第四章 死苦救済

一 死を畏るるなかれ

 死をおそるるなかれ。

 おかされたのならば、天上聖母てんじょうせいぼの奇跡にでもすがらねば救いは無いだろう。あれは人の命をらう病。人の命と精神を内側からむしばみ、果ては肉体をも腐らせていく。しかし、天上聖母はこの世でただ一人。

 いくら奇跡に縋ろうとて、救いの手が其方へと届くかどうかは運次第。

 世は、無情也。

 生は決して平等ではない。賽子さいころを転がすかのように、命運はころりとさいわいからわざわいへと転じる事もある。禍の底へと堕ちてしまったのなら、戻る事は不可能に近い。それこそ、奇跡を期待せねばならないだろうか。


 それ、もう一度賽子さいころを振ってみるか? 今回は良い目が出るかもしれないぞ。ああ、そう言えばもう指の先も動かないのであったな。申し訳ない。忘れていた。口の中にでも入れてみるか? それならば……はは、話も出来ぬその口では無理か。……まあ、どの目が出たからと言って、天上聖母が其方そなたの死に間に合うなどとは到底思えないがな。


 だが、畏れる事は無い。

 死後、其方そなたは一度幽鬼と成り果てるだろう。本来であれば火葬による火の浄化で、肉体と魂のくさびは完全に絶たれる。されど、この病は肉体を燃やしたところで、病は亡骸に巣食ったまま。例え、其方そなたが白骨になろうとも、肉体と魂を繋ぐ楔を断ち切らせない。病は肉体を腐らせながら、魂も同様に腐敗させる。病は肉体魂両方にしっかりと根付き、死後も其方そなたを離しはしないだろう。

 楔が絶たれぬ魂は、決して黄泉の道を歩けない。常夜とこよを彷徨うだけと成り果てた幽鬼は、いずれ記憶も忘れて、人の形も忘れて、懐かしき人の記憶と気配に擦り寄る哀れな存在に成り果てる。


 其方そなたに罪はないと言うのに――なんとも無念な話だ。

 だが、案ずる事は無い。楔を断ち切らせないと言うのであれば、それを利用すれば良い。

 楔を切り離せなくなるというならば、肉体に留まる事も可能だと考えるんだ。肉体へと戻る糸口を死後も携えたままであったなら――肉体へと戻る事も可能だと思わないか?


 それでだ、其方そなたの為にとっておきの薬がある。この丸薬を飲めば、死後其方の魂は一度肉体を抜けるが、再び戻ってくる事が出来る。病は生者を貪り喰うが、死者には寛容だ。まあ、苦しみが完全に消えるかどうかは、其方そなた次第ではある。


 さて、肉体を燃やされては意味が無いから、今のうちにこのような場所を抜け出そう。なになに、私のことは気にする事は無い。私は其方の行末を見届けたいだけなのだよ。


 さあ、行こうか。

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