第3話 冴えない小説家志望の冴えない事象 1

「あ! 今ちょっと見えたよね!? 観覧車!」

 

 車窓の端にカラフルで遊園地にはお馴染みの建造物を見つけて、美咲は俺の袖をグイグイ引っ張る。


「静かにしろって。お前は小学生か」


 言われた美咲は俺の袖を放すと辺りを見回した。

 

 遊園地目的の客が殆どだろうこの路線は、平日の昼下がり、それもだいぶ中途半端な時間のせいか、乗客はそう多くない。大学生らしいカップル率が高い。自分たちだけの世界に入りがちな彼らにとって美咲の大声なんて耳にも入らないのかもしれないが。


 居住まいを正して美咲は見え隠れする観覧車に視線を留めている。


「ずっと、……と、……来たかったんだ……」


「何?」


 美咲は切れ長の目をパチパチさせてから小さく首を横に振った。

 

 古いこの路線は結構ガタガタとうるさい。ちょっと懐かしい感じのこの雰囲気は嫌いじゃないけれど、小声で話をするにはあまり向いていないかもな。


「ねぇ」


 美咲がスッと顔を寄せて来た。分かりやすい内緒話のポジション。俺の右肩に美咲の髪がサラッと触れて微かに甘い匂いがして。瞬間的に息が止まった。胸の奥に何かを突きつけられているみたいな、何か罪に問われているような。

 

 確かに静かにしろとは言ったがなぁ。ちょっと近いと思うぞ。


「続きはあるんだよね?」


「続き?」


 肩こりを気にしている体で止まっていた息を静かに吐き出した。いや、肩こりは本当にしているんだけれど。この状況は更にそれを悪化させている。絶対に。


「だから、【終末のラ卜……」


 ……!!

 

「ストップ!!」


 俺から飛び出した大声に自分自身で凍りついた。周りにいたカップルたちが振り返る。口を開けてこっちを見ていた美咲が直ぐに我に返ってあちこち小さく頭を下げる。と、好奇の視線が外れみんなそれぞれの世界に戻っていった。


 あり得ない! 恥ずかしすぎるだろう! こんなところで言うとか! ええっと、ちょっと待った……この身の置きどころがない感じを一体どうしたら……

 

「あのなっ、みさ……」


「ストーップ」


 美咲は小声で言いながらピンと立てた人差し指をすっと俺の口の前に立てた。


「静かにしろって。お前は小学生か」


 くっ。そっくりそのまま返してきたな。


 美咲が喉の奥でククッと笑う。揺れた人差し指が俺の唇をかすかにノックする。


 ま……まずはその指をどかせっ!


 軽く背を伸ばしつつ少しだけ左へと尻の位置をずらす。

 美咲は指を立てていた手を引っ込め、俺が開けた距離を当たり前のように即座に詰める。


「あるんだよね?」


 ……だから……近いって!


「続き」


 内緒話のポジションに戻って、見上げてきたそのとき、車内放送が終点への到着を告げ始めた。


「ほら、もう着くぞ」


「あ、誤魔化してる!?」


 立ち上がろうとした俺の腕を美咲が両手で捕まえる。


「ねぇ、教えてよ」

 

 ホームに滑り込んだ車両は結構雑なブレーキで。

 

「……っ!!」

 

 予想していなかったらしい美咲は鼻先から俺の二の腕に突っ込んだ。


 俺から手を離して鼻を押さえている美咲を尻目に俺は立ち上がりリュックサックを肩にかけ直す。


「行くぞ」


「待って!」


 美咲が追ってくる気配を背中に感じながらホームに降りた。


 ぶつかられた二の腕の感覚がおかしい。美咲の鼻の形までわかりそうなくらい生々しくて。



 


 改札に切符を吸い込ませて外に出ると、駅の出入口かつ遊園地の切符売り場となっている広場に立った。

 

 しっかりしろ、俺。あれは美咲だ。成りはでかくなったけれど、前と変わらない、ちびっこ美咲だ。やっていることを見てみろ。まるでガキだ。


 そんな俺の心の声を吹き飛ばす勢いで美咲が腕に絡みついてきた。


「ねぇ、あきら! 私いいこと思いついちゃった!」


「いや、まぁ、いいよ……」


「まだ何も言ってない!」


 大して並ぶこともなく自動券売機で入場券を購入。ゲートを通って施設案内のリーフレットを手に取った。


「で、何に乗りたいんだ?」


「遊園地と言ったらまずコーヒーカップでしょ!」


 コーヒーカップって言うと、あれだろ。語彙力もへったくれもない説明しか思い浮かばないが、名前そのまんまのコーヒーカップの中に入ってくるくる回るやつだろう? 


「あ、その顔はバカにしてるでしょ」


「いや、だって、あれは子供が乗るやつじゃないか」

   

 リーフレットを開いて園内マップに目を落とす。

 

 ええと、コーヒーカップはどこだ……そもそも、そのアトラクションの名前がわからないんだが……


「あきら、わかってないなぁ! コーヒーカップの楽しみ方、教えてあげるよ!」


 美咲は俺の手からリーフレットを抜き取ると、マップに目を落として約3秒。


「あった!」


 ええ⁉ もう見つけた⁉

 

「【リコちゃんのティーパーティー】!」


「……リコちゃん……?」


「リコちゃんはこの遊園地のイメージキャラクターでヒロインだよ!」


 早口でそう言うと、リーフレットを持っていない左腕で俺の右腕をフックした美咲は歩きだした。半ば連行される形で俺もついていく。


 ちょ、歩くの速くないか?


「大体、コーヒーカップなのにティーパーティーって……」


「コーヒーカップって単なる総称だよ!」


「……それくらいわかる! が、ちょっと気になったからツッコんだだけで……」


「あきらって意外と変なところで細かいよね。なんか、おじさんぽいっていうか!」


 ……ほっとけよ……


 

 美咲の説明では【リコちゃんのティーパーティー】は人気アトラクションらしく、行楽日は30分以上の待ち時間はざらにあるらしい。


「よかったー! 次の回で乗れそうだね! やっぱり平日に来たの大正解!!」


 美咲はピョコピョコ跳ね跳んでからリーフレットを畳んでバッグに入れた。


「あきら、めっちゃ息切れてるね」


「……おじさんだからね」


「自分でそれ言っちゃうんだ!」


 お前がさっきそう言ったんだよ。

 

 ジトッと横目で見下ろすと美咲は急に黙り込んだ。なぜだか、見上げてるく表情はどこかソワソワしている感じがする。なにか言いたげななのに勿体ぶっているような。


「なんだよ」


「ね、さっき言いかけた話なんたけどさ」


 少し落としたトーンでそう言いながら美咲がピタッと張り付く距離で隣に立った。


「私、あきらの小説に挿絵描いちゃおうかな」


 はぁっ⁉ なんだ突然。


「大丈夫! 結構練習したからそこまで下手じゃないと思うよ!」


 早口に言い募る。


「いいアイデアじゃない?」

 

 まてまてまてまて。


「遠慮しておくよ」

 

「えー」


 そうだ、おふくろが写真なんかと一緒にスマホに送ってきていたな。結構可愛くかけていたと思うが、あんまりマジマジ見ないようにして即刻記憶から抹消したからな。ったく、何でもできちまうやつはこれだから……頼むからこれ以上俺の傷をえぐらないでくれ。

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