十 太乙救苦天尊 壹
「
突如、蚩尤にそんな言葉が降り注いだ。緑省に辿り着いた翌日から、
緑省は神話が濃く残り、水に縁ある土地である。
勿論、省都
そんな、省都
話しかけてきたのは、近くに座っていた若い男だった。旅装姿の蚩尤と騶潤を見るなり近づいて、どうにも遠慮に欠けている。笑みを絶やさず、しかしどこか、詐欺師のように胡散臭い。そんな若い男が話しかけてきたかと思えば、最初に出たのがとある神の名だったのだ。
「確か、死後に救いを与える神だったか」
若い男は蚩尤が僅かばかりでも知見があった事が嬉しかったのか、目を輝かせ息巻く。感激した様子で、口は滑らかに動いて、続く言葉は布教も同然だった。
「おお、ご存知でしたか。生前、罪を犯し、
罪を犯し、悔い改める事なく死んだ者。
どうやっても拭えぬ罪を犯した者。
「しかし、どちらかと言えば、ひっそりと奉られる神だったと思うが」
「必ずしも罪人ばかりが
若い男は饒舌だった。旅装の蚩尤と騶潤に話しかけた理由は、更なる布教の為か。満面の笑みで己が信じる神を語る姿は、信仰というよりは心酔だった。
陽皇国は多神教だ。神々の存在を当然のように信じ、信奉する神を心に留める。蚩尤にも信ずる神があるが、若い男ほど熱心ではない。騶潤も獣人族とあって
「今、黒い病なるものが流行っているでしょう?」
若い男は、少し声を落とす。
「あの病で不遇な目に会う者が多く、今、
「救いを求めるのであれば現世の――天上聖母の方が確実ではないか?」
「まあ、それも救いでしょうな。だが、所詮、天上聖母は人。彼女が救える数には限りがある。だからいっそ、死後に救いを求めるのもまた――」
若い男が語り終えた丁度そこで、蚩尤と騶潤が注文していた料理が届いた。若い男は邪魔をしないようにとでも思ったのか、すんなりと下がっていった。すると今度は、別の卓へと移動して別の者へと似たような文言を並べ立て話しかける。どうにもこの店に滞在する理由は食事が目的ではなかったようだ。そんな姿を尻目に蚩尤と騶潤は食事を始めたが、その耳は大衆食堂内で繰り広げられる話し声へと傾き続けていた。
その後、大した収穫も無いまま食事も終えた頃、布教を続けていた若い男の姿はもう既に無く。集中を解いたように騶潤の口は自然と開いた。
「何だったんだあの男は」
「緑省は独自の文化が色濃いと聞く。ああ言った手合いは珍しくもないだろう……が、」
「……気になるか?」
「少しな」
蚩尤は食後に水を一口含んで、若い男が話した内容を反芻する。
『黒い病なるものが流行っているでしょう?』
『所詮、天上聖母は人』
『いっそ、死後に救いを求めるのもまた』
蚩尤は口元に手を当て、ほんの一つ二つと考え込む。蚩尤が緑省へと赴いた理由は、件の薬の出所を探る為だ。件の病だった兄を救うべく、弟が緑省を尋ねたという話。情報の出所だけでなく、他にも懐疑的になる要因があった。
『あの薬は、飲んで直ぐに病が治るわけでは無いんだ。効果が出るのは生と死を彷徨う境目。そこで、初めて効き目が現れると言われた』
『俺は覚えちゃいないんだが、どうにも俺は――一度死んだらしい』
丁家の弟が語った。一日も経たない内に効果は現れ、黒ずんでいた身体は肌の色を取り戻し、目が覚めた時には腐敗していた肌も、健康体であった時と変わらない状態になっていたのだと。緑省から戻って来た体を装う為、病の間、喉を通らなかった食事の所為で痩せこけた肉が気にならない頃合いを見計らい、外出を繰り返していたのだと言う。
「……死後、か」
「死後救われてどうするってんだ」
「だが、生きる希望が薄いとなれば、死後ぐらいはと考えるやもしれない」
「なんだ。さっきのたいおつ……」
「
「そう、それ。死後の救いってのに、あんたは肯定的だな」
「肯定も否定もしない。どの神をどう崇めようとも個人の自由だ」
「まあ、確かに」
「あなたとて、白神を信じているだろう?」
「信じて……か。まあ、獣の姿を持って生まれた時点で、俺は白神と縁があるようなもんだからな」
騶潤はぼんやりと、過去を浮かべたような顔をした。かと思えば、手にした湯呑みをぐいと傾け水を飲むと、いつも通りの飄々とした顔に戻っていた。
「さて。それで、追うか?」
「追えるか」
「はは、
騶潤は口の端を釣り上げる。蚩尤も釣られて頬を緩め、立ち上がった。
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