見ているだけで満足な姫と、死んでも触りませんと誓った剣士の、叶いそうにない両片思いの恋物語

まつめ

第1話 花の妖精

 幼い日。

「けして行ってはだめよ」


 お母さんにきつく約束させられた森に一人で入った。

 ドングリを拾っていると、遠くお母さんの呼び声が聞こえる。


「ああ私の坊や」

 お母さんが抱っこしてくれた。いつもよりずっときつく抱きしめられた。

「もう森に入ってはだめよ」


「どうして? リスさんに会いたいよ。どんぐりも拾えるよ」

「森の奥には、行ってはいけないお花畑があるの。そこにはキラキラ輝く花が咲いているのよ」


 そのお花を見てみたい、お母さんにんでんできてあげたいなあ。


「アツリュウ、その花はあまりにも美しいから、どんな人でも、その花を見ずにはいられないの」 

 お母さんの声はふいに低くなり、まるでけして聞いてはいけない秘密を話すようにささやいた。


「その花を覗くと、花の中には妖精がいるの。綺麗きれいな二つのおめめを見てしまったらもうお終い、もう目をはなすことはできない。」


 背中に、すっと冷たい風が吹いたように、アツリュウは体を強張こわばらせせた。

「妖精はね、それは優しくおまえに微笑んで、そしてツウっと……」

 お母さんはツウっと息を吸い込んだ。


「蝶がみつを吸うように、妖精がお前の魂を吸い取ってしまうよ」


 


「今、剣術大会の一回戦が始まった頃だろうか…… 」

 ぐいと馬の頭に手綱たづながひっぱられ、アツリュウは意識を現実に戻した。


 ゆるく癖のある濃茶の髪に、琥珀こはく色の瞳、18歳の成人の儀を3カ月前に終えたばかりのアツリュウは、春まだ早い、枯草かれくさの川べりで馬の背に乗っていた。

 

 本当なら、自分も剣術大会に参加しているはずだった。


 今日は、軍馬の走り込みの仕事を当てられて、厩舎きゅうしゃから一頭ずつ、馬を河原へ連れては走り、もどっては走り……

「お前は馬の扱いが上手いから、しばらく厩舎で働くように」と指示され1カ月が経つ。


 近衛兵養成学校の、剣術での成績は常に特優だ。毎年剣技大会の少年部門で優勝してきた。


 今年はとうとう成人部門で戦える年齢になった。

 真に優れた剣士達と、遂に剣を交えることができるというのに。


 『お前は出さん』


 剣術の師範しはんは、一言アツリュウにそう告げた。

 剣術大会に出ることを禁止され、納得できずに抗議したが、師範は静かに自分を見つめ返すだけ。


 『理由は己が一番分かっておろう』と、師範の目は言っていた。


 訓練生達と手合わせする度に「そんな戦い方をしていたら、お前死ぬぞ」と繰り返し忠告される。

 剣術大会に出場できないのは、己の無茶な戦い方を改めよということなのだろう。


 だが、どう改めればよいのか分からない。

 

 無心に剣を振っているだけなのだ。


 ただ、生きたいかと問われれば。

 この戦いで、死んでも悔いは特に無いなと、そう思ってはいるかもしれない。


 休憩をやめ、馬をまた走らせようとした時、対岸の遠くに、馬のひづめの音と人影を認めた。


 先頭を並足で走ってきた黒馬には、シュロム宮廷護衛団の制服を着た兵士が騎乗している。


 兵士は対岸の自分に目を留めると、馬を停止させ、手のひらを見せて合図を送ってきた。

 その場で礼の姿勢を取るようにとの指示だった。


 高貴な方々の護衛中のようだ。

 すぐに馬を降り、馬の姿勢を整え、直立し頭を伏せた。


 ああこれは、シュロム王家の王子お二人だなと、近づく白馬に目をやった。

 王家の若い子息たちが散策しているのだろう。護衛を後ろに引き連れて近づく一団に、深く頭を下げようとした時……それを見た。


 白馬の上で、少女は黄金に輝いていた。

 長い銀の髪が陽の光に透けてながら風に舞って青空に溶けていく。


 瞳は銀糸のまつ毛が伏せられて、その色が見えない。

 あれは、人なのか、この世のものなのか……

 少女の姿をしたあれは天使にちがいない。


 まだ冬枯れた木立の中に、一本だけ満開に花を咲かせる木があった。

 うす桃色の花を見上げて、2人の王子と1人の銀の髪の少女はそこで馬を停めた。

 

 若い兄王子たちは談笑し、王女らしきその少女に何かをしきりにうながす。

 彼女は恥ずかしげにうつむいて……けれどしばしの後、顔を上げた。


 すみれ色の瞳が、桃色の花を見上げて

 その美しさは苦しいほどにアツリュウの胸をつかみ、息もできない。

 サクランボのような赤い小さな唇が開かれて、天使が歌う。

 

 優しい音色は、まるで光の粒のように空気を満たして震わせる。


 これは声なのだろうか……


 高く澄んで、天高くどこまでも響いていく。

 清らかに、きらめいて流れていく。


 形がなく触れることができない。

 色がなく見ることもできない。


 それなのに何故こんなにも全てを満たしているんだろう。


 月の光に包まれるように、体も心も悲しみも、何もかもが癒されて包み込まれる。


 己の心は宝石のようにきらめく、すみれ色の瞳に吸い込まれていく。


 誰もがおごそかに静寂せいじゃくを守り、歌声を祝福のように浴びた。


 歌が終わる。

 少女はほっと息を吐いて、そしてこちらに顔を向け、ふわりと微笑んだ。

 

 一瞬もこぼさずに、全ての時を、全ての心を注いで彼女を見ていたい。


 それができるならば、もう何もいらないと思うほどに幸福で満たされた。

 

 『ああこれが花の妖精なのだ』そう思った。

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