第6話 目覚め

 目を開いた筈なのに、視界にそれが何かとわかるものが見当たらない。うっすら青白い視界のどこを見るともなく、視線を漂わせた。


 

 夢を……見ていたのか……


 

 ちびの美咲が美人になって現れ、尚且つ、いい感じの雰囲気になるとか。欲求不満が過ぎるよな。


 

 今、何時だ……そろそろ起きないと。バイトに遅れるわけには……


  

 眠りから覚醒し始めた頭の奥にカチリと何かハマるような感覚。 

 それが何かわかった瞬間、背中に震えが走った気がした。




 この天井は、俺の部屋のじゃない。



 

 実家でもない。

 

 まるで、見たことがない知らない天井。




 だいぶ意識がはっきりしてきたのに極度の疲労状態でもあるかのように体が動かない。



  

 ここは、どこだ?

 


 寝ている布団の感触もいつもと違う。


 

 俺は、どこにいる?

 眠りにつく前、何をしていた?


  

 記憶の糸をたぐるが、やはり美咲と会っていた記憶以外ない。

 街を歩き、食事をして、遊園地に…… 

 

 そうだ、ジェットコースターだ。ジェットコースターに乗っていた。様子が変だった。……頭を強打したような記憶が……ある……


 

 つまりあれは、事故、だったんだ。

 


 だとすると、ここは病院か。

 体がうまく動かないのはひどい怪我をしたからなんだろうか。でも、医療機器らしい音はないし、その類に繋がれているわけでもない。頭どころかどこにも痛みは感じない。


 身体の自由が利かないけれど、目だけは動くと気がついた。そろそろと辺りを見回してみる。

 天井に照明器具がない。目覚めた時、部屋が薄暗く感じたのはそのせいらしい。

 今は目覚めた時よりもずっと部屋の中は明るい。 

 

 壁や天井は青白い石造り。磨りガラスなのかそれとも古びているのか壁にある白い曇のあるガラスの向こうから、明るいやわらかな光。日が昇って明るくなったのか。それならきっと今は朝なんだろう。


 曇りガラスの窓のすぐ上、天井近い窓には、綺羅びやかだがけばけばしくはない色ガラスが模様を描いていて、そこからも色付いた綺麗な光が降り注いでいる。病院にしてはどこか宗教的な色が強いという印象で。



 ……病院じゃない……ような……?

 だとするとどこなんだろう。

 


 窓のない方の壁には木彫のレリーフ。モチーフが何かはわからないがどこかで見たような気もする。そして大きな鏡。これにも木彫の枠があり、レリーフと揃いのもののように思う。

 どれも初めて見たものだ。それなのに、なんでだ。どこか懐かしいような、知っている場所のような、不思議な感覚で。


 と、コンコンと何かを打ち鳴らすような音がして、思考から引き戻された。黙って耳を澄ましていると、また、どこか遠慮がちな響きで音が聞こえる。それが扉を叩く音だと思い至って、返事の声を上げた。

 

 

 瞬間、体の自由を奪っていた見えない何かが解けた。解いたのは、違和感。

 

 声が……!?

 


 喉の調子が悪いのか。裏返ったみたいな高い声が出て。調子を戻すための咳払い、喉に触れさせた指、そして触れている喉の感触にも違和感が。いや、違和感なんてレベルじゃなくて。


 

 いきなり襲いかかってきた奇妙な焦りのような感情に飛び起きた。壁の鏡に駆け寄る。


 

 

 少女だ。

 

 

 13、4歳……いや、もっと幼いか……?

 西洋人らしい顔立ちの少女が鏡にしがみつくようにこちらを覗き込んでいる。


 輝く濃い蜂蜜色の髪。

 緩く波打ちながら、肩の後ろに流れ落ちている。

 

 透き通るような白い肌。

 上気したように頬に薄っすら赤みがさしている。

 

 南の海を思わせる碧い瞳。

 大きな目を零れ落ちそうなくらいに見開いている。


 

 恐る恐る自分の頬に触れてみる。鏡の中の少女も同じように、柔らかそうな頬に細い指を添えた。


 

 ……いや、まさか……そんなこと……


 

「入ってもいいかな」


 扉の向こうからためらいがちな男の声がする。返事に窮して黙っているのを了承と解釈したのか、静かに扉が開いた。

 

 戸口の姿を見せたその男は、俺を見ると一瞬動きを止め、軽く目を見開く。が、すぐに表情を和らげ部屋に入ってきた。扉は閉めず、半身ほど開いたままになっている。

 

 20代前半くらいか。若く見えるが落ち着いた空気を纏っている。背筋がすっと伸びた姿勢なのが余計にそう思わせるのかもしれない。深い焦げ茶の長い髪を緩く後ろに束ね、襟の青い白い法衣を身に着けている。



 ……法衣?


 初めて見た服なのに。そう、初めて、の、筈。でも、【知っている】……?


 

「もう、起き上がって大丈夫なのかい」


 低すぎないやわらかな声。

 

 どう答えていいものかと迷いつつ、特に体調の悪さは感じないので、黙ったまま頷く。と、安堵したようにふわりと笑みを浮かべた。

 男は歩み寄ってくると、その翡翠色の目で俺の顔をじっと見つめる。

 俺の目線よりずいぶん高いところに顔がある。結構背が高いな。いや、それとも今の俺が低いのか。


「大事ないようで安心したよ」

 

 初対面なのによく知っている相手を目の前にしているような、不思議な気持ちで俺は彼を見上げた。そう、更に不思議なのは、初めてと感じているのに【俺が彼の名前を知っている】ことだ。


 いや、でも……まさか、な。確かめてみるまではわからない……


「サイラス」

 

「うん」


 思い切って呼びかけると、彼は聞き返す仕草で返事した。

 

「サイラス・アーロ・レヴァルト」

 

「どうしたんだい、急に改まって」


 名前に間違いはない。それなら、これはどうだ。

 

「そしてここはアザル地方東部の端ケシュトナ」

 

「そうだね」


 

 

 ……こんなこと、物語の中だけの筈だ。



 

 Web小説に呆れるほど溢れている異世界転生や召喚の話。そんなのは所詮誰かが書いた流行りの軽い文章でしかない。

 自分が導き出した答えを即座に否定しながら、でも確信があった。間違いなくその類のことが起きている。


 

 なぜなら、ここは俺が書いていた小説【終末のラトハノア】の中だから。


 

 だとすると、この少女は……俺は、誰なんだ? こんな少女を登場させた記憶なんて……

 

「どうしたんだい、アイシャ」


 今なんて?


「アイシャ?」


 ……俺が……この少女がアイシャ……!?

 

 いや、それはおかしい。この少女がアイシャであるはずがない。俺が書いたアイシャは、愛紗……【鳴宮愛紗(なるみやあいしゃ)】という16歳の少女。現実世界の日本から異世界に召喚されたんだ。だから、こんな西洋人っぽい顔立ちじゃない。当然、黒髪黒目の日本人顔。

 

 サイラスは親しげな雰囲気で話しかけてくる。つまり、彼にとってこのアイシャは存在して当然なんだろう。なんではじめから、【アイシャ】がいることになっているんだ。


「まだ休んでいたほうがいいと思うよ、アイシャ」


 促すように差し出された手から反射的に遠ざかった。

 

「違う!!」


 俺は【佐藤亮】だ!!

 

 胸を圧縮されるような恐怖に部屋を飛び出した。廊下を突き当たって右、その先の扉を抜けて渡り廊下を抜けて……!

 知っている! この建物の中がどうなっているかを! 知らないと思っていても知っている!

 大きな観音開きの木の扉前に立った。ここも初めてなのに初めてじゃない。分厚い木の扉の片方を全体重をかけて押した。そう、この身体では重すぎるから【いつも身体全体で押し開けていた】!!


 身体がやっと通るくらいの隙間を作って中に飛び込んだ。

 誰もいない聖堂の最奥、何時もは固く閉ざされている扉が全開になって聖石が碧い光を放っている。

 小説と同じだ。

 聖石が召喚をした後の光だ。救世の預言者がこの世界に召喚されている……!!

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