第2話 出会い

 リュウヤお兄様が死んだ。


 シュロム王家第一王女のリエリーは葬列そうれつにいた。

 第一王子リュウヤの葬列が、黒い列となって大神殿へと向かっている。

 

 喪服に身を包み、一歩、一歩とゆるい速度で坂道を登る。


 神殿は王都のはずれ、丘の上にある。


 なまり色の雲が、重く空を覆い、ようやくやんだ雨も、また間もなく降り出す気配。


 葬列の先頭を、豪華に飾り立てられたひつぎが、神官たちに担がれて静かに行く。


 リエリーの不安と恐れで握りしめたこぶしは血の気を失い、真っ青になっている。

 ずっと震えが止まらない。


 あの中に、つい10日前まで笑って冗談ばかり言っていたリュウヤ兄様の体が入っているなんて。


 棺の後ろ、葬列の先頭をシュロム王の礼服を着た父と、次兄であるセウヤが、ゆっくりと歩いていく。


 白に金糸の刺繡ししゅうをあしらった法衣をまとうセウヤ兄だけが、黒い行列の中で、白く浮き上がるように見えた。


 舞を終えた後、舞台から落ちたリュウヤ兄。

 頭を強く打って即死だった。

 

 王家には祈りの儀式の『舞』の務めがある。

 シュロム王家の第一王子であるリュウヤ兄様も、成人してからは公に祈りの務めをになっていた。

 

 10日前の満月の明るい夜。

 宮廷で特別な舞の儀式があった。兄はいつものように舞い、そして帰らぬ人となった。

 

 何故、兄は舞台から落ちたのか?


 様々な憶測憶測が飛び、調査が繰り返し行われた。

 父はなげいてわめいて、一時はもはや正気を失ったのではと疑われるまでに取り乱した。


 しかし3日の後「あれは事故だったのだ」と、そう父はあっけなく結論付けて、それ以上長兄の死について一切語らなくなった。


 後は驚くほど粛々しゅくしゅくと、葬儀の準備が始まった。


 リュウヤ兄は気さくな人柄で人望があり、帝国の留学も経験し、これから執務に神事にと活躍を期待されていた。


『いいんだよ、リエリー。大丈夫ゆっくり話してごらん』

 言葉を選ぶのに時がかかって、いつもうまく話せない、うつむいてばかりの自分を、彼はいつも優しく待ってくれた。


 最後に会った時も、彼の22歳の誕生祝いに、贈り物をした。気に入ってもらえるか気にする私をからかって、笑っていつもと変わらず、おしゃべりが止まらなかった兄。


 リュウヤ兄様が死んでしまったことが、今だ信じられない。


 葬列は大神殿の前にある大広場へと向かう。

 大広場には、葬列を見ようと庶民が人だかりを作っていた。


 若き王子の突然の死は、民を驚かせた。弔意ちょういの言葉をひつぎに送る者もいれば、物珍しさに葬列を見ようと押し合う者もおり、沈黙の葬列とは対照的に、広場は騒めいている。


 警備の兵士達が整然と列になり、混雑を抑えていた。


 2つの塔をもつ、巨大な大神殿が眼前に迫ってくる。


 広場の先の大神殿は、冷たい水を満々と貯めた水掘りみずぼでぐるりと囲まれ、さながら城のよう。

 堀を横切る石橋だけが、大神殿に続く道となっている。



 長い坂を登って、葬列は石橋の手前の大門に到着した。

 あの石橋を渡ると、魂はこの世から、月の世へ渡るのだという。


 我が国『ヒルディルド』は月神を崇《あが》めている。


 月の女神様が、白い神馬に乗って降り立ち、この地を与えたもうた。

 すべての魂は月の女神様から生まれ、やがて月に帰る。


 この世のさかいをリュウヤ兄が渡る為、魂を月へと運ぶ白馬に先導される。

 次兄であるセウヤ兄が、その役目のため、大門で待っていた白馬にこれから騎乗する。


 父がセウヤ兄に近づいて肩を抱いている。

 悲壮ひそうな顔の父とは違って、兄の顔は感情を映さず、けれど眼光だけが、恐ろしいほどに怒りを放って……


『いいか、リエリーよく聞け、そしてこれは誰にも言ってはいけない』

 昨夜のセウヤ兄の恐ろしい告白が、彼女の頭の中で繰り返される。


『リュウヤ兄上は殺されたんだ』

 夜闇の中、リエリーが聞かされた、次兄の計画。


『明日の葬儀で、ひつぎが完全に閉じられる前に、私が兄上の体を見せる。参列者全員の前で、兄上の体に残された殺された証拠の印を見せてやる。あいつの…… あいつの前で…… 』

 

 あいつが兄上を殺した証拠を見せてやる。

 

 セウヤ兄の言う『あいつ』

 現王ビャクオム・ゲッケイ・グイド。


 『ヒルディルド王国』には3王家が存在する。

 ヨウクウヒ家、ビャクオム家、そしてシュロム家


 王が崩御すると、この3家の家長の中から神託を受けて、次の新しい王が選ばれる。

 王たるには、この国の女神の許し、すなわち『月の色』の導きがなければならない。


 月の色が

 『緑色』ならば、ヨウクウヒ家が王となり

 『銀色』ならばビャクオム家が王となり

 『金色』ならばシュロム家が王となる


 神官たちの『月の色読み』により、下された神託は『銀の月』


 43年前、月は金色から銀色に色を変えた。

 200年余り続いたシュロム王権はビャクオム家へと移り、シュロム家は王から退いて半世紀近い月日が経った。


 シュロム家のリエリーが生まれるもうずっと前から、もはやシュロム家は名目だけの王家なのだ。


 ビャクオム家のグイド王

 即位してまだ1年、リュウヤ兄と同い年の若き王。


 顔は知っていはいるが、リエリーには王の人となりなどはうわさにしか知らず、ましてや兄を暗殺するような人物なのか、知る由もない。

 

 橋を渡って大神殿に入れは、現王グイドを含む、千を超える参列者が待っている。


 名目の王家とは言え、シュロム王家の嫡男であるリュウヤ兄を、現王も敬意を現し弔うのだ。

 セウヤ兄が、長兄殺害の首謀者しゅぼうしゃとする現王の待つ神殿に、棺は間もなく到着する。


 リュウヤ兄様は、舞台から落ちたのか、それとも……

 セウヤ兄の言うように、現王のたくらみで、暗殺されたのか。

 

 リエリーには何も分からない。考えようとしても体が恐怖で固まる。

 

 セウヤお兄様がこれからすることは、衆目しゅうもくの前で、棺を開けて、リュウヤお兄様の亡骸を持ち上げて、そして、見せる。何を?


 何をするの?

 セウヤお兄様はそんなことをしたらどうなってしまうの?

 怖い、やめて、お兄様やめて、どうかお父様、お兄様を止めて。


 リエリーには、セウヤが何か取り返しのつかないことをしようとしている、そのことは理解できた。

 でも何が起きるのか、どうすればいいのか、混乱するばかり。


 何よりも、ただひたすらに、セウヤ兄の身を案じた。

 何がこれから起きるのか分からぬままに、葬列は待ってくれず、時間も待ってくれず、儀式は無情にも進んでいく。


 堀の水を満たすため、大きな水門が橋の下に作られている、数日続いた雨のために、水門は開かれ、水路へと放流される水音が、ドウドウ響く。


 すぐ目の前で、父がセウヤ兄の肩を抱いたまま、何かを告げている。

 水門の放水の音で、何も聞こえない。


 ただ、父に願いを託す。

 どうか兄を止めてほしい。

 

 リエリーは昨晩一睡いっすいもせず、考え抜き、そして夜明け前、彼女は兄との約束を破った。


 『誰にも言うな』兄の言葉を裏切った。

 

 セウヤの身を案じるあまり、リエリーは父に兄の計画を話したのだ。

 父はよく話してくれたと喜んで、心配いらないと彼女に告げた。


 月浄土への渡りの儀式が始まった。

 白馬にまたがったセウヤ兄が棺を先導して石橋を渡る。


 馬が、急に動こうとするのを、セウヤ兄が手綱を引いて止めた。


 馬の頭が左右に大きく振られる。彼はなんとか動きを上手くさばいたが、馬はせわしなく動きを止めず、その口からはよだれがこぼれ落ちた。

 

 その場にいるものが皆、異変に気付いた。

 あの馬は、ひどく興奮している。

 

 狭い橋の上には、セウヤ兄一人。

 

 護衛兵が、馬の異常を察して駆け出した同じ瞬間、白馬は猛然もうぜんと駆けた、セウヤ兄を乗せたまま。

 群衆から悲鳴が上がった。


 馬は体を大きく左右に振り、左斜めに全速力で駆けた。

 一瞬で石の欄干らんかんに馬の左側面が激突し……


 セウヤ兄の白い衣が、蝶のように空に舞った。

 彼の体は、馬から放り出され、ゆるい弧を描いて飛んだ。


 その一瞬は、現実のものと信じられなかった。

 リエリーは心臓をわしづかみにされ、恐怖を通り越した、痛みのようなものに体を縛られた。


 ザンと大きな水音が間髪入れずに響いた。


「堀に落ちたぞ」

 兵士たちの怒号が響く。

 

 セウヤ兄が落ちたところへ向かって、警備兵とその姿を見ようとする群衆がどっと動いて、人々が葬列に入り混じる、その場は大混乱となった。


「吸い込まれるぞ」

 群衆の叫び声が響いた。


 リエリーの頭の中に、兄の体が、放水口に向かって吸い込まれていく姿が、鮮明に想像された。

 堀に溜められた水は、放水口から滝のように噴出され、下の水路に落とされている。


 ああ、そんなところに吸い込まれたら、兄様が死んでしまう!


 リエリーは群衆が殺到さっとうする堀ではなく、兄が落ちた橋の中央に向かって、駆け出した。


 駆けて、そして、兄が落ちた場所にたどり着くと、欄干らんかんにしがみついて、胸ほどの高さを渾身こんしんの力でよじ登った。


 そして、靴の幅ほどの欄干らんかんに立った。

 はるか眼下に堀の水が見える。兄の白い衣が浮いて流れていく。


 兄様を助ける。

 私が助ける。

 怖くはなかった。意識は兄のもとへ行くことだけ。


「待て」

 飛び込もうとしたとき、落ち着いた声が隣でした。

 

 右隣に、自分と同じように欄干に立っている者がいた。

 一人の近衛兵士が真っすぐに立ち、私を見ている。


「私が行く」


 琥珀色の瞳、まだ少年を残した顔立ち、けれどまごうなき兵士の眼光。


 瞬きするのも惜しいほどの緊迫きんぱくした時の中で、その瞳は落ち着いていた。

 否と言うことを許さない、熱い眼光。彼の強い意志が、リエリーの胸ををつらぬいた。


「あなたは、行ってはいけない」

 彼は言葉を声にしなかった、けれどリエリーには彼の意思が瞳で伝わる。


「セウヤ兄様を助けて」


 リエリーもまた、言葉を声にできなかったが、彼女の心の叫びが彼に伝るのがわかった。

 彼はうなづいて、そして、飛び込んだ。


 堀の中で、白い衣が浮いて動いていく。意識を失っているように動かない兄の体は放水口に無情にも吸い込まれ、そしてそれを追うように、一人の兵士の体も吸い込まれていった。

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