第5話 冴えない小説家志望の冴えない事象 3

 レストランに着いたのは夕食にはまだ早い17:00前。まだ大した列もできていなかったから、すんなり入店できた。


「ちょっと早すぎたか」


「ライトアップは17:00からだけど、花火とかのショーは18:00スタートだし、暗くなってからのほうがきれいだもん。ちょうどいい時間だと思う」 


 まぁ、その辺は下調べしているんだろうしな。


「食べられそうか?」


 いつも夜はバイトの合間のかなり遅い時間に食べているからなぁ。この時間じゃ、そんなに食べられる気がしない。


「食べられるよ! 何にしようかなぁ」


 楽しげに美咲はメニューに視線を泳がせている。


 店内だけど窓際のこの席は園内がよく見える。少ししか時間が経っていないのに外は入店時よりだいぶ薄暗く、点灯したイルミネーションのせいで景色はずいぶんと様変わりしていた。


「私、パスタにする。あきら何にする?」

  

 渡されたメニューに目を通したが、特にこれという希望もなくて美咲と同じものを頼むことにした。美咲の説明によると、注文したトマトソースパスタは園内人気ナンバーワンメニューなんだそうな。

 

 美咲の力説通り、パスタは美味しかった。濃厚すぎず、フレッシュトマトがふんだんに使われていたから、大して空腹でもないと思っていたのにペロッと食べられた。別に食通ではないが、この味でこの値段なら、また食べに来てもいいと思えるものだった。


「もう食べ終わったの?」


 アトラクション酔いも覚めていたし、なんとなく物足りない感じ、且つ、手持ち無沙汰もあったから、追加で生ビールを中ジョッキで頼む。


「なんか、おじさんぽい……」


 それ、今日何度目だ。

 

 生ビールはすぐにテーブルにやってきた。

 

 ビールも実はそんなに大好物な方ではない。でも、開いている窓からくる風を感じながら飲むビールは今までになく旨く感じた。


「何も食べていないのに席を埋めているのは気が引けるからな」


「あきら、昔っから食べるの速いよね」


 そう言いつつも美咲に急ぐ様子はない。スプーンの上でフォークをクルクル回すと小さくまとまったパスタを口に運ぶ。


 ソースたっぷりのパスタなのにまったく口が汚れていないのはそういうわけなんだな。何でそんな器用なことができるんだ。俺は普通に食べたぞ。まぁ、普通というか……意識したことないからどんな食べ方だったのか自分で覚えてはいないんだけれど。食べ終わってからペーパーをそれなりに使ったから、あまりきれいな食べ方じゃなかったのかも知れないな。


 美咲は最後のソースをスプーンにとって丁寧に口に運ぶ。柔らかそうな唇の間にスプーンが消えた瞬間、ジョッキを握った手に得も言われぬ感触が還ってきた。発言を封じた時の事故の形跡。指先に触れた滑らかな頬、手のひらに触れて動く唇の。もうずいぶんと時間が経っているのに今になって何でこんなに生々しい。


 久々に飲んで酔いがまわったか。

 いや、こんなビール一杯で酔えるほど弱くはない。


 美咲の食事が終わり会計のために立ち上がったが、別に足取りにも問題ない。

 会計後、トイレへ行ったらしい美咲を待ってから二人で外へ出た。すっかり日の落ち、イルミネーションで様変わりした園内は、カップルらしい二人連れが昼間より多い。

 

 この独特の雰囲気は苦手だ。

 

 どこもかしこも部外者お断りな空気に思えて。視線のやりどころに困って美咲を見た。すでに当たり前のポジションのように俺の右腕に絡んでいる美咲の視線はイルミネーションに釘付けだった。

 

 美咲ってこんなに睫毛が長かったんだな……


「あきら」


 視線はイルミネーションに留めたまま。不意に名前を呼んだ唇は派手な色ではないのに艶があって柔らかさを主張するように光って見える。


「きれいだね」


 少し溜息混じりの声が俺の中にある違和感の塊を刺激する。違和感……いや、この違和感の正体を俺は知っている。だけど美咲はダメだ。ほとんど妹じゃないか。今日だって、お袋に……美佐子さんに頼まれたから、仕方なく……


「あきら?」


 美咲が俺を振り返り首を傾げた。髪が肩から流れ落ちる。美咲の何もかもがいちいち不意打ちみたいで。俺は咄嗟に視線を外すことすらできなくて。


「もしかして、変だった!?」


 俺の視線が唇に留まっていることに気がついた美咲が慌てた様子で口元に手をやる。


「パスタ食べたあとトイレで塗り直したんだけど、やっぱり濃過ぎたかな」


「あ……いや……」


 柔らかさにもう一度触れたい衝動を押しやってイルミネーションに目を向けた。


「……全然そんなこと……ないよ」


 不自然な答えになっていなかっただろうか。


「なら、いいんだけど」

 

 イルミネーションから目を離せなくて。美咲は今どんな表情をしているんだろう。


「ここを出るまでそろそろ一時間切るぞ。乗りたいものがあるのなら乗っておけよ」


 そうだ。美咲はもう少しで帰る。もう少しでこの時間は終わる。


「……進むのはいいんだよね」


「まぁ、そうだな」


「だったら、ジェットコースターがいい! 【スターリー☆フューチャー!!】」

 

 そう言ってしまえば決定なようで、美咲は組んだ俺の腕を引くように足早に歩き始めた。

 と。

 五、六歩進んだところで急に失速し、足を止めた。


「どうした」


「手」


「うん」


 今日、初めて見せるおずおずとした表情。


「繋いでも、いい?」


 なんで急にそんな遠慮がちになるんだ。


「これだけ腕組んで歩き回って今さらだろう」


「そうだよね!」


 俺の返事に美咲は破顔した。右腕に絡んでいた美咲の腕がほどけるように降りて、少し冷たい滑らかな感触が俺の手に滑り込むように収まる。

 瞬間、その手が、俺の持つ、俺が感じられる、唯一の感覚になった。

 腕を組まれるのとは比べ物にならない。想像だにしない、破壊力が。


 これは……まずい。


「普通っ、最後は観覧車なんじゃないのかっ?」


 くそ……カッコ悪いな……

   

 甘ったるい痺れに呑まれそうで、無意識に声のトーンが上がった。

 

「そんなのつまんないよ! イルミネーションの中、ジェットコースター〆がやっぱりいいな」

 

 握るでも離すでもなく中途半端に硬直していた俺の手の中で美咲の手が動いた。祈る形に指が滑り込んで、手のひら同士が密着した。

 

 美咲は俺を斜めに見上げる。

 

「もしかして、観覧車。何か下心でも?」


 声のトーンを低くして、俺の様子を伺うような、からかうような……

 

「ばーか! あるわけないだろ」


 動揺が声に出すぎてそれがまた動揺を誘う。

 

 落ちつけ俺、相手は美咲だぞ。

 

 自分に言い聞かせても、それがもう意味のないことだって本当はわかっている。


 ずっと子供っぽくはしゃいでいたくせに。突然、俺より上手の大人の女みたいな顔になって。俺の動揺を見透かすみたいに、意味深な笑顔を向けてきて。


 

 俺はどうしたらいい?

 


「さっさと並ばないと、乗りそびれるぞ」


「え、やだ! 早く行こう!」


 手をつないだまま歩き出した。

 

「真っ暗な中から走りだすんだって。でね、初めのカーブを曲がった瞬間イルミネーションがぱぁ〜って」

 

「ばらしたら感動減るんじゃないの?」


 美咲が元のはしゃぐ口調になって、俺もようやく硬直が解けてきた。

 

「CMでやってるじゃん! みんな知っててもきれいだからちゃんと感動できたって言ってたし!!」


 ジェットコースター【スターリー☆フューチャー】は人気アトラクションにも関わらず順番待ちの列は思った程には長くなかった。夕食のゴールデンタイムなのがよかったんだろう。


 イルミネーションが眩しいくらいの園内なのにこの乗り場付近は他より薄暗く感じる。美咲は乗りながら見える夜景が話題になっていると言っていた。それを効果的にするために、わざわざ光量を落としているんだろうか。


 待ち時間、俺たちの周りだけ静かな空気に取り巻かれている気がした。今日初めてかもしれない。二人共が無言だった。繋いだ手の感触だけがやけに存在感を主張している。

 

 これが終わったら美咲は帰る。色々、気持ちが振り回される一日だったけれど、あと少しと思うと……


「帰るの、やだなぁ」


 美咲が溜息をついた。俺の考えていることを汲んだようなタイミングで。


「でも、一週間したら引っ越してくるから。そうしたら、また、会えるもんね……?」


 そうか。そうだったな。

 美咲がこっちに住むようになって、頻繁に会えるようになって。そうしたら、どうなるんだろうか。俺は。俺達は。


 

 

 薄暗いプラットホームにジェットコースターが帰ってきた。高揚した空気をまとった客が次々とおりてきて出口階段へと流れていく。


 係員に案内され乗り込んだのは一番前の席。


「やった! 一番いいところ!!」


 安全ベルトを締めながらミサキは興奮気味に俺を見る。

 係員がベルト着用の確認と安全バーのセットを終え片手をあげた瞬間、照明が落ちた。


 進むやつはまだいいとは言ったがやっぱりこの出発前の緊張感は胃に来るな。

 肩に背負う形で降りている安全バーを掴んだ俺の腕を、何かがつつく。


 隣から伸びてきた美咲の手。

 

「なんだ、結局こわいのか」

 

 平静を装いつつ、俺も手を伸ばしてその手を握った。発進前の緊張感で気持ちが高揚しているんだろうか。それが躊躇いなくできた。

 

「すっごくドキドキするね」

 

 少し離れているのにささやくような美咲の声がはっきり聞こえた。


 ああ、ドキドキしている……


 美咲の手。冷え込んできたせいかさっきよりも冷たい。でも、柔らかくて指が細くて、きれいに少しだけ伸ばしてある爪が俺の手の甲にあたっていて。

 

 

 ドキドキしているよ。

 

 

 

 暗闇の中、ジェットコースターが昇り始める。少し軋みながら。

 

 そして一番上に。

 

 一瞬止まって。

 


 ここから下る……!

 

 

 と、けたたましいベルの音が鳴り響いた。そう、まるで火災報知器のような。

 俺の手を握る美咲の手に力が入った。

 

「なんだろう」

 

 まさか、トラブルとか?

 握った手の先にあるはずの美咲の顔を見る。暗すぎてどんな表情かはみえない。

 

「演出じゃないかな」

 

 答える美咲の声がこころなしか掠れている。


 小さな引っ掛かりのような振動。

 そして、ジェットコースターは下り始めた。



 だんだん加速していく。


 

「そろそろみえるかな!?」

 

 美咲がこっちを見たのが、目の端、うっすら暗い中で見える。

 

 ジェットコースターが変な振動をしている。

 

 振動が、大きくなる。

 

「なんか変だぞ!」

 

「あきら!!」

 

 美咲が悲鳴のような声で俺の名前を呼ぶ。


 瞬間、


 ありえない揺さぶり。

 安全バーの間で頭がピンボールみたいに、弾かれるみたいに。

 

 目の奥に火花が散る。

 

 そして


 それは暗く沈む視界に消えた。

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