第2話 冴えない小説家志望の冴えない事情 2

 美咲は見違える程成長していた。というか、名乗られるまで誰かわからなかった、が正解で。

 とりあえず落ち着けるところに移動しようという話になって歩き始めた。美咲が後ろからついてきているのを時々確認しながら改札の外を目指す。流されるような駅構内の人混みを抜けたところで、ようやく俺の隣に並んで立てた美咲を改めてちらっと横目で見た。

 背、高いな。俺より少し低いくらいだから160cm以上あるかも。


「ん? なに?」


 俺の視線に気が付いた美咲が首を傾げた。肩に軽く乗るくらいのまっすぐな髪がするする流れ落ちるみたいに揺れる。

 少し先の信号を気にする体で前を向いた。妙に喉元に居心地悪いような違和感を感じる。

 

「え、あー、いやなに」


 おい、何どもってるんだ、俺。


「さっきの話さ……」


 あやしくないように話をつなげ、俺。いや、別に何もやましいところはないんだけど。

 

「Kanonってカメラの?」

 

「そうだよ」


 何とか美咲の就職先の話につないだ。

 信号待ちの交差点で少し足が止まる。

 

「めちゃくちゃ大手じゃないか……お前、すごいところに就職したんだな。それも本社だろ?」

 

「ただの事務職だよ〜」

 

 笑って言うけどな、俺なんてフリーターだからな……

 

「やっぱり、好きなことをしたいもん。少しでもカメラに関わるところで!」


 同意を求めるような顔で俺の目をじっと覗き込んでくる。


 おま……ちょっと、近いぞ! 小学生か⁉ そんなでっかい図体で腕にしがみつくな!

 

 美咲の両腕にホールドされかけた右腕を急いで引き寄せた。瞬間的に美咲の瞼のあたりが剣呑な気配になって、俺はリュックサックの肩ベルトを右手で掴んでかかり具合を直す。別に違和感はないんだけれど。そのために腕を引いたんだよ、って感じの動きはやっぱりわざとらしかったか。


「ほら、青になった。行くぞ」


 信号に目をやって促すと不満そうに下唇をつきだすのが目の端に見えた。こんなにでかくなってもそのクセ変わらないんだな。

 

 

 好きなこと、か。そういや、お袋が絶賛してたな。こいつの撮ったやつ。頼んでもいないのにスマホに送ってくるもんだから、見ているけど、まぁ、たしかにどこか印象的な感じではあった。

 

「あきらは今もフリーターなんだよね? 弘美さんが溜息ついてたけど」

 

 お袋。そんなこと話題にするなよ……まぁ、するか……この歳でフリーターはないよなぁ。


「なんでフリーターなの?」


 聞いてくれるな。そして、放っておけ。俺のことは。

 

「小説家になる夢、まだ頑張ってるんだ?」


 思わず足が止まった。

 俺を追い越して数歩前に歩み出た美咲が振り返る。

 

「……何でそれ知って……」


「だってあきらが自分で話したじゃない」

 

 話した? いつ? 記憶にないんだが。

 

「【イチジョウカナト】」


 ⁉


 あからさまに驚いた顔になっているだろう俺を見て美咲はフフンと鼻を鳴らした。


「【一条叶斗】って、あきらのペンネームだよね?」

 

 え? 


「帰省したときに話してくれたよ」


 ええっ⁉


「私が小学3年生のとき」


 確かに話したことがあった気もする……が……いや、また、なんでそんなに昔のことを覚えている⁉


 美咲はステップを踏むみたいな足取りでやってきて俺の前に立った。意味深に笑みを浮かべている。


 居心地悪さに俺は視線を外すと歩き始めた。まだ立ち止まっている美咲に、すれ違いざま、ほら行くぞ、と目線で軽く促して。

 まったく、歳上をからかうのも大概に……

 

「続き! 楽しみにしてるんだけどな!!」


 背後からの叫びは街の喧騒の中でも浮き立つ大音量で。振り返って目にした美咲は笑っていなかった。

 

「【終末のラトハノア】!!」

 

 ば……

 

「こんな道の真ん中で言うか!」


 駆け寄って美咲の口を手のひらで覆った。

 瞬間、美咲が弾けるように笑い出す。美咲の唇の柔らかさにギョッとしつつ素早く手を引っ込めた。


「ごめん!」


 相手はもう小学生のちびじゃなくて成人女性だった。うっかりやってしまったけれど、絵面的にもアウトだよな……


 手のひらに残る柔らかい感触が生々しくて、それを追い出すようにぎゅっと握りしめた。

 

「……よくわかったな、その、俺がwebで書いているって……」


「だって、ペンネームが聞いていたのそのまんまだったし」


 笑い過ぎの涙をハンカチで押さえながら美咲は首を傾げる。


 ……迂闊だった……まぁ、人に読まれる前提で書いているし読まれてまずい内容でもないんだけれど、こう、なんというか……


「あきら?」


 別に悪いことをしているわけではないのに、なんとなくきまり悪い。行き詰まっているだけに、きまり悪いの一言につきる……


「ちゃんとね、フォローして続き待ってるんだよ?」


「ええ⁉」


 美咲がフォロワーの一人だったのか!


「嬉しいような、がっかりなような」


「なんでがっかりなのよ!」


「いや、だって、知らない誰かが知らない俺の話を好きになって読んでくれているんだなぁって嬉しく思っていたのに、その一人が美咲だって知ったもんだから……」


「えー、なに、それ酷くない?」

 

 話したときのことははっきり覚えていないが、当時の俺は、小学生相手に話したところでわかりやしないし、どうせすぐ忘れてしまうだろうって思っていたんだろうな。たぶん。しかし、その当時小学生が、まさかのフォロワー。


「美咲はほとんど身内みたいなもんだろ。身内にフォローされているのってなんだかお付き合い的な……というか、お情け的な感じがして……」


「身内のフォローはお情けフォローって感じるわけね……まぁいいわ。許しましょう! 身内だから!」


 なぜだか美咲は納得した顔でそう言った。

 

 

 俺たちはまた並んで歩き始めた。

 

 美咲はもうアパートの契約を済ませていて、入れるようになる来週、引っ越してくるらしい。

 この辺は数年前まで住んでいたし、その頃とそう代わり映えもないから、案内は難しくない。ちょっと家賃高めの場所だから俺は他所に引っ越したけれど、店も多いし暮らしやすい。そういう理由で多分お袋あたりがここを勧めたんだと思う。でも、美咲の職場からはちょっと遠くないか?


「Kanonの職員寮を利用すれば便利だったんじゃないのか?」


「だってないもん」


「ないのか!」


「そう!」


「それにしたってもっと職場に近いところにすべきだろう。ここだと、よっぽど俺のアパートのほうが近いくらいだ」

 

「でしょ! ごはん作りにいってあげようか」


「いや、遠慮しておくよ……」


「料理上手いんだよ!」


「そういうのはなぁ、彼氏だけにしておけ」


「そんなのいないよ?」


 ……そうなんだ。


 

 他愛ない話をしながら買い物に便利なところだとか飯が美味いところをざっと案内したところで昼食にちょうどいい時間になった。美咲の希望で店を決め、腰を落ち着ける。

 昼食の定番的な和食系の店は、味も量もそこそこで雰囲気も悪くないが、長居できるようなタイプの場所じゃない。正直なところ、俺はすでに足がくたびれきっていたから、この辺で帰って一眠りしたいところなんだが。


「そういえば、美咲。帰りの新幹線、何時だ?」


「22:12だったかな」


「……それまでなにする予定でいた?」


「え、あきらと一緒にいるつもりだったけど」


 途中から予想できた返事だけど、俺は聞いていないぞ?


「弘美さんが、あきら今日休みだから一番遅いので帰ればいいわよ、って」


 そう言えばお袋に今月のシフト聞かれた覚えあるな。

 

 ……

 

 ……


 仕方ない。


「どこか行きたいところはあるか?」


「いいの⁉」


「いいもなにも、そういう予定だったんだろう?」


 俺がそう言い切るか言い切らないかのうちに美咲はバッグから折りたたんだ紙を一枚取り出していた。

 

「これ! これに行きたい!」


 目の前にパッと突きつけるみたいに広げられたそれに俺は思わずため息をついた。

 

 足が死にかけている今、よりにもよってこれか!

 

 最近話題の遊園地。普段そんなところとは縁のない俺でもCMを何度も見て名前くらいは知ってはいる。職場でもよく話題に上がる。人気の施設らしい。


 広げた広告の上端から半分だけ顔が覗いている美咲の眉が曇る。


「ダメ?」


 美咲は広告をゆるゆると引っ込めた。引っ込めてはいるが広げてこっちに見せたままなのが、どうしても行きたいという意思表示っぽい。広告に隠れた下唇が突き出しているのが見なくても想像できる。


「ねぇ、あきら、なんで笑ってるの?」


 ごめんごめん、笑っていたか。


「まぁ、仕方ないな」


「え! いいの⁉ やった!」


 美咲は祈るみたいに両手を顔の前で握りしめた。

 瞬間広告は美咲の手の中に握りつぶされる。


「あ!」


 慌てて美咲は広告を広げ丁寧に伸ばして元通りに畳んだ。ごめんね、って呟いているのがなんだか可笑しい。


「広告なくても道わかるから大丈夫だよ」


「記念の広告ちゃんだからね〜」


 歌うみたいに言って美咲は広告をバッグにしまった。


 変なやつだなぁ。


 決まったからにはさっさと移動だ。乗り継いで1時間くらいはかかるぞ。


「この時間からだと新幹線の時間から逆算して、滞在時間5時間程か?」


「充分よ!」


 まぁ、そうだな。終わる頃には俺の足は再起不能なくらいガタガタになっている筈。

 

「ここの見所は夜景なんだから!」


 らしいな。

 CMで見た光の海は確かにきれいだったし。まぁ、話のネタとして実際見に行くのもありか。


 決まったのなら時間を無駄にする理由はない。すでに鼻歌と浮かれた足取りの美咲を伴い駅へ向い歩く。

 

 友人とすら……いや、そんな友人がそもそもいないということはおいておくとして……普段そんなところへ行かない俺が遊園地。それも女と二人きりだ。まぁ、美咲のお守りなわけだけど。なんていうか、こういうのって妙にこそばゆいな。

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