第11話 出発

この世界には、王だとかの国を治める人間はいない。いや、そもそも国という概念がない。俺がそういう風に書いたからだ。

 いくつかの集落が存在して、そこには神殿がある。生きる道を示す女神を信仰しながら人々はその日その日の暮らしをしている。集落と集落の間は荒野や森が横たわり交易などは簡単ではない。夜になると魔物が出没することがあるからだ。

 保守的で科学的な発達や高度な文明のまだ生まれていない素朴な世界が俺の書いた【ラトハノア】だ。


 ケシュトナ神殿は、集落から離れた人気のない森の中にある。目指している集落タズムまでの距離は小説で具体的にはしていない。

 実際、徒歩での移動なんて人によって違うし、厳密に計算して書くのもなんか嘘っぽいし、まぁ、何よりそこまで詰めて考えるのが面倒だったせいもある。

 とにかく健脚の大人だったら朝出発したら次の朝を待たず到着できる。休みを最小限にして歩けばという条件が付くし、そんなの無理なんだが、まぁ、大体のそのくらいだという風に書いた。


 タズムへ続く小道は木々がまばらに乱立する森の中をゆるゆると蛇行しながら続いている。いや、森というには少し樹木が少ない気もするかな。視界の左右に岩壁のような小山が切れ間なくあって見通し悪く、同じ景色が続いている。

 俺たち以外に人のいる気配は微塵もない。何かに襲われたとしても助けは来ないだろう。でも、危険とは思わなかった。今はまだ、日中での魔物出現の可能性は低いは筈だ。ましてや、それは人の多い地域での話。ケシュトナ付近では皆無なことだ。


 

 少し前を歩いているサイラスが振り返る。特になにか言うわけではないが、アイシャ、と呼びかけてくる。俺が返事すると、頷いて、また前を向いて歩き始める。出発してからずっとこんな感じだ。


 一緒に来ると言ってくれたときは胸が熱くなるくらい嬉しかった。色々話しながら歩くような楽しげな旅路も想像したりしたけれど、歩き始めてみるとほとんど会話らしい会話もなく、今は正直どう接していいのかわからない。


 疲れてくるタイミングで休むこと数回。それ以外はほぼずっと歩いていたと思うが、日が傾き始めて何も集落らしいものが見えてこない。俺が想像して書いていたよりも時間がかかるのか。いや、そんなことないと思うが。

 

「サイラス、タズムにはあとどれくらいで着くかな」


 前を歩いているサイラスが足を止め振り返った。


「どれくらい、かな」


 答えは予想に反して歯切れ悪い。

 知らない筈はないんだよな。サイラスはルディアの使いで何度もタズムに行ったことがある設定なんだし。


「サイラスは何度もタズムに行ったことあるよね」


「そうだね」


 サイラスは小さく二度三度首を縦に振った。それから、意味ありげな目配せで言う。


「かなりゆっくりと歩いているから、この調子だと三日以上必要かもしれないね」


「三日以上だってっ!?」


 思わず出た俺の悲鳴に近い声にサイラスの視線が尖った。


「預言の聖女様はこれから何が起こるかわかっていると言っていたように記憶しているんだけれどね」


 返す言葉も尖っている。

 サイラスってこんなやつだったか?


「もちろんわかっているよ。タズムまでどれくらいとか。大体は、ね。だから、時間かかっても夜中くらいには着くかなぁとは思ってたし……でもまぁ、ちょっと読み誤ったかな」


 このアイシャは俺が書いていたアイシャより幼い体つきだし、歩みが遅いんだろう。途中で気づくべきだったんだろうな。


「日が昇ってから出発で夜中にね。そう。私一人なら可能だと思うよ」


 無表情なくせに棘っ棘なんだが。


「あのね、サイラス一人で行って何になるの。仕方ないじゃないか。アイシャの歩みの速さまで考えが及ばなかったんだよ」


「それはどういう意味です?」


「だから、思ってたよりアイシャの歩みが遅いから……」 


「やめてください!」


 サイラスは無表情を脱ぎ捨てて俺を睨んだ。


「アイシャを悪く言うのはやめてください」


 丁寧口調になっているってことは俺をアイシャと扱わない会話なのかな。


「別に悪く言っているつもりはないよ」


 そんなに怒ること言っていないと思うんだけれどなぁ。

 とりなす体で言ったのが更に悪かったのかサイラスは早い歩調で俺に詰め寄る。


「遅くなった理由にアイシャの歩く速さが全く関係ないとは思いませんが、【あなたが】考え事に没頭せず歩くことに専念すればもっと進んでいたと思いますよ」


 た、確かに考え事はしていたけれどさ。


「ぼんやりしつつ足の運びが疎かになっていることが何度もありました」


 ……あー……それで何度も振り返っていたのか……


「なるほど」


「何がです」


 あ、いや……


「まぁ、確かにそれも原因の一つだな、と」


「いいえ、それ【が】原因なんですよ」


 俺が悪いところもあったと認めるとして、だ。それにしたってやけに噛みついてくるじゃないか。

仕方ない、ここはひとつ俺が大人になって……というか、実際アラフォーの俺のほうが大分大人か。

 

「まぁ、過ぎたことをグチグチ言ってても仕方ないから、そのことは置いておいて……」


「何を言っているんですか。まさか、この先もこの調子でいいと思っているんじゃないでしょうね」

 

 なんなんだよ。

 俺が書いたサイラスはもっと物静かで年齢より大人びていて頼りがいがあって……って感じだったんだがな……

 

「案外子供っぽいよな」


「今なんと」


「なんか、知ってるサイラスより子供っぽい」


 サイラスは唇をかんで押し黙る。

 あ、今のは俺も大人げなかったかな。

 

「……あなたに何がわかるんですか。あなたなんかに、そんなことを言われる筋合いはないです!」

 

 いや、わかるだろう。俺が書いた小説だぞ?

 

 背を向けて大股に道を進むサイラスの背中が少しずつ遠ざかっていく。

 

 おいおい、守るべき聖女を置いてどこに行くんだよ。


 俺は走ってサイラスを追いかけた。いくらなんでも一人っきりは無理だ。幸いまだそんなに距離は開いていなくてすぐ追いつくことができたからよかったものの。


 なんだよ。サイラスがこんなやつとは思わなかった。

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