第11話 とうとう全てが嘘になった
夏の嵐の翌日。祖父は逝った。
リエリーは首都の外れ、大神殿にいた。
祖父の付き添いとして、毎日通った大神殿。
祖父は少しずつ衰え、最近は床に臥せて神殿に通うことは叶わなかった。
しかし体が動かなくなってもなお、祖父は頭の中の神殿に通うことをやめなかった。
彼の脳内に鮮明に映し出される神殿を、いつもの順に彼は巡り、リエリーを供として彼女に話しかけた。
祖父が建てた大神殿。我が国建国以来、最も荘厳な巨大な神殿。
世紀の大建築を成しとたげ功労者は、結局のところ、ひどく簡素な葬儀で送られる。
吹き抜けの天井の、はるか高みに描かれた『月神
このような芸術作品を生み出すことは、過去にも未来にも不可能であると言わしめた。
3つの月を抱く月女神の画
「あの朱色のひと筆で、
貴重な
天井画に描かれた。3つの月
我が国の神話 緑の月、銀の月、金の月
あろうことか、祖父はシュロム王家を象徴する『金の月』に朱色を混ぜた。
「あの天井画を削り取ってやりたい」
苦々しく、何度そう父が吐き捨てただろう。
天の月は常に金色に輝いている。
銀色にはならない、ましてや緑色など永遠にならない。
シュロムの月が金色である限り、シュロム王家は続くはずだった。
神話にある建国の月の色『緑の月』が象徴の王家『ヨウクウヒ』
永遠に王権を持たない彼らは、数百年の年月を経て神に仕える王家となった。
数多の大神官を生み出す、神官の家系。
王を決めるのは月の色。
では、その月は何色か? それを決めるのは神託を受ける神官たち。
そしてその神官を統べるのは『ヨウクウヒ』
この国で、最も力をもっているのは本当は誰か?
祖父の父、ミコヴァナは絶大な権力を持つ王だった。しかし彼は息子に言って聞かせる
『けしてヨウクウヒを侮るな』
祖父は言いつけを守り、神官たちへ
ミコヴァナが崩御し、告げられた神託は『白金』すなわち『銀』
大神官はこの祖父が造った神殿で、シュロム王家の終わりを宣告した。
「見てごらんなさい、あなたが描かせた3つの月。ビャクオム王家の月が白金に輝いていますよ」
誰も言葉には出さねど……
朱色のシュロムの月が大神殿の天にある。シュロムの色に月はもう光らない。
祖父は神殿建設に明け暮れて、もはや
彼は理解できなかった。どうしてシュロムが終わるのか、だってこんな立派な神殿を建てたのに、どうして神官たちが裏切るのだ。これは200年祭の為に建てたのだ、そうだ200年祭をすることが正しいことだ。
祖父の葬儀は簡素に、限られた者だけであっけなく終わった。
棺を閉める前に、リエリーは祖父に最後のお別れをした。
長い苦しみを彼女は味わった、されど彼はリエリーの祖父に違いなかった。
200年祭を成功させるために、共に努力した人だった。
この人に自分がしてあげられたこと、それは嘘をつき続けること。
大神殿に来る度に、祭りの準備が整っていないと激高する彼の気を逸らすため、父が裏門の1部を崩した。
「おじい様、裏門が完成したたら、200年祭ができますよ」
毎日神殿に通い、毎日祖父に告げた嘘。
これができたら、あれが済んだら、明日には…… 彼を鎮めるために繰り返した嘘。
何千、何万の嘘。
さようならお祖父様、嘘しかつかない孫娘とお別れです。
聖堂に葬儀の最期を締めくくる、聖歌隊の歌が響き渡る。
リエリーは祖父への最後の別れを終え、席に戻って花に飾られた棺を見る。
あの棺に祖父がいる、その体も焼かれて間もなく姿形がすっかり消えていなくなる。
葬儀が終わり父が早々に立ち去ろうとする。
彼にとって祖父は、大罪を犯しながら、狂うことで罪から逃れた卑怯者。見るに堪えないシュロム王家の
「ようやっとあれが死んでくれた」葬儀でリエリーが聞いたのはその一言だけ。
6年の歳月、私は父の言いつけを守った。だから最後に願ってもいいだろうか。
私は、祖父にしてあげられなかったことをしてあげたい。
ずっと、胸につかえていたこと。飲み込んで仕方がないと思おうとした。けれど……
「お父様」
長く呼ぶこともためらわれ、口にしていなかった。父はリエリーに顔を向け、何だと不機嫌に答える。
もうずっと、父の機嫌がよかったことはない。
父と対峙すると怖くてたまらない。
体が恐怖で縮こまる。でも今しか父に願う機会は無い。
「お願いがあるのです」
「なんだ、くだらないことなら聞かぬ、早く言え」
「裏門を完成させて欲しいのです。お祖父さまに、明日できる、明日には完成すると毎日ごまかしてきた、あの未完の門を、どうか完成させてください」
父ハリーヤの顔から不機嫌が消えた。
彼は意表を突かれたように、しばらく考え、なるほど……と
「分かったリエリー、あの裏門を完成させてやろう」
約束すると父は離宮に去って行った。
胸がすーっと楽になった。父が私の願いを聞いてくれた。嬉し涙が知らず、頬を流れた。
祖父が死んでも泣けなかった。だが今この嬉し涙が、彼女の迷子になっていた悲しみを、ようやく連れてきてくれた。父が去り、他の参列者も去った神殿で、シオに肩を抱かれながら祖父を
翌々日、目を覚ましたばかりの寝室に、シオが転げるように入ってきた。
その顔は悲しみに覆われて、姫様……と一言いって、涙をあふれさせた。
「裏門が……、ハリーヤ様が完成させると約束してくださいました裏門が……」
裏門は粉々になって全て崩されていた。
リエリーが駆けつけると、そこには何も残されていなかった。
祖父と毎日通って、工事の進みを確かめた。石の門には様々な彫刻が彫られていた。
「あちらの天使が完成しましたね。明日には白馬のところもできあがりますよ」
壊しては造り、また削っては造り、祖父をだまし続けた裏門。
それでも、祖父は「そうかそうか、もうすぐ完成するか」と笑顔で眺めた、毎日一緒に。
裏門の崩された
痛みも感じない。
ああもう、すべてが嘘になったんだ。
私がお祖父様に約束した、千の嘘、万の嘘、ただの1つも、何一つ本当にならなかった。
その後のことはあまり覚えていない。
なんだか勝手に周りの景色が動いていく。
ぼんやりとして、何も考えられない。
セウヤ兄様が来てくれて、手を握ってくれた時、やっとここは離宮なんだと気が付いた。
「兄様門が……」
すがるように、兄の手を両手で持った。
兄が心配そうに顔を覗き込む。どうしたんだ、リエリー、しっかりしろと繰返す。
「裏門が壊れていたの。見にいったら、粉々に砕けて、何もないの……」
「裏門? ああ、お前が毎日通わされたあの門か?」
「あの門を、父上が壊したのか?」
リエリーは何と言葉を継いでいいか分からず、ただ頷いた。
セウヤが、ほっとした顔になって、リエリーに微笑みながら手を強く握りかえした。
「それは良かったなあ」
兄がそう言って嬉しそうに笑った。
リエリーはその時から言葉が話せなくなった。
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