十四 その目に映る奇跡 贰
◆◇◆◇◆
黙蓮と明朙の両名と別れ、蚩尤は雷堂の背の上に乗り、
蚩尤はもう、何度とこの景色を見ている。何度となく雷堂の背から、似たような景色を眺めた。けれども、飽きたと思った事は一度として無い。
ひゅうひゅう――と鳴く、風の音ばかりが耳を通り抜けていたが、ふつと雷堂の声がそれを遮った。
「なあ、聖母様の件、本当に信じて良かったのか?」
物思いに耽るように、山々を眺めていた蚩尤だったが、雷堂の声に反応すると同時に、「問題無い」と、端的に返していた。
「根拠は」
「……はっきりとした根拠は無い。だが、彼女は確かに天上聖母という噂に似つかわしい人物だと思った」
「それは、勘か」
「ああ、勘だ。だが、時に深く考えるよりも勘の方が的を射る事もある」
「そうかよ」
「それよりも、問題は菫省だ。何故、天上聖母と接触したか……」
「異能自体珍しいだろ。その上、治癒能力ときたら――」
「本当にそれだけだろうか?」
蚩尤の口調が強まり、雷堂は問い返す。
「どういう意味だ?」
「
この国の省をまとめる人の――不死の一族は、辿ると神々の血に行き着くと言われている。神の血を引くが故に、不死の身で生まれるのだと。丹省治める姜家は炎帝神農、また丹省の隣、
「ああ、だな」
「治癒能力を囲い込む必要性がどこにある」
「自省を優先的に治癒させようとしたとかじゃ無いのか?」
「ならば下手に囲い込もうとせず、支援に徹すれば良かった筈だ」
行動が不自然に見えてならない。蚩尤は先程まで話していた明朙との会話が脳裏に浮かんでいた。
◆
『最後に尋ねたい事がある。菫省の役人の名は覚えているか?』
『いえ、名乗りはしませんでした』
すかさず答えたのは明朙だった。
『身分の証明もせず、ただ菫省諸侯に会うようにと言われました。断っても、何度と追いかけてくるので――それで、一度、拠点を他省へと変えたんです。正直、他省でも監視されているような気がして……それで出来る限り、一つ所に留まらないようにしていました』
『それで、俺には身分を証明しろと』
『ええ、もう何を信じて良いかが判らなかったので』
明朙は身分というものに妙にこだわる素振りがあった。見れば判断できるとでも良いように。身なりは旅装のそれであるのに、蚩尤への対応も小慣れている。不思議と言動にも確信があるようにも思えた。
『何故、姜家の家紋を知っていた。そもそも、明朙、貴方は何者だ』
『私は身分と言ったのは、単純にはったりです。姜家の家紋については、偶々――私の父が過去に
明朙の落ち着いた口調が、物悲しく語る。養蚕をしていた小さな村はもう三十年程前に、妖魔により壊滅してしまったのだとも。
◆
明朙の哀愁の籠る声に、蚩尤も僅かばかりの虚しさが込み上げる。直接ではないにしろ、過去の思い出が歪んだような気がして、どうにもならない無力感のようなものが、心に影を残したのだ。だが、次に続いた低くも軽快な声で、蚩尤は沈みそうになっていた心持ちはゆっくりとだが浮上した。
「あれを聞く限り、お前の事は姜家末端の親族の一人と思ってそうだな」
明朙の反応は、丹省の諸侯一族に出会った驚きだと蚩尤は考えていたのだが、どうにも懐かしい記憶に巡り合った驚きだったのだと今なら理解できる。
明朙が語った人物が蚩尤は誰か予測できたのだろう。姜家には分家が存在し、今は地方官や中央政府の関わり仕事をしている。その中で、五十年も前に皇都へと贈り物をしたとなると――なんとなくだが目星がついたようだった。
「恐らくな。その方が都合は良い」
蚩尤は沈んだ考えが隅にでも追いやられてしまったように、冷静に答える。すると、雷堂から次の
「それで、賈家は何を考えていると思う」
「賈家が考えているのか、はたまた、菫省の役人を名乗った別の誰かか。明朙の言う通り、誰かが悪意を持ってして天上聖母に近付こうとしていたのなら……」
蚩尤は再び思案を始めたように顎に指を当てて、目線を落とす。
「まだ賈家であれば事は単純に考えられる可能性もある。菫省として天上聖母を祭り上げれば、自省の権威の一つと主張できるとかな。だが、賈家の
「権威を独占……は出来ない。どうやっても賈家の邪魔が入る」
「ああ、であれば――特殊な能力を持つ存在が邪魔と感じる……か」
蚩尤が訝しみながら呟いた言葉に、雷堂は大袈裟に反応はしなかった。ただ、まだ蚩尤が仮定として話をしている為、安易に同意も出来ず
「何の為にだ?」
と、続きを促すように呟いた。
「さてな、それは判らん。何せ、夢見ですら黒い病の元凶が不明だと言うのだ。それに、まだ憶測。この憶測を超える何かが無ければ、脅威として認識すらされないだろう」
「じゃあ、どうする」
「どうもこうも。これが、国全体の出来事だと言うのならば、丹省の一役人でしかない俺の役目はここ迄だ」
あまりにあっけらかんとした答えに、雷堂も異論は無い様子だった。
「後は、父上に報告し、父上と伯父上がどう判断するか」
蚩尤は確かに聖母なる存在を目にした。神から祝福されたであろう能力、人徳、そして慈愛。その能力を垣間見た瞬間が脳裏に浮かんで、蚩尤はふつと自身の手へと目線を落とす。
そこには何も無い。だが、何かあると確信めいた視線で、己の中の何かを見ているようだった。聖母の存在に確信が芽生えた時と同じ――――。
第三章
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