十一 太乙救苦天尊 贰

 常夜とこよとは。その名の通り、常に夜の世――死者が辿り着く先である。『夢のかよ』とも呼ばれるが、自力で辿り着けるのは死者か夢見か果ては――。常に夜であるが故、暗闇にも等しいそこで、上空を高く飛ぶユマの目にはキラキラと――日の光を帯びた川面のような煌めきが映った。それが、幾重もの道となって、ユマに何かを示そうとする姿は、幻想のようでもある。が、ユマはその道を見向きもせずに、暗闇ばかりを目で追っていた。


 鷹の姿で、高く高く。暗闇の中では、どちらが上でどちらが下かも判別がつかなくなりそうな高さで、ユマは全てを見渡した。眠りの先にある夢の、現世うつしよの境目。その垣根を越えて辿り着く常夜とこよは果て無く夜が続くのに、ユマの瞳には不思議と様々なものが映った。ぼんやりと、夜の道を人が提灯でも持って歩いているかのように仄かに光る何か。

 そう、あれは――人の命の色だ。


 ◆


「この街……少し変」


 夢から戻ったユマが、最初に放った言葉だった。蚩尤と騶潤が出かけてしまい、留守番を仰せつかった雷堂は一人、やる事もなくユマの目覚めを待っていた。そのユマが、寝覚めて早々に不穏な言葉を吐く。寝台の上で呆然とする姿は寝ぼけまなこの子供同然で十三歳程度という年頃よりも幼く見える。視線は雷堂とは噛み合わず、未だ夢と現の境目を彷徨っているようだった。


「何がだ?」


 そう大きくはない宿泊所。二人相部屋の為、多少広さはあるが、それでも簡素な二つの寝台と古びた机と椅子で部屋は狭く感じる。その寝台の一つで、むくりと起き上がったユマに向かって、雷堂は水差しから汲んだ水を差し出した。まだ寝ぼけ目は続いたが、それでも水は素直に受け取って喉を潤す。そこで漸くしっかりと目が覚めたのか、ユマの目がパチリと開いて、つぶらな瞳が顔を出した。


「うーんとね、ぼんやりしている人がいる」

「それは……どういう意味だ?」

「……うーん……なんかね、こう……」


 ユマはなんとか夢の中で見たものを言葉にしようとじたばたと手を動かしてみるが、今一つ語彙が出てこないのか「うーん」と唸り続ける。


「違和感があると言う事か?」

「うん、そんな感じ。丹で見たもそうだったから」


 とは、丹で蚩尤と騶潤が脅した兄弟の兄のことだろう。元より、その兄の病を見つけたのもユマだ。夢見の目でしか見えない世界を、雷堂が言葉もなく読み取るのは難しい――いや、夢見以外は理解し難い世界なのやもしれない。


「ぼやけてる感じがするの」

「ぼやける?」

「うん、魂がこう……靄がかかってるみたいな」


 表現の一つ一つが曖昧で、ユマもどう言って良いかが判らない。なんとか言葉にしようと考えてはいるが、どうやら限界のようである。


「あのね、私は遠くから見つけることは得意なんだけど、どうしてもぼんやりしちゃうの……」

「ああ、なるほど」


 雷堂はユマの対面の寝台に腰掛けると、ユマの言いたいことを理解したように一つ頷いた。


「夢見にも個人差があるとは聞いたことがあるが」

「うん、人によってできることと、できないことは違うよ。神子みこさまみたいな人は何でもできるんだろうけど」


 神子――文字通り、神の子とされるその人は、現在皇都神殿に住まうただ一人とされている。白銀の髪を持ち、神の言葉を伝えるが為に人のはらを介して生まれる存在。だが、あまりにも表立って姿を見せることは無い為、平民どころか、雷堂のような貴族にとっても神子なる存在は雲の上の人にも等しい。個人的な面会が叶うとすれば、神子と同身分とされる皇帝陛下か、神子の人としての血筋の三等身までだ。神同然に奉られ、おいそれと他と比べることも畏れ多い存在である。ユマとしては万能な存在は早々居ないと言いたいのだろう。


「人の夢を見るのも苦手だし、誰が誰か区別はよくわかんない」

「へえ、夢見の能力の差ってそんな感じなのか」

「私も詳しいわけじゃないの。騶潤の話を聞いていると、そんな感じなんだなって」

「あいつは……?」

「騶潤は他人ひとの夢が見えるみたい。私みたいに色で見えることは無いんだって」


 言われて、雷堂はもう一つ「へえ」と相槌を打つ。夢見の存在自体が希少である為、なかなかに聞く機会のない話だ。夢見の力が無い雷堂にとって無縁の話のようで、今後も騶潤とユマに関わるとなると重要である。


「そういや、色ってのは……」

「なんていうか……魂の色……みたいな……人によって違うんだけど。獣人族だと、ぼんやりだけど獣の姿が見えることもあるかな」

「龍は?」

「龍は見えないよ。だから、人と同じ魂の色だけ」

「なんでだ?」

「だって、龍は黄泉の道へ向かわないもの」


 雷堂は気の抜けたような声で、「ああ」と納得した。

 龍人族の寿命は五百年と定まっている。五百年生きた龍は、応龍おうりゅうとなりて神々が住む世である幻夢げんむへと旅立つ。五百年の定命ていめいを全う出来なかった魂は、現世を彷徨い再び生まれ直すのだと云われている。どうやっても『人』とされる者達が向かう、黄泉の道とは交わらない定めなのだ。


「それもそうか」


 今はまだ、死という言葉が遠い……それこそ百年も生きていない龍には遠い話。雷堂はそんなものかと、ユマから目を逸らしてその背後にある窓へと目をやった。たんに比べて、まだ秋と言える気候だが、薄らとした冷気のような風が入り込む。緑省にも冬が近づきつつあるのだろう。

 そんな惚けた雷堂に、同じく時間を持て余したユマが小首を傾げて雷堂へと言葉を投げかけた。

 

「それより、こうさんはがくさんと一緒に行かなくて良かったの?」


 岳は、蚩尤が外で使う名前だ。その名を使うときは、雷堂も浩と名乗った。長い付き合いになった騶潤とユマ相手にも、本名は名乗っていない。


「ああ、俺は大人しくしていろって話だ。ま、考えあっての事だろ」

「ふーん」


 ユマは納得したのか、していないのか。深くは考えていない様子の相槌を打つと暇なのか荷物を漁って一冊の書籍を取り出した。現在、文字の勉強もしているのか子供向けの文学小説。それを寝台へと寝転んで、パラパラと一葉一葉捲っていく。その様子に雷堂がユマに対して何を言う事も無い。下手に勘繰られない方が都合が良い、というのが一つの理由だろう。


 ――ま、そんだけ慎重ってことは少なからず危険もある……と


 まだ、追いかけているものの実態は何一つ見えていない。それこそ、ユマの言う『ぼんやりとした何か』でしかない状況。それでも蚩尤は出来る限り少人数での行動を選んだ。蚩尤は確実に何かあると踏んでいる。しかし、違和感程度のものなのかはっきりとは口にしない。


 ――さて、どうなることやら


 蚩尤への信頼はある。ただ、曖昧な何かが雷堂の中で不安として過ぎるばかりだった。

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