第15話 どうして失敗の上塗り

 サイラスが石を打つ手を止めた。ストーブの近くに着火できなかった枯れ草の塊がいくつも落ちている。一度でも火がついてしまえば何とかなりそうな気もするんだけれど……


「あ、そうだ。ランタンの油を炭にかけるとかしたら簡単につかないかな?」


 素人考えかもしれないけれど、我ながら名案! だと思う!


「黙っていてくれないか」 


 ……!! 


 火のないストーブに目を落としたまま、静かに、だけどピシャリと返された言葉は予想外なもので。


「え、でも、油のほうが火がつきやすいだろうし、ここはケチるところじゃないと思うけれど?」


「黙っていてくれと言った」


 返事は何かを我慢しているような押し殺した声。


 何で怒るんだよ。どう考えてもアイシャじゃなくて俺に話しているっぽいのにすでに丁寧な口調ですらないし。考えこむみたいに火をつけようとしていた手も動いていない。


 寒い。


 震えが、止まらなくなってきた。着替えたい……そうだ、袋の中は濡れていなかった、筈……どうせ、また、濡れるかもしれないけれど、このまま冷えていくよりは……一瞬でも乾いていたほうが絶対マシにきまって……ああっ、炭壺出すために開けて、袋、ちゃんと閉めていなかったじゃないか……濡れていませんように……よ、よし……よかった……濡れて、いない……寒い……指が、震えて……寒……


 ガシャンという金属音に「寒い」ループが頭から吹っ飛んだ。


 見るとストーブが地面にひっくり返って足と胴体部分がバラバラになっている。分解したストーブから飛び出した木炭も散らばっていて。


「あ……サイラス、炭が、濡れ……」


「何を考えているんだ!!!!」


 初めて聞くサイラスの怒鳴り声。どこか悲鳴に似た響きすら感じる。目玉が零れ落ちそうなくらい目を見開いて。

 

 ええと……


 考えるよりも何か言うよりも早く、くしゃみが俺の口から飛び出した。

  

 くしゃみにひっぱたかれたみたいな顔でサイラスは飛び上がると俺に背中を向けた。


「はやく……」

 

 声が震えている。


「早く服を……」


 ……あああっ!!


 視線を下げるとアイシャの白い裸体が薄暗い中に浮かび上がるように俺の目に飛び込んできて。

 

 急いで足元の濡れた服をかき集めた。それを抱きしめるみたいにして、あるかないかの胸元を覆い隠した。


 「あ……えっと……ご……めん……ごめん……」


 サイラスは何も言わずに背を向けている。震えている。

 

 何、やっているんだ……俺……でも、寒すぎて……

  

 ガタガタ震えている手をなんとか動かして、急いで取り出した下着と服を身に着けた。内側が湿っているけれどかろうじてまだ防水機能がありそうな外套も。


「もう……こっち見ても、大丈夫だから……」



 失敗した。



 自分がアイシャだってこと、すっかり頭から抜け落ちていた。自分の、亮の感覚でやってしまった。


 サイラスとアイシャは兄妹に近い関係だ。だけど、アイシャは女の子だし、年頃になってからはサイラスの前で一糸まとわぬ姿をさらすことはなかった。


 アイシャの記憶は今や俺の記憶だ。


 なのに、なんで。


 なんでと繰り返しているのは俺の感情。その裏に張り付くみたいに、もう一つ感情があった。サイラスと目が合った瞬間、自分がどういう状況かわかった瞬間、目の前が暗くなるくらい頭の芯が冷たくなっている、そんな感情。

 これはアイシャのなんだろうな……ごめんよ、アイシャ。


 何度心の中で謝っても、胸の奥に、何とも言えない重いものがじわじわ広がり続けて消えない。

 


 組み立てなおしたストーブにようやく火が入った。明後日の方を向いたままのサイラスの顔色をうかがいつつ当たりに行く。


 寒い……

 

 かざしている手のひらは熱くなってくるのに身体の方は一向に震えが止まらない。サイラスは寒くないのか。ギリギリストーブの明かりに触れるくらいの離れたところでこっちに背を向け座っている。

 

 そういえば、ケシュトナから出てきてからもうずっとまともに顔を見合わせていない気がする。



 本当にさ、悪かったと思っているよ。

 ずっと大変なことになったって思っていたけれど、そんなの、サイラスにとっても同じだしな。


 自慢どころか語るも恥ずかしいんだけれど、俺の人生って女に縁がなかったし、縁どころかちょっとばかりお近づきになるとかそんなささやかな機会すらもなかったんだよ。だからさ、美咲に腕組まれただけで動揺しまくってたくらいで。

 なのにアイシャについては、ほんっとに何ともない。ここに至るまで、用をたすときも着替える時も。

 初めは心配というか、怖いくらいだったよ。もしも、自分の入っているこの身体に動揺する以上の、肉的な欲望とかが生まれてしまったら、俺は自制できるのか。

 だけど蓋を開けてみれば不思議なもので、そんな心配すべきことは微塵も起こらなかった。すべきことが当たり前にできたし何の特別な感情もわかなかった。疑う余地なく自分自身のことになっていた。

 内に、アイシャな部分があるからだろうか。


 

 震えが、止まらない。

 ずっと歩きづめだったからかな。疲れた。


 たった二日でもうこんなにガタガタで、物語の最後までたどり着けるんだろうか。

 変にこだわらないで、主人公がいくつもチートスキルをもっている無双系でも書いていればよかったのかな。愛紗は自分を召喚した神の声を聞くことが出来たのに、今のところ俺にはそれすら出来ていない。要するに無能状態じゃないか。



 なんで俺、小説の中に来てまで冴えないんだろう。

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