第10話 ケシュトナのアイシャ 4

 まずはルディアの助言に従って、タズムの神殿を頼ることになった。これは俺の書いた通り。

 タズム神官長が旧知の仲だということでルディアは急ぎ書簡を書きに聖堂を出ていった。


 物心つく前から神殿生活のアイシャには準備に時間を必要とするような私物は殆どない。着替えくらいだろうか。すぐに荷造りは終わるはずだ。

 あとは、何が必要だ。道中なにもないから食べ物、野営に必要なもの。それから街へついてからは先立つものが必要になるか。小説には事細かに書かなかったが、何も考えずに出るのは得策じゃないよな。

 

「色々考えることはあるかもしれないけれど」


 不意のサイラスの声に俺は顔を上げる。


「相変わらず独り言が止まらないのはアイシャらしいね」

 

 サイラスは静かに微笑んでいる。

 どうやら俺は考え事を声に漏らしていたらしい。


「まずは着替えを荷造りしておいで。持てないようなら私の荷物に入れるから」


 んん。


 えっ。


「一緒に来てくれるのか!」


「行かない理由はないと思うよ」


 サイラスはやはり微笑んでいる。


「だって、俺、わたし、は……」


「君が」


 ひときわ大きくサイラスの声が俺の言葉を遮った。


「君がアイシャだと言うのなら、いや、そうではなく、召喚された、私の知らない誰かだとしても、一人では行かせられない」


 サイラスの言葉に揺らぎは感じられない。

 

「神殿の外ではいつ魔物に襲われるかわからない。悪漢に襲われるかも知れない。私が守らなくて誰が守るのか」


 胸の奥がじわっと熱くなる。俄にサイラスに飛びつきたい衝動に駆られたが喉元をぐっと押さえるようにして踏みとどまった。


 待て待てアイシャ。俺にはそっちの方の趣味はないんだ。


 でもまぁ、来てくれるのは正直嬉しい。知っている話とはいえ、いや、知っている話だからこそ、かな、サイラスのいない旅路はあり得ない。


「ありがとう、サイラス」


 ようやく、話の通りに出発できる。しかし、先は長いな。ここは最終目的地どころか周辺の集落からも離れた場所。ルディアとサイラス、アイシャの三人しかいない、小さな神殿。


 あれ、でも、そうなると……

 

「ちょ、待って! 二人共いなくなったらルディアは?」


 書いてるときは気にならなかったけど。どうすればいいんだ。


「私のことは問題ないよ」

 

 いつの間に戻ったのかルディアの声が俺の後頭部をひっぱたいた。


「お前たちがここへ来る前は一人でここを守っていたんだよ」

 

「え、いや、だって、それ、何年前なの。サイラスの歳考えたら20年くらい前だし、ルディアは今年でなな……」


 ルディアの杖が頭を強かに打ち、俺の言葉はちぎれたゴムの勢いで引っ込んだ。


「私が今年なんだって」


「……いえ、なんでもないです」


 ほんっとに、招かれし聖女じゃなくて不肖の弟子アイシャに対する態度だよな。まぁ、俺が望んだんだけど。


「私も心配ではあります。ルディア様。孤立した神殿とはいえ日々の雑務は少なくありませんし、女神からの召喚があった以上今まで通りとは思えません」


「わかっているよ、サイラス。お前たちの代わりに誰かをよこすよう書簡にしたためておいたからね」


 くぅっ、サイラスと俺の扱いに格差がありすぎないか?


「さぁ、こんなところでグズグズしていないで、これを持ってさっさと行くんだよ」


 ルディアは書簡と路銀と思しき革袋をサイラスに手渡すと、邪魔なものでもよけるみたいに杖の横腹で押して俺達を聖堂から追い出した。


「私は聖石に変わりがないか見守る必要があるからね、ここから動けない。準備ができたら、早々に出発しなさい。ここに顔を出す必要はないよ」


 それだけ言うとサイラスに扉を閉めるよう目配せした。そして俺達に背を向ける。聖石を見守るのが忙しいという風情で。


 サイラスは今年で二十二歳の筈。七歳くらいでここへ来たと行っていたから、十五年か。ルディアは結婚していないし、だから子供もいない。言ってみれば俺達が子供同然の存在だったかも知れない。俺だって結婚も子供も経験ないから、わかったようなこと考えて、実はわかっていないのかもしれないけれど、だけど、十五年は長い。永遠の別離と決まったわけではないけれど、安全ではない旅路とこれからすべきことを考えると重い。


「行こう、アイシャ」


 扉を静かに閉めたサイラスが俺を視線で誘いつつ歩き出す。


 サイラスの後を歩きながら、両親の顔が浮かんだ。大学に進学するとき家を出たきり一緒に暮らしていない。それこそ十五年以上。毎年ではないけれど、正月やらの節目には帰っていた。いつでも帰れるし、会えるし。そうだったし、ずっとそう思っていた。

 

 思っていたのに。

 

 今、どうしているだろうか。

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