見ているだけで満足な姫と、死んでも触りませんと誓った剣士の、叶いそうにない両片思いの恋物語
まつめ
第1話 花の妖精
幼い日。
「けして行ってはだめよ」
お母さんにきつく約束させられた森に一人で入った。
ドングリを拾っていると、遠くお母さんの呼び声が聞こえる。
「ああ私の坊や」
お母さんが抱っこしてくれた。いつもよりずっときつく抱きしめられた。
「もう森に入ってはだめよ」
「どうして? リスさんに会いたいよ。どんぐりも拾えるよ」
「森の奥には、行ってはいけないお花畑があるの。そこにはキラキラ輝く花が咲いているのよ」
そのお花を見てみたい、お母さんに
「アツリュウ、その花はあまりにも美しいから、どんな人でも、その花を見ずにはいられないの」
お母さんの声はふいに低くなり、まるでけして聞いてはいけない秘密を話すようにささやいた。
「その花を覗くと、花の中には妖精がいるの。
背中に、すっと冷たい風が吹いたように、アツリュウは体を
「妖精はね、それは優しくおまえに微笑んで、そしてツウっと……」
お母さんはツウっと息を吸い込んだ。
「蝶が
「今、剣術大会の一回戦が始まった頃だろうか…… 」
ぐいと馬の頭に
ゆるく癖のある濃茶の髪に、
本当なら、自分も剣術大会に参加しているはずだった。
今日は、軍馬の走り込みの仕事を当てられて、
「お前は馬の扱いが上手いから、しばらく厩舎で働くように」と指示され1カ月が経つ。
近衛兵養成学校の、剣術での成績は常に特優だ。毎年剣技大会の少年部門で優勝してきた。
今年はとうとう成人部門で戦える年齢になった。
真に優れた剣士達と、遂に剣を交えることができるというのに。
『お前は出さん』
剣術の
剣術大会に出ることを禁止され、納得できずに抗議したが、師範は静かに自分を見つめ返すだけ。
『理由は己が一番分かっておろう』と、師範の目は言っていた。
訓練生達と手合わせする度に「そんな戦い方をしていたら、お前死ぬぞ」と繰り返し忠告される。
剣術大会に出場できないのは、己の無茶な戦い方を改めよということなのだろう。
だが、どう改めればよいのか分からない。
無心に剣を振っているだけなのだ。
ただ、生きたいかと問われれば。
この戦いで、死んでも悔いは特に無いなと、そう思ってはいるかもしれない。
休憩をやめ、馬をまた走らせようとした時、対岸の遠くに、馬の
先頭を並足で走ってきた黒馬には、シュロム宮廷護衛団の制服を着た兵士が騎乗している。
兵士は対岸の自分に目を留めると、馬を停止させ、手のひらを見せて合図を送ってきた。
その場で礼の姿勢を取るようにとの指示だった。
高貴な方々の護衛中のようだ。
すぐに馬を降り、馬の姿勢を整え、直立し頭を伏せた。
ああこれは、シュロム王家の王子お二人だなと、近づく白馬に目をやった。
王家の若い子息たちが散策しているのだろう。護衛を後ろに引き連れて近づく一団に、深く頭を下げようとした時……それを見た。
白馬の上で、少女は黄金に輝いていた。
長い銀の髪が陽の光に透けてながら風に舞って青空に溶けていく。
瞳は銀糸のまつ毛が伏せられて、その色が見えない。
あれは、人なのか、この世のものなのか……
少女の姿をしたあれは天使にちがいない。
まだ冬枯れた木立の中に、一本だけ満開に花を咲かせる木があった。
うす桃色の花を見上げて、2人の王子と1人の銀の髪の少女はそこで馬を停めた。
若い兄王子たちは談笑し、王女らしきその少女に何かをしきりに
彼女は恥ずかしげに
すみれ色の瞳が、桃色の花を見上げて
その美しさは苦しいほどにアツリュウの胸をつかみ、息もできない。
サクランボのような赤い小さな唇が開かれて、天使が歌う。
優しい音色は、まるで光の粒のように空気を満たして震わせる。
これは声なのだろうか……
高く澄んで、天高くどこまでも響いていく。
清らかに、きらめいて流れていく。
形がなく触れることができない。
色がなく見ることもできない。
それなのに何故こんなにも全てを満たしているんだろう。
月の光に包まれるように、体も心も悲しみも、何もかもが癒されて包み込まれる。
己の心は宝石のようにきらめく、すみれ色の瞳に吸い込まれていく。
誰もが
歌が終わる。
少女はほっと息を吐いて、そしてこちらに顔を向け、ふわりと微笑んだ。
一瞬もこぼさずに、全ての時を、全ての心を注いで彼女を見ていたい。
それができるならば、もう何もいらないと思うほどに幸福で満たされた。
『ああこれが花の妖精なのだ』そう思った。
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