七 秘薬 肆
それからも、二人の談笑は続いたようだったが、小一時間もすると騶潤がピクリと動いた。蚩尤も二人が立ち上がった気配に僅かに眉間が動く。店を変えるか、それとも家に帰るか。蚩尤が支払いを済ませると、さりげなく二人の後に続いた。
今はまだ、宵の口。もう直に、大通りでは軒並み
蚩尤と騶潤も、喧騒に紛れながらも二人の後を追った。見失わないように。しかし、ある程度の距離は保ちながら。
「どちらが兄だ」
「青い方――で、どうする」
「俺が話をする。適当に合わせてくれ」
「どう話すつもりだよ」
「例え、治ったとはいえ、黒い病に罹患していた事実は隠匿したい。特に自身が病により隔離されていたともなれば尚更」
さもありなんと話す蚩尤に対して、騶潤は訝しむ。と言うよりも、呆れていた。
「……脅すのか」
「まあ、手だな」
「あんた役人だろ」
「今は――そうだな、
「……あんた、絶対俺より年上だろ」
「さてな」
適当に気のない言い方で蚩尤は否定も肯定もしない。そうこうしている間に、
「――だったら、俺がやる。あんたは顔を隠して立っててくれ。こう言うのはな、下っ端にやらせるもんだよ」
蚩尤は「そうか」と納得したような言葉を吐いて、外套の頭巾を深く被ると足を止めた。
◇
「なあ、あんた」
騶潤は、あっさりと二人に追いつくと、まるで知人のように話しかけた。薄暗い路地裏。もう日も暮れ、提灯も何も無い中で振り返り騶潤を認めるも、怪訝に眉を寄せて顔一杯に不信を浮かべていた。
「なんだあんた」
答えたのは、緑の衣――弟の方だった。
「いや、用があるのは、あんたの方だ」
そう言って、騶潤は青い衣を見やる。まだ若い、しかし凛々しいというほどではなく、少し痩せている印象を受けた。
「何か」
「あんた、巷で噂の病で伏せってたんだろ?」
突拍子ではあっただろう。しかし、相手の反応を伺うにはこれ以上なかったかもしれない。思惑通り、青い衣の男と連れの顔付きは不信感以上に曇って、目つきは益々騶潤を怪しむものになっていた。
「行こう。相手にしない方が良い」
「いや、そちら――
「俺を良く見ろ。どこが病だと言う」
黒い病は、体の一部が黒く染まり、それが全身へと広がっていく。男は、腕を捲り、なんなら足も見せてやろうかと息巻いて矢鱈と必死だった。
「ああ、勘違いさせたなら申し訳ねぇ。何、俺はあんたがどうやって病から立ち直ったかが知りたいだけさ。あんたはどこからどう見ても健康体。それが知りたいだけだよ」
騶潤の話口調は、如何にも怪しげな商売でもしているのではと疑いたくなるものだった。陰険で、不信感と同時に、嫌な予感も浮かべさせる。
「そうだったと仮定して、知ってどうする。お前は、どう見ても病では無いだろう。家族か?」
「いや、俺は別に。あちらのお方がね」
騶潤は思わせぶりに言って、背後へと――蚩尤が足を止めたそこへと目を向けた。壁に寄りかかり、事の次第を見守る蚩尤は、外套に身を包み顔を隠しながらも、ちらりと青い衣の男の方へと向く。暗がりで顔こそ見えないが、佇まいと様相、騶潤の話口調に続く嫌な予感は助長されるだろう。
その思惑通りか、二人は怪訝ながらも騶潤から無理に遠のく真似はしない。名前が知れているという事は身元も露見しているも同然。しかも、商売に関わる噂というのは矢張り痛手なのだろう。不信感と猜疑心が、積もり積もっているようだった。だが、事を荒立てる真似も出来ず丁兄弟は顔を見合わせると、弟の方は顰めっ面で未だ迷っている様子。もう一度、兄が騶潤へと目を向けて、緊張と迷いからか、一つ息を吐いた。
「決して、こちらの家の話は広めないと約束は出来るか」
「そりゃ、もちろん。俺も商売上、信頼は必須だ。約束は守る」
これ以上、煽る必要はないと判断したのか、騶潤の口ぶりが少し硬くなった。
商売柄か、声や表情の機微に反応してか、再度、兄はふうと一つ息を吐いて、弟を見た。そちらはまだ、騶潤と蚩尤を睨め付けるように交互に見やる。しかし、兄にこれ以上詮索はされたくは無いと諭されて、仕方がないとでも言うかのように渋々と頷いた。そしてそのまま、口を開いたのもまた、弟の方だった。
「兄が黒い病に伏せっていたのは事実だ。だが、治ったのもまた事実……できれば、そちらの御仁も広めるのは止して頂きたい」
「理由は?」
「……本当は誰にも話すなと言われているんだ。薬の数には限りがあるから、と」
これに反応したのは蚩尤だった。騶潤が持っていた噂の中で、薬で治るという言葉に引っ掛かりを覚えたのは事実。だが、どうにも信じ難い話である事に変わりはなかった。
「薬?」
「そうだ。そちらは、家族の誰が」
「妹だ」
蚩尤は目線を下げ重々しい口調で言う。
「いつ、巫の治療の番が回ってくるとも判らない状況なんだ。どうか助けてはくれないだろうか」
上背の所為で放たれていた迫力は、重苦しい口が悲痛を訴える雰囲気にかき消える。騶潤は思わず蚩尤へと目線を向けて凝視しそうになるも、飄々とした姿勢を続けた。弟の方は、それに気付かずか。蚩尤に感化されたかどうかまでは知れないところだったが、弟の顔が僅かに緩んだ瞬間ではあった。
「……そうか。だが、薬は丹省では手に入らない。あれは、緑省で配られていたものなんだ」
「じゃあ、何処で?」
「あぁ、俺と兄は二人で緑省へと出かけた事になっている。本当は俺が一人で、薬の噂を頼りに緑省へと行っていた。両親は、家に巫を呼ぶ事も、神殿に連れていく事も躊躇していたから……どの道、神殿もいつ順番が回ってくるか」
「そりゃ、大変だったな」
「……だが、病が感染ると信じる者は多い。両親や祖父母もそうだ。だから、治るなら……薬が手に入るならと俺が緑省へと赴く事に反対はしなかった」
弟は憂いながらも、兄の無事に安心しているようだった。
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