五 秘薬 贰

「だがよ、肝心の薬は何処で出てくるんだ。そもそも、なんでその家の連中は神殿を頼らなかった」


 腹の中がざわつくような感覚がし始めた蚩尤をよそに、雷堂が何気ない言葉を吐いた。そう、今は、もう神殿は開放され、庶民でも治療に当たることは可能なのである。だが、そんな単純な雷堂の言葉に騶潤は、鼻で笑った。


「これだから病に罹らない奴らは……」

「なんだよ」

「確かに神殿では治療を受けられるが、一日で受けられる数には限りがある。順番を待っていたかもしれねぇが、それもいつになるか判らない。更に言えば、あんたらみたいな貴族が体裁を気にするように、庶民でも体裁を気にする奴らがいる。黒い病は感染るって噂がある以上、店を構えている奴らは病人がいるなんて知られたくはない。特に、得体の知れない病なんてのはもってのほか。夢見なんてのは、今一番悪い噂の的でもあるから先ず頼れない。一回でも下手な噂が広まってみろ、下手をしたら一家丸ごと破滅だ」

「……家族が死にかけていてもか?」

「人によるとしか言えねぇ。ただ、丁家ってのは大店だ。一回すっ転んだら、元に戻ることは不可能に近い。何がなんでも隠し通すつもりだったかも知れねぇ」


 雷堂は口を噤む。龍人族である雷堂は病になど罹患した事がない。病の感覚も、苦しみも、それにより被る害も、生涯縁の無いもの。それ以上、雷堂が言い返すことはなかった。

 それは、蚩尤も同じだろう。不死として生まれたのならば、同じく病には縁が無い。しかし、心なしか消沈してしまった雷堂とは違い、目線を落とし、顎に指を当てて何かを考え込んでいる様子。だったが、ふつと目線が騶潤へと向かった。

 

「だから、遊学していた……と」

「そうなるな。隠したかった。これが一番道理が通る」

「だとすれば、弟は緑省に薬を調達しに行っていた、と」

「……実を言うと、そこに確証が無い」


 蚩尤と交わしていた目線が外れ、騶潤は思い出したように酒に手が伸びる。杯を満たしてぐっと飲み込んだかと思えが、溢れる言葉はやや力無いものだった。


「病を治す薬の噂自体は、まだ完全に丁家の兄弟に結びつけられていない。あくまで、丁家の兄弟は薬で治ったって言っている奴がいたってだけだ」

「というと、そちらの噂の出所は別か」

「噂自体も殆ど無いと言って良い。誰かが勝手に薬と言っただけの可能性もある程度の話だ。これを本当に緑省に繋げて良いものか……こればかりは不確定事項だ。容易に情報も集められやしねぇ」


 騶潤は濁すように、またも酒を注いだ。が、蚩尤は騶潤が言いたいことをそれとなく察してはいた。


「まあ、緑省までは少々遠いな」


 緑省への距離は、丹省都岐杏きあんから馬で十日以上は掛かる距離だ。今は妖魔も少ない時期とあって、被害に遭う確率は少ないだろうが、それでも長旅には路銀が必要。そう易々と、金のあても無く旅路になど出られないだろう。


「流石にな……あんたがこの話を買ってくれるかどうかも判らん状態ではな」


 不満気に騶潤は酒を啜る。出来れば、情報の真偽自体は確かめたいと、ぶつぶつと本音が漏れていた。そんな騶潤に向けて、蚩尤はあっけらかんと言葉を吐く。

 

「では、行ってみるか」


 思わず顔を向けたのは、雷堂だった。


「緑省にか?」

「ああ、出来れば噂のもとは辿っておきたい。丁家の兄に関しては黒の可能性が高いしな。そこに、何があるか気になるではないか」

「……仕事はどうするよ」

「何を言う。丁家の話と薬の話、十二分に言い訳が立つ」

「まだ弱いんだろ?」

「ああ、だから――確証を得るために、もう少し情報が欲しい」


 蚩尤の口の端が僅かに上がる。滅多に笑わないからだろう。雷堂がボソリと「気持ち悪い」と呟く。しかし、蚩尤は雷堂を無視して騶潤へと視線を向けた。


「騶潤、少しばかり手を貸して欲しい」

「別に俺は良いけどよ。あと調べるとしたら……」

ではないか、まだ調べられていない部分が」


 騶潤は思わず言葉に詰まる。にはいる。騶潤は決して口を割らないと判断して、未だ突いていない部分だ。下手に警戒されないために、最後に取っておいた部分でもあるわけだが――それを蚩尤が強行しようとしているのを察してか、騶潤が反応に困ったように手で口を塞いで目を逸らした。流石に雷堂も、蚩尤に向けて睨みで無いにしろ胡乱気に――いやこれは呆れた顔だろうか。


「お前……どうせ碌な手段を考えてないだろ。良い加減そのひん曲がった根性治せ」


 雷堂は諭すように言うが、止めはしない。

 

「あくまでも一つの手段だ。危害は加えない。今の情報が正しければ、こちらに分がある。あとは、どう攻めるか」

「おいおい、何する気だよ」

「何もしない。安心しろ」


 蚩尤は軽く言うが、雷堂の呆れ顔もあり、騶潤は下手なことはやめてくれと、止めようとした。が――


「情報は新しいうちに動く――のだろう?」


 いつか言った、騶潤の言葉をそっくりそのまま返されて、騶潤はにやりと笑う。情報屋などと言う怪しい仕事の性分がそのまま浮き出たような――そんな笑みだった。

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