第4話 参pア遺者

 険しい山道をひたすら上へ上へと進んでいく。

 先陣を切る麻生の足取りはまっすぐで迷いがなかった。ダウジングに頼らずとも、この場所がだということを確信しているかのように。


 かくいう樹も、山に足を踏み入れてからひどく寒気を感じていた。

 陽が落ちてきているから、というよりは魂が凍えている怯えているかのような寒気。


 木々を抜ける風は吐息。カサカサと葉の鳴る音は囁き。そんなふうに、山そのものが蠢いているかのような感覚は懐かしさすら感じる。

 獣道は食道だろうか。しかし、そうなると自分たちが向かっている先は、即ち――


「教授」


 この感覚は自分だけしか感じていないのか。躊躇いなく進んでいく麻生に不安を覚え、樹は無意識のうちに声をかけていた。


 しかし、彼は黙ったまま足を動かして止まらない。樹のことを一瞥もしない。


 


「麻生教授!!」


 何故かそう感じて、樹は尚も先へ行こうとする麻生に駆け寄って肩を掴む。


 さすがに無視できなかったのか、足が止まった。

 ホッとしたのも束の間、彼の口から一つの言葉が溢れ落ちる。


「最悪だ」


 なにを言っているのかわからず困惑する樹の視線の先で、麻生がまっすぐ眼前を指す。

 その指先を追って視線を動かし、ゾッとした。

 赤い朽ちた小さな鳥居。その先にあるこれまたやはり朽ちている祠らしきもの。


 しかし、問題はそれではない。


 周囲に立つ無数の木々。そこにいくつもの釘で打ち付けられた夥しい数の

 一個や二個ではない。木によっては表面が見えないほどに大量の藁人形が打ち付けられている。

 釘は赤く錆びたものもあれば、まだまだ銀色の輝きを放っているものもある。


 いつからやっているのか、今もやっているのか。


 呆然とそれを見つめる樹は、そこに込められた執念のようななにかにゴクリと息を呑んだ。


「これ、は」


「丑の刻参りだ」


 聞き覚えのある言葉だった。先日、類感魔術の講義で樹自身が口にした。相手の髪の毛を入れた藁人形を用いて、恨みを込めて釘を打つことで相手を呪い殺す。日本に古くからある呪術の一つ。


 周囲の空気が一気に冷え込んだ気がした。否、実際に自分が吐く息は白くなっていた。まだ夏にもなっていないというのに。


 だというのに、麻生はそんな寒さなど気にしていないとでも言うように至極冷静に呟く。


「なるほど。ここは儀式の場所か」


「儀式……丑の刻参りのですか」


 樹の確認の言葉に麻生は頷いた。


「ああ。だが、これはダメだ」


「ダメ?」


 たしかにこの場所はダメだとわかる。しかし、彼はと言った。場所ではなく、今この状況を言っているように思えた。


 訝しげな視線を向けられて、麻生は静かに語り出す。こんな状況でも、彼は落ち着き払っていた。


「丑の刻参りというのは呪殺の儀式ではあるけれども、術者本人が呪いをかけるわけじゃない」


「と、言うと?」


 明らかに呪いの儀式だというのに、呪っている人物が呪いをかけたわけではないというのはいったいどういうことなのか。


 樹の疑問に対して、麻生は静かに答えた。


「丑の刻参りは対象の呪殺を神へ頼む行為だ」


「神へ?」


「宗教が発展することで、魔法魔術もその形を少しずつ変えたのさ……という話は少し長くなるから、まずは手短に。そもそも丑の刻参り自体が宇治の橋姫伝説に由来すると言われている。そして、由来からしてこれは神への祈りの物語なんだ」


 宇治の橋姫伝説。

 それならば樹も中学の頃、京都へ修学旅行に行った際にどこかで聞いたことがあった。

 三年前のこと故に朧げな記憶を引き出して口にする。


「宇治の橋姫伝説……嫉妬に狂った公卿の娘が鬼となって人々を呪い殺したというもの、でしたよね。最後には源綱によって倒された、と」


 樹の言葉にその通り、と麻生は頷いた。とりあえず正解だったようでホッとする。

 そんな樹へ、麻生は一つ訂正した。


「ただ、宇治の橋姫は強い怨みだけで鬼になったわけじゃない」


「え?」


「娘はまず、神に祈りを捧げたんだ。私を鬼神に変えてほしいと。結果的に祈りを聞いた神から言われた。『鬼になりたければ、姿を変えて、宇治川に二十一日間浸かりなさい』ってな。そして鬼を見立てた姿になると、宇治川に二十一日間浸かって鬼へと変わった」


 ……ここでも見立てか。


 樹の眉間にシワが寄る。


「また見立てですか」


 麻生は静かに肯定した。


「見立てというのはそれほどに強力なんだよ。だからこそ、世界中のあらゆる場所で使われてきたし、古いからと言って忘れ去られたりしない。魔法使いたちが弟子に教鞭を取る際、真っ先に基礎の基礎として教えている」


 でも、も麻生は続ける。


「だからこそ、ここはダメだ」


 厳しい顔つきで周囲を睨みつける姿にただならぬものを感じ、冷や汗が流れる。


「まず祈るべき神がいない。しかし、朽ちていても鳥居と祠というが整ってしまっている」


 ということは、果たして術者はいったい祈っていたんだろうか。


「逃げますか?」


「そうしたいのは山々だが」


 カァーンと、山のどこかから音がした。まるで釘を金槌で打っているかのような甲高い音。


 カァーン、カァーン、カァーン。


 カァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーンカァーン


 一つ、二つ、三つ。どんどんと重なって合奏でもしているかのように山中に響き渡り始める。


「足を踏み入れた時点で、あちらの領域だ」


 麻生が白衣のポケットに手を突っ込みながら、祠を睨め付ける。


「来るぞ」


 彼が言ったと同時に、周囲の音がぴたりと止んだ。

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