十二 太乙救苦天尊 参

 都となると兎に角、人が多い。それが、皇都がある麟省りんしょうと隣接しているともなれば。

 陽皇国は麟省を中心にぐるりと囲うようにして他省がある。先ず、麟省に隣接した四つ。東に綠省ろくしょう、西に柑省かんしょう、南に墨省ぼくしょう、北に菫省きんしょう。更に、その四つの省の外周に、東に桜省おうしょう、西に雲省うんしょう、南に藍省らんしょう、そして北に丹省たんしょうである。


 最北端である丹省は陽皇国の中でも一番人口が少ない。霊峰白仙山れいほうはくせんさんの影響を受けた肥沃な土地でこそあるが、何も無い土地とも言われているのだ。有名どころは酒と薬。薬学に関しては中央政府管理下の太学よりも、丹省に学びに来る者がある程の知名度である。優秀な医者が多く生まれる程の土地。恵の多き土地。さりとて、極寒の気候と命すら危うい冬の存在からは目を逸らせない。そんな北の都と中央政府から近い緑省の都とではどうやっても格差が生まれるのも当然のことである。


 溢れんばかりの人の波をかき分けながら、騶潤は時折、すんと鼻を鳴らした。様々な匂いを嗅ぎ分けながら、足取りはしっかりとしたものだ。その、視線の先。


「いた」


 人混みの向こう。まだ距離があり頭が見えるかどうかだったが、騶潤は顔を見ることもなく確信した口振で言った。


「どうするよ。このまま後つけるのか?」

「いや、正面から行く」


 あまりにも愚直な言葉に騶潤は呆れる。

 

「……また世間知らずの体か」


 蚩尤は「ああ」と答え、しかし蚩尤もまた騶潤とは違う確信を持っていた。

 

「あの男の口ぶりは布教か、話を広めたいかだ。話に乗ってきた者がいたとしても何も不思議ではない。寧ろ、どんな反応をするか……」

「興味本位かよ」

「下手に後をつければ警戒される可能性もある。疑心を植え付けたくは無い」


 騶潤は蚩尤の口ぶりに戸惑う。騶潤のような確信にも近い考えを口にする姿は、既に何か警戒すべき要因を鑑みているようでもある。


「あんた……」

「念の為だ。深く考えるな」


 落ち着いた声音。蚩尤の発する言葉の大凡はそれだが、いつも何処かに確信を持っているようにも思えた。自尊心や傲慢な考えではないだろう。それだけは、既に六年という歳月で実感していた。蚩尤――がくという人物は、頭で考えるが行動派でもある。しかしながら何かと慎重で、役人気質のような面もなく、騶潤は蚩尤が貴族と理解していても、時々忘れるほどだった。


「それで、いつ行く」

「さっさと行こう。日が暮れる」


 昼が過ぎ、太陽が刻々と西に向かっている。まだ日が暮れるという程ではないが、ぐずぐずしていたらそれも有り得る話だろう。蚩尤も男の頭を見つけたのか、歩調が速まった。


「そうだな、さっさと戻って昼飯を届けてやらんとな」


 退屈に過ごしているであろうユマの顔を浮かべて、騶潤も蚩尤に並ぶように足を動かした。


 ◇


「おや、あなた方は……」


 追いついた先で声を掛けた若い男は、にこりと笑った。話があると言えば、若い男は快く受け入れて人混みから逃げるように大通りから逸れた路地へと入り込んだ。口調は変わらず礼儀正しいが、目を細めて笑う姿は少々胡散臭も感じる。若い男の手始めの対応で、詐欺師のようだと感じた印象が抜けないのもあるだろう。しかし、騶潤は勿論、蚩尤も当然だがおくびにも出さなかった。

 

「何か御用でしょうか。先ほどのご様子では、共感していただけたとは思えませんでしたが」

「そもそも、突然あのような話をした所で、共感する者は少ないのでは?」

「はは、実を言うとそうなんですよ。大抵が、死後のことなぞよりも今が重要だと言い返されてしまいます。皆様、その日を生きるのに必死のようで」


 若い男は自重気味に、はははと乾いた笑いをして見せた。布教を勧める様子とは違い、少々やぶさかである。

 

「あなたは違うのか?」

「信仰が生き甲斐ですので、私の行動が太乙救苦天尊の信仰を広める一助になれたのであれば本望です」


 貼り付けたような笑みとは違い、男の信仰心だけは本心からあるのだと言わんばかりの振る舞い。若い男は言い切ると笑を消し、それまで細めていた目を薄く開いて「それで」と続けた。


「本題に入りましょう。私は、とう仲躬ちゅうきゅうと申します。死後に何を求めて、私を追いかけてきたのでしょうか?」


 蚩尤と騶潤は目線を合わせる。これといって意味は無い行為だ。ただ、思わせぶりのような仕草でしかない。


「俺の妹が今、件の黒い病に侵されている。そう永くは無いだろう。だが、病を治す薬があると噂で耳にした。しかも、死後に効果があると……何か、ご存知無いだろうか」


 蚩尤は目を伏せて声を落とす。普段は淡々と話す口調が気落ちした様子は、騶潤の目から見てもそれらしかった。


「太乙救苦天尊を崇めたのなら死後に救いがある……その言葉に引っ掛かりを覚えたと」

「ああ、今はどんな――些細な噂でも構わない。妹が治る術に繋がるのであれば手段は問わないし、金も……」


 若い男は、単調に「なるほど」と答える。興味があるのか無いのか、今一つ反応は薄い。

 

「ええ、ええ、そういった方は珍しくはないですね。神殿も黒い病を治そうと躍起になっているようですが、人手が足りていないと言うのは耳にしています。治療が直ぐに受けられないとなれば不安でしょう。ですが……そちらの方は?」


 それまで蚩尤と交わしていた董仲躬の視線が、騶潤へと向く。しかし、蚩尤はにべもなく述べた。

 

「ただの下男だ。両親が俺だけでは心許ないと」


 旅装とはいえ、二人の服装には格差があるだろう。それを見比べるように眺めて、何か納得したようにとう仲躬ちゅうきゅうと名乗った男は一つ頷いて口角を釣り上げた。

 

「良いでしょう。あなたも“無死むし妙薬みょうやく”が必要なようだ」


 反応を示した董仲躬は自らの信奉する神を語った時と同じく、満面の笑みを浮かべる。対照的に、蚩尤表情が曇る。


無死むし……とは、経典の記述にある異能のことか?」


 蚩尤は、躊躇いながらも董仲躬とうちゅうきゅうへと問う。『無死』とは――太古の世に顕現した『宵闇の異形』を討ち取ったとされる人物の異能である。


『その男、その身に死を持たず』

『幾度と死を迎えるも、十度目の死をもって異形の首を落としたのだった』


 蚩尤の脳裏には直ぐ様に経典の一節が脳裏に浮かんだ。死とは無縁になった男。経典によれば、その男は神により異能を授かったとされている。


「おや、随分と熱心に経典を読まれる方でしたか」

「趣味のようなものだ。それで、無死とはどう言うことだ」

「言葉のままには受け取れませんよね。何せ、無死とは異能ですから」


 董仲躬は、含みを持たせるように薄らと笑みを見せた。


「この薬――一度、死んでいただく必要があるのですよ」

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