第20話 聖女か神官見習いか 2
ナグムは何も言わない、黙って俺を見ている。
よく考えろ、俺。ルディアは【可能性がある】と書いた。何かあるんじゃないか。
ここは取り敢えず堂々としていよう。
しかしなぁ……武器のこともそうだけれど、神の声が聞こえないっていうのが不味いよなぁ。そのうち聞こえるようになるんだろうか。
……だめだ。声のことも黙っていよう……
「それでは」
気まずい静寂を破ってナグムが口を開いた。
「私についてきて下さい」
俺が頷くと、ごく自然にサイラスが俺を抱き上げる。部屋に戻ってくるときと同じだ。
「いいよ。 自分で歩けるよ」
「駄目だよ。まだ少しふらついているように見える」
いや、でもなんか、落ち着かないんだよ。アイシャの部分が妙にそわそわしてさ。
「大丈夫だから」
降ろしてくれ。
「駄目」
……過保護だなぁ……
でもまぁ、いいか。
そわそわしつつもアイシャが喜んでいる感じもするし。
慣れるしかないか。
いつまでもこんな問答をしていたら黙って待ってくれているナグムに申し訳ないしね。
部屋の外に出ると扉の脇に青紫襟の神官が一人立っていた。
「副神官長の【ノォラ・ルウ・エノン】です」
会釈され慌てて頭を下げた。
お袋くらいの歳かな。60歳くらいか。白髪混じりだけど、雰囲気が若々しい。青味がかった灰色の瞳は柔和。サイラスと同じくらいの目の高さのスラッとした女性だ。
ノォラを加えた4人で、宿舎の廊下をすれ違う神官や見習いと会釈を交わしつつ、朝通ってきた聖堂の扉にたどり着く。聖堂に入ると茶襟の少年たちが清掃をしているところだった。
その見習い神官達にノォラが声を掛ける。
「これから暫く込み入ったお話が必要なため、聖堂に立ち入らぬよう、お静かにお願いします」
見習い神官たちは素直に掃除用の桶などを持つと会釈して宿舎の扉から聖堂を出ていく。
女神像の前を通り、宿舎扉の反対側、女神像を挟んで対照にある扉の前に案内された。
ナグムの首から下げられた鍵で扉を解錠。そして中に入るのはナグムと俺達二人。ノォラを扉の外に待たせるのは、人払いのためだろう。
聖堂は一般人も使う開かれた場所の筈なんだけれど。随分と厳重だな。
部屋に入ってすぐ見えるのは最奥の壁に掛けられたタペストリー。大人の背丈より大きい。高い位置に吊ってあるが床に到達する長さだ。遠目にもわかるくらい分厚い布に刺繍されているのは女神レイネス。その縁を囲んだ模様に見覚えがある。この世界で目覚めたとき、アイシャの部屋で見たレリーフや鏡の縁と同じだ。この縁模様も女神を表すものなんだろう。今気がついたけれど、法衣の腰帯も同じ模様だった。
部屋右手、唯一の窓横に子供の学習机程のこぢんまりとした書卓。その上には礼拝のときに開かれていたものらしい大振りの書物が一冊。それから、書卓の横にきれいに本が並んだ小さな棚。
左壁寄り真ん中あたりには応接用らしい長椅子二脚とその間に背の低い卓子。
「ここは、神官長の書斎となっており、悩み深く個人的にお話を希望される方をお通ししている部屋でもあります」
うん。ここで話を?
自分が書いている話にこの流れがないのでさっぱりわからない。
「暫くお待ち下さい」
ナグムは言い、窓に掛布をおろした。そして書卓上にあった手燭(てしょく)に火を入れる。
窓の光はある程度遮られているが、それが必要な程の暗さとは思えない。一体これから何をするつもりなんだ。
言われた通りその場で待ちつつナグムの動向を黙って見守る。俺を抱える位置が下がってきたのか、サイラスが小さく揺すり上げるように抱え直した。
「サイラス。もう、降ろしていいよ」
熱っぽさもふらつきもないしね。大丈夫だと思う。
「何故?」
「だって重いでしょ」
と、サイラスはあからさまにむっとした顔になった。
「重いわけない!」
ええっ、何でそこで君が怒るんだよ!
ナグムが少し振り返って薄く微笑む。
緊張感がないと思われたかな。
直ぐに書卓へ向き直って教典を手に取るナグムを横目にサイラスが頬と頬を添わせるみたいに寄せてきた。俺の中でアイシャが飛び上がりそうに胸を騒がせて、俺は息が止まる。
サ、サイラス! 近すぎるって!
いや、朝も同じ距離感だったけれど、ほら、なんというか、いきなり、不意打ちみたいにゼロ距離になるのはやっぱりどうかと……
「あなたは」
サイラスのためらいがちな息のような声音が、俺の耳をくすぐる。
「第七節を知っていますか?」
あれ、丁寧口調。それは俺に対する質問なんだ?
質問は俺にもアイシャにも予想外のもの。おかげで困った動悸は少し静かになった気がするけれど。
サイラスがどういうつもりでそれを聞いたのか今ひとつピンとこなくて俺は首を傾げた。
第七節……【神々の詩】の、だよな。大分苦し紛れに書いた感のある部分で、自分の書いたものにも関わらず、正直なところ、一字一句間違えずに覚えていると言えない。確か、愛紗に持たせた刀について必然性を持たせるためのものだったんだよな……
それがあるのに、俺がそれらしいものを所持していないから、ナグムは問いただしているんだと思ったんだけれど。
「それはどういう意味?」
つられて声を潜めつつ尋ねると、サイラスは黙っている。少し体を離して顔を見ると、サイラスは困惑の表情。
ん? そういえば、サイラスはちゃんと神官として勉強しているはずなのに、俺が手ぶらでも何も言わなかったな。それをいうならルディアもか。
でも、まぁ、なんというか、それどころじゃなかった感じだったしなぁ。
サイラスは静かに深く息を吸い、少し硬い表情で躊躇いがちに口を開く。
「第七節は……」
突然、カチリと、小さいが硬質な音が響いた。
俺もサイラスも音の出所であるナグムの方に視線を引き戻される。
教典の表紙裏に何か細い針の様なものを刺しているのがナグムの肩越しに見えた。
刺したものをひねるように回して引き抜く。
表紙裏に掌を当て、そっと撫でるように横に動かす。と、模様のように見えていた表紙裏の内張りが一部滑って外れた。そこからつまみ出されたのは小さな鍵。
内張りを丁寧に戻し細長いものを背表紙に刺して収めるとナグムは振り返った。
「お待たせ致しました」
俺とサイラスは黙って首を縦に振る。
ナグムは静かに部屋の奥へと歩いていく。そしてタペストリーの前に立った。
「サイラス君。私の代わりにこの紐を引いて下さい」
名を呼ばれるとは思いもしなかったらしいサイラスが飛び上がるように背筋を伸ばした。
そのまま歩き出そうとするから軽く肩を叩いて降ろしてくれと目配せした。ぎこちなく頷くサイラス。
緊張してるな……ガチガチだ。
まぁ、わかるけれど。
サイラスは俺を床に降ろしてくれた。ガチガチなのに、そっと、ふわっと、静かに降ろしてくれるのはサイラスらしいというか、ちょっと、なんか、尊敬に値する。こういうシチュエーションで元の俺は多分同じようにはできない。
「歳を取ると力のいる仕事は少しでも骨が折れていけないね」
サイラスの緊張を和らげるためか、ナグムは静かに微笑んだ。
女神のタペストリーに近づくと遠目には見えなかったが、横の縁に沿うように長い紐が下がっていた。ナグムに促されサイラスはゆっくりとその輪になっている紐を回すように引き下ろす。紐を引くたびにタペストリーが巻き上げられて、その後ろの壁が見えてくる。
「そのくらいで結構です」
三分の二ほど巻き上げたところでナグムがサイラスの手を止めさせた。
見えるのは他の壁と同じような羽目板の壁。
手灯を壁の一部に寄せ照らすナグム。そこには小さな窪みが。
違う。鍵穴だ。
手にした小さなカギをナグムが差し込む。回すとカチリと解錠した音が響いた。
ナグムが鍵穴の場所を押すとタペストリーの真ん中あたりを軸に壁の一部が回った。
回転扉……隠し扉だ。サイラスが少し身をかがめないと通れないくらいの大きさの小さな隠し扉。
「こちらへ」
ナグムはひとことそう言って、遠慮がちに少しだけ開いた隠し扉の隙間から中を手灯で照らしつつ入っていく。俺とサイラスもそのあとに続いた。
中は窓もない通路。手灯が無かったら何も見えなかっただろう。5,6歩進んだところで行き止まりになった。そしてその壁には扉。今度は隠し扉ではない。
ナグムは手元の鍵をチャリンと鳴らし持ち直す。よく見ると輪でつながってもう一つ鍵が付いている。
厳重過ぎる。何があるんだ?
解錠。
そして扉が開かれる。
その奥にあったのは階段だった。暗く沈み込むように地下へと続いていた。
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