第35話 愚かな男の悪足搔き
「あのっ小娘が!!」
サーランド王国の国王、ベイル・イオニス・サーランドは執務室で怒り狂っていた。放り投げられたワイングラスは、壁に当たって粉々に砕け散る。
飲み物を持って来たメイドは、怒りを露わにするベイルの視界に入らぬ様に部屋の片隅へと移動する。
大陸会議から戻るなりベイルはずっとこの調子で、毎日の様に酒を飲んでは荒れ狂っている。
年若いメイド達はいつかその怒りの矛先が、自分に向くのではないかと恐怖に震えていた。
以前聖女ミアの活躍により、国内に出現したドラゴンが撃退された時もベイルは荒れた。ドラゴンの撃退など、ベイルとて達成したことは無い。
その栄誉を小娘に掻っ攫われたと、嫉妬心から暫く機嫌が悪かった。その頃に、1人のメイドが辞職している。
聖女ミアに見た目がやや似ていた為に、そのストレスの捌け口にされたのだ。噂ではそのメイドは、夜な夜な何度も寝室に呼ばれていたと言う目撃証言もあった。
「ベイル様、お酒はその辺で」
「分かっている!!」
「今日はもう、お休みになられた方が良いかと」
ベイルの補佐役であり、世話役でもある壮年の執事がベイルを諌める。執事の名はローウェル、長年に渡りサーランド王家の世話役をして来た家系に生まれた男性だ。
今では引退した身だが、現役時代は王家の懐刀としても活躍していた。若い頃は諜報や暗殺で、引退すると執事として仕えるのが彼の家系では慣例となっている。
そんなローウェルは、当然大陸会議にも同席していた。だからベイルが荒れている理由も知っている。
アニス王国の女王、邪神に認められし魔女イリア。その覇気に当てられ、恐れを抱いてしまった事が原因だ。
あれは仕方がないと、同席していたローウェルは考えている。明らかに普通の人間ではない、特別な何かがあるとローウェルは直感で感じた。
諜報員として、暗殺者としてやって来た直感が勝てないとすぐに分かった。イリアの隣に居たオーレル帝国の女帝、レミアの反応こそが普通であるとローウェルは思った。
他の代表者達も、良くアレに耐えたものだとローウェルは心の中で賛辞を送っていた。
「おい、ローウェル。お前なら殺れるか?」
「…………恐れながら陛下、私共の様なただの暗殺者には不可能でしょう」
「クソッ!」
ベイルは忌々しそうに机に拳を叩きつける。わざわざローウェルが、私共と言った事の意味を理解したからだ。
つまり引退したかつての強者、ローウェルだけでなく現当主ですらイリアは殺せないと言う意味だ。
東の大国であるサーランド王国の、王家が代々使って来た懐刀でも暗殺は不可能。そうなるとベイルに出来る事は限られてしまう。
表立って戦争となると、距離があり過ぎる。何より邪神の話も真実であるなら、普通に戦争を仕掛けて勝てる筈もない。
そもそもイリアにすら勝てるか怪しいのだから。それならばと近隣国に呼び掛けて、連合軍を作る事もベイルは考えた。
しかしどの国もイリアの力を見て、萎縮してしまっている。呼び掛けても無視されるか、最悪ベイルの首を差し出される可能性まであった。
「誰でも良い、殺せる奴を探せ!」
「陛下、それは……」
「良いから探せ! 金なら幾らでも出す!」
あの娘には手を出すべきではないと、忠告をしようとするローウェルをベイルは遮る。今やベイルは、イリアの事しか頭にない。
自分で喧嘩を吹っ掛けておいて、大恥をかいたのはベイルの自業自得だ。にも関わらず、未だに諦めようとしない。
振り上げた拳の、下ろす場所が見つからないのだ。何よりも大陸会議と言う、大きな舞台だったのが不味かった。
あれ以来、周辺国が態度を変え始めた。サーランドと関わると、魔女の不興を買うと囁かれ出したのだ。どの国が始めたのか不明だが、明らかに距離を取られていた。
「俺は認めねぇ、あんな小娘に仕切られてたまるか!」
「ベイル様、お酒はもう」
「煩い!」
引き際を間違えたベイルは、もう後ろには下がれない。状況がそれを許してはくれない。今はまだ問題になっていないが、このままでは国力の低下は免れない。
緩やかに友好国との関係が崩れ始めている。自分の過ちを認める事はベイルのプライドが許さず、反イリアを貫く以外の道を選べない。
これで負けを認めては、歴代最悪の国王になるのは確定だ。戦争すらせずに敗北した王として、サーランドの歴史に名を残してしまう。
そんな事は、ベイルには到底耐えられる話ではない。最早ひたすらに前に進み続けるしかなかった。国として前進かと言えば怪しい所だが。
「今に見ていろ、小娘が」
「ベイル様、どちらへ……」
「寝室だ……おいそこのメイド、後で俺の部屋に来い」
「ヒッ!?」
執務室を出る直前に、ベイルは隠れる様にしていたメイドの娘を目聡く見つけた。まだ若いメイドの少女は、一縷の望みに賭けてローウェルを見やる。
しかしローウェルは、申し訳なさそうに首を横に振った。絶望感からメイドの少女は膝から崩れ落ちる。
これから自身に降りかかる悪夢を想像して、ガタガタと震える事しか出来ない。ベイルが退室した後の執務室には、少女の嗚咽だけが残されていた。
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