第1話 冴えない小説家志望の冴えない事情

 どこか遠くで鳴り続けている甲高い音はやけに規則正しく、そしてなぜか苛立ちを煽るような響きで。

 段々大きくなってくる。段々、大きく……



 スマホだ!!


 衝撃のように理解がやってきた瞬間、反射的に目が開いた。

 

 しまった! 寝過ごしたのか⁉


 布団の上であちこち手を滑らせると枕の横に埋もれるように硬い感触。


 切れるな! 切れるなよ!!

 

 着信の表示を確かめる余裕もなく耳に押し当てた。

 

「はい! 佐藤で……」

 

「亮(あきら)! なんですぐに出ないのよ~」


 予想外の甲高い声に一瞬何が起こっているのかわからなかった。枕もとで開きっぱなしつけっぱなしのノートパソコンを見ると7:37。薄っぺらいカーテンの向こうは明るい。間違いなく朝だ。


「ちょっと、亮! 聞いてるの⁉」


「……聞いているよ」

  

 お袋からか……バイト寝坊遅刻かと思って焦ったぞ。

 

「まさかこんな時間から寝てたんじゃないでしょうね!」


 いや、そのまさかなんだけれど。俺が深夜シフトで夜応答しないのをわかっていてこの時間にかけてくるのに。それを言いますか。


「こんな時間まで寝ててちゃんと間に合うの⁉」


 いや、だから深夜シフトなんだって。


「美咲ちゃん着くの9:16なのよ〜」


 は?


「着くって?」


「美咲ちゃんに決まってるでしょ!」


「どこに?」


「そっちに!」



 はぁぁぁああ⁉


「みさきって、あのちびっこの美咲?」


「バカねぇ。何寝ぼけてるの! ちびっこのはずないでしょ!」


 俺が大学生の頃小学生になったかならなかったかくらいだったか。俺が今年で確か38歳だった筈だから……まぁ、そうか。


「んで、その美咲が?」


「ちょっと! いい加減目を覚ましなさいよ!」


 お袋のキンキン声、続いてガサガサした雑音が、スマホに密着させていた俺の耳を攻撃する。

 

 興奮しすぎてスマホ落としたんじゃないだろうな。


「おひさしぶり〜!亮、元気してた?」


 雑音終了とともに朗らかに聞こえる声。少し低めで、サバサバした明るい性格が相変わらず隠さず声に出ている。


「美佐子さん、ご無沙汰しています」


「無理言っちゃってごめんね〜。美咲そっちに就職決まって下見に行くんだけど、ほら、慣れない東京を一人で歩かせるの、親としては心配でさ!」


 あー、つまり、道案内的な?


「亮が色々見てやってくれると安心だわ!」


 美佐子さんは、お袋と真逆であんまり女臭くない。でも、こういう有無を言わせないところは流石、お袋の小学校以来の親友というべきか。


「美佐子さんに頼まれたら行かないわけにいかないですよ。どこに何時です?」


 スマホの奥から「ちょっと、なんで美佐子の頼みは聞けてあたしのは聞けないのよ!」というお袋の叫びが。


 何だよ、スピーカーで聞いていたりするのか? 面倒くさいな。


 美佐子さんから必要事項を聞くと、お袋をよろしくお願いします。とだけ言って素早く通話を終了した。


  


 美咲と落ち合うことになっている駅まで電車で約25分。結構余裕あるな。早く出過ぎたか。朝飯も食べずに出てきたからな。適当に何処か店に入って時間を潰そう。何処かって言ってもまぁ、ファストフード店くらいしかないけれど。

 まだ通勤通学ラッシュの時間なんだな。人が多い。ここ何年かは夜が外出時間のメインだったからちょっと新鮮だ。


 運良く空いていたドア横の手すりを背に落ち着いた。座れないこともないが、座ったら最後、そのまま夢見ながらグルグルと乗り続けることになりそうな気がする。

 もう手癖レベルになっている動きでスマホのweb小説投稿サイトを開き、並ぶ文字に目を落とす。流し読みしつつ、スマホに呼び起こされる前に見ていた夢をぼんやり反芻する。

 

 映画を見ているみたいだったな。しかし、自分の書いている小説をまんま夢見るとは。



 

 更新が滞ってもう半年になる。

 続きがさっぱり書けない。


 

 俺だってはやりの異世界転生ものくらい書けると意気込んでWeb小説サイトに投稿し始めたのはいつからだったか。

 

 若いころから小説家になると嘯(うそぶ)きつつ今年で38歳。そのくせ誰に読ませるわけでもなくただ書いているだけではっきり言えば趣味の域を出ない。


 ずっとプロの小説家になりたかった。

 いや、少し違うか。

 

 中学の頃つるんでた悪友たちは、なぜかそろいもそろって絵が上手かった。ノリで漫画を描いてはクラスのやつらに読ませていた。その輪の中にいて描いていなかったのは俺一人だった。正直うらやましかったが、俺には絵心が全くなくてそんなことができるはずもなかった。練習すればよかったのかも知れない。でもいらぬプライドが邪魔をしていた。俺は字を書くのが好きだ。漫画じゃない。小説を書きたいんだと粋がっていた。そう、それが始まりだった。

 

 卒業してから全く会いもしなかった悪友の一人と再会したのは3年くらい前だったか。たまには親に顔を見せろと何度も言われた末に帰省した時だったっけ。懐かしさに話が盛り上がる中、奴はWeb小説を書いているのだと楽しそうに話していた。

 

 正直ショックだった。

 

 こいつはきっと今でも漫画を描いているんだろう。勝手にそう思っていた。なんでそんな当たり前のことに気が付かなかったのか。俺には字がある。そんな虚栄心は木っ端みじんになった。


 そうだ。字は誰にだって書ける。誰だって書こうと思えば書けるんだ。


 

 奴がその小説サイトで書き始めたのは、俺たちが再会する一年ほど前。ようやくフォロワーが30人を超えたと言っていた。ショートばかりだがもう何本も話をアップしている。と。


 

 俺は何をしていたんだろう。俺は今までどれくらい書いた。誰かから感想をもらったりしているか。


 何もしていなかった。

 何も、ない。

 

  

 Web小説の存在は知っていたし、少しばかり読んだりすることもある。だけど俺は、転生だとか、成り上がりだとか、そういうジャンルの小説には興味がないと言い続けていた。俺の作風は今の流行りと合っていないんだ。

 

 でも、それはいいわけだったんだろう。

 奴の笑顔が、ガツンとそれを思い知らせてくれた。


 

 だから。


 

 やってやろう。俺だってやろうと思えばやれる。


 それがこの小説の始まり。


 

 二人の少女が異世界に召喚される。

 

 片や、世界を救う聖女として。

 片や、世界を滅ぼす魔女として。

 

 戦う二人の結末は。元の世界への帰還なのか、それとも召喚された立場のまま、その世界で終わりを迎えるのか。

 決められないままずるずると時間が過ぎていく。



 

 投稿サイトでは互いに読み合って交流を持っている人達がいる。きっとそういう付き合いが読者の幅を広げるのに一役かっているのかも知れない、とは思う。

 だけど、俺はそういうのが苦手だ。面倒くさいし、初めは積極的な関わりでもそのうち義務感での付き合いになりそうな気がするのも気が進まない理由だった。

 誰とも付き合いはないけれど、更新が頻繁だった頃にはわずかでも読んでくれている人がいるらしくそれなりに閲覧数があった。フォローしてくれる人もいた。まぁ、たった二人だが。それでも嬉しくて筆が進んだ記憶がある。

 が、更新が滞ってからはあっいう間にその数字は減って、今はほぼ閲覧者数はないに等しい。


  

 もう……やめるか……


 



 

 美咲は見違える程成長していた。というか、名乗られるまで誰かわからなかった、が正解で。

 とりあえず落ち着けるところに移動しようという話になって歩き始めた。美咲が後ろからついてきているのを時々確認しながら改札の外を目指す。流されるような駅構内の人混みを抜けたところで、ようやく俺の隣に並んで立てた美咲を改めてちらっと横目で見た。

 背、高いな。俺より少し低いくらいだから160cm以上あるかも。


「ん? なに?」


 俺の視線に気が付いた美咲が首を傾げた。肩に軽く乗るくらいのまっすぐな髪がするする流れ落ちるみたいに揺れる。

 少し先の信号を気にする体で前を向いた。妙に喉元に居心地悪いような違和感を感じる。

 

「え、あー、いやなに」


 おい、何どもってるんだ、俺。


「さっきの話さ……」


 あやしくないように話をつなげ、俺。いや、別に何もやましいところはないんだけど。

 

「Kanonってカメラの?」

 

「そうだよ」


 何とか美咲の就職先の話につないだ。

 信号待ちの交差点で少し足が止まる。

 

「めちゃくちゃ大手じゃないか……お前、すごいところに就職したんだな。それも本社だろ?」

 

「ただの事務職だよ〜」

 

 笑って言うけどな、俺なんてフリーターだからな……

 

「やっぱり、好きなことをしたいもん。少しでもカメラに関わるところで!」


 同意を求めるような顔で俺の目をじっと覗き込んでくる。


 おま……ちょっと、近いぞ! 小学生か⁉ そんなでっかい図体で腕にしがみつくな!

 

 美咲の両腕にホールドされかけた右腕を急いで引き寄せた。瞬間的に美咲の瞼のあたりが剣呑な気配になって、俺はリュックサックの肩ベルトを右手で掴んでかかり具合を直す。別に違和感はないんだけれど。そのために腕を引いたんだよ、って感じの動きはやっぱりわざとらしかったか。


「ほら、青になった。行くぞ」


 信号に目をやって促すと不満そうに下唇をつきだすのが目の端に見えた。こんなにでかくなってもそのクセ変わらないんだな。

 

 

 好きなこと、か。そういや、お袋が絶賛してたな。こいつの撮ったやつ。頼んでもいないのにスマホに送ってくるもんだから、見ているけど、まぁ、たしかにどこか印象的な感じではあった。

 

「あきらは今もフリーターなんだよね? 弘美さんが溜息ついてたけど」

 

 お袋。そんなこと話題にするなよ……まぁ、するか……この歳でフリーターはないよなぁ。


「なんでフリーターなの?」


 聞いてくれるな。そして、放っておけ。俺のことは。

 

「小説家になる夢、まだ頑張ってるんだ?」


 思わず足が止まった。

 俺を追い越して数歩前に歩み出た美咲が振り返る。

 

「……何でそれ知って……」


「だってあきらが自分で話したじゃない」

 

 話した? いつ? 記憶にないんだが。

 

「【イチジョウカナト】」


 ⁉


 あからさまに驚いた顔になっているだろう俺を見て美咲はフフンと鼻を鳴らした。


「【一条叶斗】って、あきらのペンネームだよね?」

 

 え? 


「帰省したときに話してくれたよ」


 ええっ⁉


「私が小学3年生のとき」


 確かに話したことがあった気もする……が……いや、また、なんでそんなに昔のことを覚えている⁉


 美咲はステップを踏むみたいな足取りでやってきて俺の前に立った。意味深に笑みを浮かべている。


 居心地悪さに俺は視線を外すと歩き始めた。まだ立ち止まっている美咲に、すれ違いざま、ほら行くぞ、と目線で軽く促して。

 まったく、歳上をからかうのも大概に……

 

「続き! 楽しみにしてるんだけどな!!」


 背後からの叫びは街の喧騒の中でも浮き立つ大音量で。振り返って目にした美咲は笑っていなかった。

 

「【終末のラトハノア】!!」

 

 ば……

 

「こんな道の真ん中で言うか!」


 駆け寄って美咲の口を手のひらで覆った。

 瞬間、美咲が弾けるように笑い出す。美咲の唇の柔らかさにギョッとしつつ素早く手を引っ込めた。


「ごめん!」


 相手はもう小学生のちびじゃなくて成人女性だった。うっかりやってしまったけれど、絵面的にもアウトだよな……


 手のひらに残る柔らかい感触が生々しくて、それを追い出すようにぎゅっと握りしめた。

 

「……よくわかったな、その、俺がwebで書いているって……」


「だって、ペンネームが聞いていたのそのまんまだったし」


 笑い過ぎの涙をハンカチで押さえながら美咲は首を傾げる。


 ……迂闊だった……まぁ、人に読まれる前提で書いているし読まれてまずい内容でもないんだけれど、こう、なんというか……


「あきら?」


 別に悪いことをしているわけではないのに、なんとなくきまり悪い。行き詰まっているだけに、きまり悪いの一言につきる……


「ちゃんとね、フォローして続き待ってるんだよ?」


「ええ⁉」


 美咲がフォロワーの一人だったのか!


「嬉しいような、がっかりなような」


「なんでがっかりなのよ!」


「いや、だって、知らない誰かが知らない俺の話を好きになって読んでくれているんだなぁって嬉しく思っていたのに、その一人が美咲だって知ったもんだから……」


「えー、なに、それ酷くない?」

 

 話したときのことははっきり覚えていないが、当時の俺は、小学生相手に話したところでわかりやしないし、どうせすぐ忘れてしまうだろうって思っていたんだろうな。たぶん。しかし、その当時小学生が、まさかのフォロワー。


「美咲はほとんど身内みたいなもんだろ。身内にフォローされているのってなんだかお付き合い的な……というか、お情け的な感じがして……」


「身内のフォローはお情けフォローって感じるわけね……まぁいいわ。許しましょう! 身内だから!」


 なぜだか美咲は納得した顔でそう言った。

 

 

 俺たちはまた並んで歩き始めた。

 

 美咲はもうアパートの契約を済ませていて、入れるようになる来週、引っ越してくるらしい。

 この辺は数年前まで住んでいたし、その頃とそう代わり映えもないから、案内は難しくない。ちょっと家賃高めの場所だから俺は他所に引っ越したけれど、店も多いし暮らしやすい。そういう理由で多分お袋あたりがここを勧めたんだと思う。でも、美咲の職場からはちょっと遠くないか?


「Kanonの職員寮を利用すれば便利だったんじゃないのか?」


「だってないもん」


「ないのか!」


「そう!」


「それにしたってもっと職場に近いところにすべきだろう。ここだと、よっぽど俺のアパートのほうが近いくらいだ」

 

「でしょ! ごはん作りにいってあげようか」


「いや、遠慮しておくよ……」


「料理上手いんだよ!」


「そういうのはなぁ、彼氏だけにしておけ」


「そんなのいないよ?」


 ……そうなんだ。


 

 他愛ない話をしながら買い物に便利なところだとか飯が美味いところをざっと案内したところで昼食にちょうどいい時間になった。美咲の希望で店を決め、腰を落ち着ける。

 昼食の定番的な和食系の店は、味も量もそこそこで雰囲気も悪くないが、長居できるようなタイプの場所じゃない。正直なところ、俺はすでに足がくたびれきっていたから、この辺で帰って一眠りしたいところなんだが。


「そういえば、美咲。帰りの新幹線、何時だ?」


「22:12だったかな」


「……それまでなにする予定でいた?」


「え、あきらと一緒にいるつもりだったけど」


 途中から予想できた返事だけど、俺は聞いていないぞ?


「弘美さんが、あきら今日休みだから一番遅いので帰ればいいわよ、って」


 そう言えばお袋に今月のシフト聞かれた覚えあるな。

 

 ……

 

 ……


 仕方ない。


「どこか行きたいところはあるか?」


「いいの⁉」


「いいもなにも、そういう予定だったんだろう?」


 俺がそう言い切るか言い切らないかのうちに美咲はバッグから折りたたんだ紙を一枚取り出していた。

 

「これ! これに行きたい!」


 目の前にパッと突きつけるみたいに広げられたそれに俺は思わずため息をついた。

 

 足が死にかけている今、よりにもよってこれか!

 

 最近話題の遊園地。普段そんなところとは縁のない俺でもCMを何度も見て名前くらいは知ってはいる。職場でもよく話題に上がる。人気の施設らしい。


 広げた広告の上端から半分だけ顔が覗いている美咲の眉が曇る。


「ダメ?」


 美咲は広告をゆるゆると引っ込めた。引っ込めてはいるが広げてこっちに見せたままなのが、どうしても行きたいという意思表示っぽい。広告に隠れた下唇が突き出しているのが見なくても想像できる。


「ねぇ、あきら、なんで笑ってるの?」


 ごめんごめん、笑っていたか。


「まぁ、仕方ないな」


「え! いいの⁉ やった!」


 美咲は祈るみたいに両手を顔の前で握りしめた。

 瞬間広告は美咲の手の中に握りつぶされる。


「あ!」


 慌てて美咲は広告を広げ丁寧に伸ばして元通りに畳んだ。ごめんね、って呟いているのがなんだか可笑しい。


「広告なくても道わかるから大丈夫だよ」


「記念の広告ちゃんだからね〜」


 歌うみたいに言って美咲は広告をバッグにしまった。


 変なやつだなぁ。


 決まったからにはさっさと移動だ。乗り継いで1時間くらいはかかるぞ。


「この時間からだと新幹線の時間から逆算して、滞在時間5時間程か?」


「充分よ!」


 まぁ、そうだな。終わる頃には俺の足は再起不能なくらいガタガタになっている筈。

 

「ここの見所は夜景なんだから!」


 らしいな。

 CMで見た光の海は確かにきれいだったし。まぁ、話のネタとして実際見に行くのもありか。


 決まったのなら時間を無駄にする理由はない。すでに鼻歌と浮かれた足取りの美咲を伴い駅へ向い歩く。

 

 友人とすら……いや、そんな友人がそもそもいないということはおいておくとして……普段そんなところへ行かない俺が遊園地。それも女と二人きりだ。まぁ、美咲のお守りなわけだけど。なんていうか、こういうのって妙にこそばゆいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る