様子もなく、当然のように微笑んだ。

 ここまでのやり取りで、すでに彼は自分が何者なのか見当がついているらしい。


「なら、隙は私が作る。どうやら向こうは私が美味しそうで仕方ないらしい」


「それはそれで嫌なんですが」


「文句言うな。学生は教授に従うものだろうが」


「横暴ですね!」


 樹は口元に笑みを浮かべて、別の木へ飛び移る。

 先ほどまで自分たちがいた枝が白い腕に飲み込まれるのを横目に、地面に麻生を降ろした。


「ほら、生贄が欲しいんだろ!」


 不確定要素を追おうとした少女の視線が麻生の言葉に反応する。吸い寄せられるように彼の方を向いて、目と目が合った。


「『私をろ』!!」


 麻生の瞳、その虹彩が金色に輝き少女と腕たちの動きがピタリと止まる。


「樹!!」


 麻生の声を聞いて、木から木へと飛び移りながら速度を上げていた樹が光になった。


 青い流星が乱れ飛び、鳥居に何度か当たったかと思うと、朽ちて限界を迎えていたそれは無惨に崩落する。


 少女が自分の領域の界住処の扉を破壊されたことで怒りを浮かべる前に、流星が弧を描きながらトドメとばかりに降り注いで祠を粉砕した。


 地面が大きく揺れ、祠から鉄錆と生肉が腐ったかのような臭いが混ざり合った空気が溢れ出す。

 それを切り裂いて地面を滑りながら、勢いを殺した樹は顔を上げた。


 同時に、冷え切った空気を震わせる断末魔が周囲に響き渡る。


 男とも女とも、大人とも子どもともつかない、例えるならば獣のような叫び声。


 腕が土塊となって崩れ落ち、少女の姿をした神モドキもその場で塵になって消えていく。

 崩れ落ちた神域の残骸だけを残して。


 疲れ切った体の緊張を解くように大きく息を吐いた麻生が、白衣が汚れるのも構わず地面に座り込む。


 夜を迎えるカラスの甲高い鳴き声が遠くから聞こえてきて、異変が終わったことを告げた。

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