第13話 ビャクオム王グイド

 アツリュウとセウヤは王宮に到着し、シンライガ団長、スオウ副団長と合流した。

 

 『女神の夜』と名付けられた宮殿は、黒い化粧石に覆われて、荘厳な威厳いげんを放ち漆黒しっこくに輝く。

 現王ビャクオム・ゲッケイ・グイドがまつりごとを行い、座所ざしょするここは、シュロムに属する自分達にとっての敵地。


 『ヒルディルド国』は250年前、北のシュロムと南のビャクオムで、国を2分して長く戦争をした。


 領土を攻め取り、攻め返され、現在は北の3分の1がシュロムの領地、南の3分の1がビャクオムの領地。真ん中の残りの国土はどちらの領地ともいえない緩衝地かんしょうちとなっている。


 200年前、戦乱の時代から、神託の時代へと移り、国内戦争は静まった。

 神話の時代からの取り決めに従って、月の色で国の為政者いせいしゃを決める。


 王に選ばれると、緩衝かんしょう地帯の領地を手に入れる、すなわち国の3分の2を手に入れる。

 現在ビャクオム王家は、国土の南から3分の2を治め、その地全ての税を国税として自由にできる。

 

 王権を失ったシュロムは、国の政の中心には入れないが、北の3分の1の国土については、領地権りょうちけんがある。


 シュロム近衛兵は、近衛兵を呼称されるが、実際はシュロム王の私兵であり、北3分の1を守る大兵団でシュロムの領地とシュロム王家を守っている。


 ヒルディルド国は、現在ビャクオム王家が統治している。しかしその国内に3分の1の土地を占めるシュロム国が独立して入っているともいえる。


 しかしながら、力関係は圧倒的に王権を持った側に傾く。


 ビャクオムが従える国軍はシュロムの2倍、シュロム近衛兵の兵力の差は歴然。

 王権が移った側に、王権を失った側は臣下の礼をとらねばならない、すなわち頭を垂れて服従を示す。


 シュロムの当主は北のシュロム属領で『シュロム王』を名乗ること許される。しかし己の領地を出れば、王権を持つビャクオムの下に置かれ廷臣ていしんとして扱われるのだ。


 この宮殿は43年前まで、シュロムの王が座所ざしょしていた。シュロム家3代199年続いたが、ビャクオム王家ムラドによって、シュロム王家は廷臣へと滑り落ちる。


 いまや、ここはビャクオムの王宮。

 

 1年と半年前、ビャクオム・ゲッケイ・ムラドが42年の在位を経て、崩御する。しかし、彼は死ぬほんの1月前に、第一継承権を息子から、孫息子のグイドへ移す。


 留学から帰ってまもない、当時若干21歳の青年ムラド。

 彼は『月の色読み』の神託で、「銀の月』を言い渡され、神託時代のビャクオム王家2代目として即位した。


 ここ王宮ではすべてビャクオムの命に従わねばならない。


 すなわち現王グイドの命のままに。


 アツリュウ達は、いつものように入口で帯刀する大剣を預け、宮殿へと入って行く。

 シンライガ団長と、スオウ副団長、そして自分、たった3人きりの警護で今日は殿下をお守りせねばならない。いつにない緊張感に身が包まれた。


 宮殿の名前を略して殿下は『夜』と呼ぶ。

 『夜に行く』と呼ばれて、公務の殿下に付き添い宮殿にはよく訪れている。


 だが今日は、普段の公務とは違う。

『夜』にあるアツリュウにとって初めての場所に来た。


 回廊かいろうは、薄暗く奇怪きかいで異様な物に囲まれていた。


 舞台に通ずるその回廊は、広い宮殿内の回廊とはまったく違い、暗く、狭く、車椅子が通ると、横に人が並ぶ隙間はなかった。


 長い回廊の石壁には、びっしりと彫刻が彫り込まれている。

 それらは奇獣奇獣、神獣、伝説の獣たち。大小さまざまにこの世にはいないけものの彫刻で覆われていた。


 この回廊を奇怪にさせているのは色彩だ。


 それぞれの獣が様々な色で入り乱れ、極彩色ごくさいしきの異様な世界は息苦しく、アツリュウは心の中で早く出たいと願ったが、今日の目的地にたたどり着くにはここを通らねばならないようだ。


 回廊の中心に、広い場所が、少し離れて2か所あった。


 大きな石の扉が2つあった。


 そこだけ彫り物がなく、灰色で滑らかな石壁が身長のはるか上まである、巨大な石扉だった。


 シンライガ団長が、2か所ある石扉の、右側の扉を開けた。とても人間の力で動かせそうにない重量に見えたが、彼が持ち手を横に滑らせると、重いながらもゆっくりと石扉は右に動いていく。


 開く扉の隙間から、まぶしい陽の光が、線になって暗い回廊を照らす。ほこりの粒が光にの中に舞い、その光はどんどん大きくなって、扉は開いた。


 屋根の無い、屋外にせり出した、舞の舞台が、扉の外に広がっていた。


 白い化粧石の床に光が反射し、舞台の上には青空と、向こうには遠く宮殿の庭園が見える。先ほどの極彩色から一転して、開放感のある場所だった。


 4階の高さにあるにも関わらず、手すりもさかいも何もないまま、床の終わりは直角に切られ、舞台の端からは、一歩足を出せば、そのまま下に落ちる恐ろしい造りだった。


 セウヤ殿下の車椅子を、アツリュウは舞台の端のギリギリのところまで運んだ。

 彼がそれを望んでいるように思えたから。


 舞台の端から、下の観覧席かんらんせきが見えた。

 観覧席は舞台から離れた位置に、3階の高さにやぐらが組まれ建っている。


 高座に貴族、下座に裕福な市民、そしてやぐらの下は広く民衆に解放される。数千の貴族、民衆たちが舞を拝観はいかんすることを許される。

 

 今、そのやぐらの座席は空っぽで、誰もいない。

 今にも落ちそうな、床の終わりの端まで自分が車椅子を寄せたので、めずらしくシンライガ団長が心配して「おい」と声をかけてきた。

「よい、これでよい」


 セウヤは答え、遠くを見ていた。

 肩で切りそろえられた銀の髪が風に吹かれ、額をあらわにすると、彼をいつもより幼く見せた。


 王の役目は2つある。

 一つは為政者いせいしゃとして国を治めること。


 もう一つは、『祈りの舞』を舞うこと。

 全ての安寧あんねいを月女神にお願いするため、神に祈りの舞を奉納する。


 王族が受け継ぐ『祈りの舞』は脈々みゃくみゃくと受け継がれる様々な古来よりの儀式。

 いくつかの特別な儀式では、その舞が民衆に披露ひろうされる。


 王家の舞は、神秘的な伝統楽器の調べに合わせ、高く跳躍ちょうやくし、回転し、幻想的な世界に見る者を引きずり込む。


 月の世と現世うつしよさかいで、王族が舞うその姿は、この世のものとは思えない圧倒的な美しさ。

 激しく速く流麗りゅうれいなその舞は、人々に畏敬いけいの念を呼び覚ます。


 民衆は心を奪われ王に頭を垂れる。

 王は人ではない、月女神が地上に遣わした特別な存在なのだと。


 舞の舞台は国内の様々な場所に点在する。

 神殿にも、シュロムの離宮『水鳥の宮』にも、そして宮殿『夜』にも。


 そしてここ『夜』の舞台は、リュウヤ殿下が落ちた場所。


 セウヤ殿下がこの世でただ一人、敬愛していた兄を失った場所。



 『満月と新月の舞』

 民衆が拝観できる王の『舞』の中でも、めったに奉納ほうのうされない、最も人気がある特別な舞。


 『満月』を現王が舞い、『新月』をもう一人の王が舞う。

 数百年の伝統でその時だけは、敵対する2つの王家が舞台を共にするのだ。


 あの夜、王になって1年足らずの若きビャクオム王ムラドが『満月』、シュロムの第1王子リュウヤが『新月』を舞った。


 

 最初にグイドが満月を舞い、中盤、次の新月の舞に引き継ぐ前に、リュウヤが現れ、グイドとリュウヤが共に舞った。共に22歳、若き二人の男たちは、息を合わせた完璧な舞を披露した。


 観衆は、下から舞台を見上げるので、舞台の端しか見ることができない。

 だから、舞台のギリギリ間際まぎわで舞う王を、落ちはしないかと民衆は固唾かたずをのんで見守る。


 あの夜は、あまりの舞の美しさに、人々は恍惚こうこつと感動に包まれて、王が落ちる恐怖も忘れて舞に見入った。


 グイドは満月の舞を終え、先に舞台を後ろに下がる。

 リュウヤが、その後新月を舞い終え、やはり舞台の後ろに下がった。


 舞台の構造上、演者が後ろに下がると観衆からは姿が見えない。


 舞の間、舞台に居れるのは王二人のみ。絶対に犯してはならない古来からの禁則きんそく


 あの時、舞台にあったのは篝火かがりびと、グイドとリュウヤそれだけ。

 二人が下がれば、見えるのは篝火だけだった。


 観覧席の下で奏でられていた音楽が空に消えるように音を消すと、観衆は舞の終わりを知った。


 そのとき、観衆から見て左側、新月の舞の舞台側にリュウヤが現れた。


 それは不思議な光景だった、彼は舞を終えて、後ろに姿を消したはずだった。それがまるで忘れものでもしたかのように、軽く走って舞台のギリギリはしに顔を見せた。


 不思議そうな顔をする観衆と、やはり不思議そうな顔のリュウヤの目が合った、その瞬間。


「リュウヤ!」


 グイドの絶叫が彼の名を呼び、リュウヤは振り返る。

 そのまま、声の方に向かっていこうと顔を向け、肩を向け、歩き出そうとした……


 されど、彼の足は反対を向いたまま、歩き出して……


 彼は落ちた。


 観衆の目の前で、セウヤの目の前で、彼は落ちた。


 あの日から、半年が過ぎた。

 セウヤはグイド王に願って、今日この場所に花を手向けに訪れた。


 空に雲は無く、天上に向かって限りなく濃くなっていく青色を見上げると、けしてそこは行けぬのに、故人が住まう天上に、このまま吸い込まれていきそうで、セウヤの心情を思うと切なくなった。


 セウヤに指示され、舞台を回ったが、見るべきところは多くはなかった。

 あるのは床と、2つの石の扉と、その扉の横にそれぞれある柱、それだけだった。


「どこかに証拠が残されているかもしれぬ」

 セウヤはリュウヤ殿下が殺されたと確信している。


 あの夜それができたのはグイド王ただ一人、なぜなら、舞台にはリュウヤ殿下の他には彼しかいなかったのだから。

 だがしかし、どうやって?


 今日の訪問は、花を手向けるという口実で、セウヤが現地を調べにきたのだ。


 リュウヤ王子は数千の観客の前で、自ら落ちた。あの場にいたすべての者がセウヤを含めて証人だ。


 アツリュウには事故としか思えず、セウヤの信じる他殺とは考え難い。口にはもちろん出さないが、本人が納得するまで、付き合うしかないのだろうなと思っていた。


 リュウヤ殿下が舞った『新月』側に車椅子を戻した。スオウ副団長が手向ける花の準備をしていると、『満月』側の扉が開く音がした。


 稲妻が走るがごとく護衛体制に入る。アツリュウは音の方に殿下を向け、車椅子が動かないことを確認し前に出る。スオウ副団長と二人で殿下の守りの位置に就き、シンライガ団長が扉に向かって歩いていく、彼は小剣に手をかけた。


 現れたのはグイド王。

 速い足取りで入ってくる。


 額に王の飾りを付けただけで、結んでいない腰まである黒い髪が風に舞って彼の背でうねるように踊った。漆黒の王の筒着物には銀糸の月桂樹げっけいじゅ刺繍ししゅうがきらめく。


 身長がこの場の誰より高く、厚い胸板の大男が黒い装束しょうぞくに身を包むと、大熊が現れたかのようだ。

 眼光の威圧感は強烈で、一歩下がってしまいたくなるほど。


 グイド王は歩を止めずに、シンライガ団長に浅く手のひらを見せる。団長がすぐに膝間付ひざまづく、すると王は2本の指を軽く振って、団長にセウヤ殿下の元に戻る許可を与えた。


「久しいなセウヤ」

 重低音の声が感情を含まず響く。

 あっという間にグイド王はセウヤ殿下の前に立った。


 大木のような体で、車椅子のセウヤを見下ろした。

 セウヤは返事をせず、熊をにらみかえした。

 護衛3人で膝間付ひざまづいて王に礼の体制をとるが、頭は下げない。


 現王の前といえど、セウヤ殿下から目を離すことはしない。


 グイド王が護衛の自分達を、漆黒の瞳でゆっくり舐めるように観察する。

 背中に油汗が流れる。


 下手な動きをしたら死ぬ。本能が恐ろしい殺気を感じている。

 グイド王の後方、扉の前で待たされている王の護衛、数は2人。

 その二人の男から発せられる殺気に体が凍り付く。少しでも動いたらおそらく瞬殺の勢いで来る。


 この男はいったいなんなのだ。

 グイド王は剣を帯刀していない。彼の目の前の、セウヤ殿下の護衛である自分達には、小剣の帯刀を彼本人が許しているというのに。


 護衛も遠く置いて、ためらいもなく敵の前に丸腰で立つ男。

 刺し違えたら、こちら3人いるのだから命は奪える。それを分かっているはずだ。


 王は視線を舞台の端にやった。そこはリュウヤ王子が落ちた場所。

「私にも、花をわけてくれぬか」


 彼は視線を戻さないまま、静かに呟くように聞いた。

 風が吹いて、セウヤと王の髪を揺らした。


 セウヤが手で指示して、スオウ副団長が花束を王に差し出すと、彼はそこから一本抜いた。

 そのまま花を胸に掲げ、舞台の端、足先が出るほどにきわまでいって立つと、花とともに片手を真っすぐに前に伸ばした。


 この男には恐れることがないのだろうか。

 軽く押せば落ちる状況で、彼は自分達に背を見せる。


 しばし彼は動かず、そして花は手を離れ、一瞬風に舞い上がり、すぐに落ちて消えた。


 グイド王は入ってきた扉に向かって歩き出そうとし、まだ我々に近い所で歩を止め振り返った。

「お前の父が蹴った椅子、セウヤ代わりに座るか?今度の宴には南ルールド帝国の私の旧知も招いた。リュウヤのことも知っている男だ、会いたくないか?」


「行かぬ」

 セウヤの即答に王は切れ長の黒い目を細くして彼の瞳を探るように見た。

 そして何も言わず、背を向け再び歩き出した。


「またここに来たい」

 セウヤが大男の黒い背に言うと、彼は振り返らずに「好きにしろ」と低く言って去って行った。

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