第12話 悲しみを吸い取る馬

 馬車が揺れ、アツリュウは、前に跳ねそうになったセウヤの体を支えた。

 王宮に向かうシュロム王室王子専用の馬車の中、アツリュウとセウヤは並んで座っていた。


 護衛といえど、よほどの理由がなければ、殿下と馬車に同上はしない。しかし、足で体を支えることができないセウヤが、万が一にも座席から落ちてしまわないように介助者が必要だった。セウヤはその役をアツリュウに任せることがほとんどだ。


 馬車で、二人きりになると、セウヤが「おまえに相談がある」と顔を外にむけて呟いた。

 殿下が自分に相談するなどと、ありえない事態に、おそらく聞き間違いだろうと黙っていた。

 

 セウヤは顔を向け、話しだそうとし、しかしおまえなどには言いたくないと逡巡しゅんじゅんし、眉を寄せ深いため息をついた。それを何回か繰り返した後、彼は話しだした。


「リエリーはどうして話せなくなったのか……」

 

 姫が離宮に来てから気力を無くし、誰とも喋らないと伝え聞いていた。


 彼の話だと、専任の侍女にはささやくように話をするそうだ。しかし、他の者と口をきこうとすると、どうしても声がでないらしい。姫も、話そうと試みるのだが、本人でもどうにもできない様子だと。


 彼女の鳥籠とりかごの中での生活が祖父の死とともに終わった。


 6年間という長い年月。たった独りで戦った。

 彼女が心に負った深い傷。


 計り知れない彼女の悲しみと痛み。どうして話せなくなったのか……と問われて、アツリュウは返す言葉は見つからなかった。


 しかし、殿下の話が進むうちに、どうやら彼と姫の間で、何かがあったようだ。

 その何かが起きる前は、彼女は殿下と会話ができていた。

 しかし、彼には自分が何を彼女にしてしまったのかが分からないのだという。


「リエリーは裏門が粉々になって無くなったと言ったのだ」


 その門というのは、姫が毎日祖父に付き添って見に行かされた、いわくの門で、思い出すと吐き気がする程だと。彼女を苦しめた祖父の象徴しょうちょうのように感じる。きっと父も同じ気持ちだったろう。だから父が粉々に砕いて門を消し去った気持ちが良く分かると。


「だから、『それは良かったな』と言ってやった」


 殿下が放ったその『良かったな』の言葉のあまりの威力に、ああと声をらしてしまった。

 彼が言うには、姫様はその門を完成させてくれるよう父殿下に願ったのだという、それを粉々に……

 あまりに残酷で、その痛みが強烈で、片手で顔を覆い、しばらくそのまま動けなかった。


「何が間違っていたのかは謎だ。しかし、私がそう告げた時の、リエリーの顔が……」

 その彼女の顔を今見ているかのように、辛そうにセウヤが顔をゆがめる。


「リエリーはまるで私に殴られたような顔をしたんだ、呆然としていた……、あの後から、リエリーはもう私と話せなくなった」


 セウヤが、いつもの王子の顔ではなく、一人の兄として、心底妹を心配しているのだと伝わる表情で、視線を合わせてくる。


「何がいけなかったのだろうか……、私は間違ったことは言っていない、それなのにどうして、リエリーは話せなくなったのだ、突然……」


「本当に分からないのですか? 本当に?」

 セウヤは頷く。


「私はどうして殿下が理解できないのか、殿下のお心が理解できません」

「おまえには分かるのか?」 

 セウヤが心底驚いたように、身を近づける。


「きっと理由をご説明しても、殿下には分からないと思います」

 不敬ふけい極まりない返事をしたが、彼は怒らず前を向いてため息をついた。


「どうして、あなたは姫を助けなかったのですか……」

 長い沈黙の後、ずっと心にわだかまっていた、ただの護衛官が主君に問うてはいけないことを口に出した。


 セウヤは馬車の小さな窓から、動いていく街並みに視線を移した。

 遠くを見る目は、遠い日々を見ているように……


「兄上は留学していて、私は学院にいて、リエリーが別館に閉じ込められていることを長く知らなかった。本当ならリエリーは14歳から女学院に通うはずだった。リエリーが学院で学ぶことは亡き母の最期の願いだった。だから父上がその約束を反故ほごにしたことを、留学から戻った兄上はひどく怒って父上と大喧嘩になった。兄上は父上をなんとか説得して、リエリーを離宮に連れ戻した」


 セウヤは大きなため息をついて、でも……と首を振った。

「リエリーは、自ら別邸に帰ってしまうんだ。お祖父様が心配だと言って」

 

 馬車の車輪がが石畳に小さく揺れる、馬のひずめの音が拍子正しく響く。

「私はそれを聞いて、腹が立って、あの老いぼれを、寝台に縛り付けたり、きつい薬で眠らせたままにしておけばいいと父に進言した」


 あの老いぼれと言いながら、セウヤは苦い顔をする。彼に対する尽きない怒りが話とともによみがえる様子だった。


「でも、縛られて暴れて、あれの体が傷ついていくのにリエリーが耐えきれず、ひもをほどいてくれと懇願こんがんするのだ。そして、不思議なのだが、あの老いぼれは薬に強い、すぐ耐性ができて効かなくなる。だから……」


「いや、ちがう。そうじゃない。何をしたとか、しなかったとかそういう話ではないのだな……」

 セウヤは自嘲じちょうするように笑った。


「私も、父上も、結局のところ、リエリーに祖父を押し付けたのだ。面倒で、どうにもならないあの男の世話を、リエリー一人に押し付けた」


 セウヤは顔を背けて、こちらを見なかった。


「姫様は……、姫様なりの方法で、お祖父様を守っておられたのではないでしょうか……」

 セウヤが振り返り、不思議そうな顔をした。

「守る? どうして、あんな何の価値もない、シュロムを駄目にした罪人を守る必要があるんだ」


「そうかもしれないですが、それでも、姫様にとってはたった1人のお祖父様で……、長い年月を共に暮らした家族だったのではないですか?」

 何かが少し、セウヤの心に響いたようだった。


「リュウヤ兄上に、繰り返し言われていた。おまえにとって正しくても、リエリーにとって正しいとは限らないのだと。私にとって正しい解はいつも1つ。だからリエリーが間違っていると、いつも正しく導いてやった。でも、リエリーはよく泣いた。その理由がいつも分からない……、でも、兄上はいつも正しい。だから、私が間違っていたのだろう。数学にも解が1つではないものもあるのだから……」


 セウヤが振り返った。もはやいつもの王子ではなく、同年代の17歳の少年にしか見えなった。

「私は、どうしたらいいと思う? リエリーに何をしてあげればいいのか分からないんだ」


 咄嗟とっさに、怖いと思った。

 体を後ろに引いて、これ以上来ないで欲しいと本能的に思った。


 あなたは今王子の顔ではない。私に何を求めているんだ。

 まるで心を許した友人のように…… そんな顔は恐ろしい。

 この人は人を取り込む、美しい顔で、力ない少年のように手を伸ばしてくる……


 アツリュウは目をらして、精いっぱいの力をかき集めて、護衛官の顔に戻ろうとした。

 分かりません、と短くはっきり告げて。真っすぐ前を見た。


 それきり、お互い何も口に出さなかった。


 もうすぐ、王宮に到着すると景色を見て確認したとき、1つ思い付いた。


「悲しみを吸い取る馬が実家にいます」


 突然、何の脈絡みゃくらくもなく告げたのに、セウヤはすぐに反応して、それは何かと食いつくように聞いてきた。彼が自分に問いかけた「どうすればいい?」の返答を、ずっと待っていたことが分かった。


「『いやしの馬』と呼ばれる馬なののですが……」

 ただの思い付きだったがセウヤは真剣に聞いてくれた。


「その馬に触ったり、乗ったりすると心が穏やかになって癒されると評判の馬がいて、父が何年か前に、その噂を聞いて、持ち主に譲ってもらったのです。まだ、実家に居ると思います。もう老馬ですけど。殿下のお許しがあれば、姫に乗ってもらいましょうか。少し気が晴れるかもしれない」


「おまえはその馬に乗ったことがあるのか?どうだった?」

「そうですね……、正直なところ効果は分かりません。でも、私はその馬が大好きですよ、不思議な魅力があって、用もないのに、よくうまやに行ってその馬に会いにいきました」


「そうか……、悲しみを吸い取る馬か……」

 そう呟いてセウヤは黙り。馬車は目的へ到着して、それで会話は終いになった。

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