十三 その目に映る奇跡 壹
それは矢張り、奇跡と呼ぶに相応しい光景だった。
翌日の早朝。話をする前に、黙蓮は力がどういったものかを見せると言った。蚩尤が何を尋ねたいかは把握しきれていない様子だったが、何が起って、自身が何をしているかを見てもらう事が一番良いだろうと言って。それは、
そこには、身体中が黒く染まり、もう指の一本も動かせなくなっていた男がいた。髪は抜け、目は開かず、声の一つ絞り出すのもやっと。身体中から腐臭が発せられ、生きながらにして肉が腐り落ちていく。そんな男の姿に、黙蓮は臆する事なく横に膝を突き、男の手を取った。
貧しいという程の家では無かった。小さな店を営み、使用人を雇う程には余裕がある。そんな家の跡取り息子であったはずの男は、馬屋の隅に捨てられるようにして、
◇
「私が
宿へと戻り、その一室で、
「明朙さんの怪我を見た時、治せると誰かに言われたような気がしました。それまで自分が特別だなんて考えた事もなく……なのに能力の使い方すら、理解……というよりは、頭に浮かんだんです」
蚩尤の眼前で向かい合う、まだあどけなさが残る少女は、自身もまた奇跡を体験したとでも言いた気に、しかし終始落ち着いた様子だった。蚩尤に対する緊張感こそあったが、生まれは漁村とあって『身分が高い人』という実感がそれほど無いのもあったのかもしれない。
「何故、黒い病を治して回っている」
「それが、私がすべき事だと感じているから」
「人を救うではなくか?」
「確かに私は病も怪我も治せます。人々を痛みや苦しみから救う事は出来る。でも、私の使命はそうじゃ無い……そんな気がするんです」
黙蓮はそっと目を伏せる。今も黙蓮には迷いがあり、しかし為すべき事を見定め、使命とし、人々を救う熱情を
その想いは、蚩尤にも見えた事だろう。黙蓮は、説明が下手だからと治す様を見せるしかなかった。その能力は確かに異能のそれ――神の御力が宿った者の事象だったのだ。
「
蚩尤は黙蓮の熱情を受け止める。だが同時に、不可解な事象も丹の為に持って帰らなければならなかった。
「あとは黒い病に関しても、知っている事があれば教えて欲しい。私が
蚩尤は静かに語るが、内心焦りもある。自身は不死だが、民の大半は
「残念ながら、対処は無いと思ってください」
黙蓮はきっぱりと言い切った。
「あれは病じゃない。呪いに近いものです。体力や精神力に左右されて――本日の方のように、人から打ち捨てられ絶望してしまうと……恐らく進行が早まって……」
「……死か」
黙蓮は頷く。
「はっきりとした原因は判りません。私ができる事は治す事だけです」
「貴女以外にも治せるだろうか」
「判りません。治すとなると、中のものに触れる必要があります」
「中?」
「先ず、目で見えること。そして、恐れなく近づける事、触れられるほどに力が強い事。それが全てです」
蚩尤は黙蓮の説明に、ユマと
「夢見……その中でも更に強い……」
「もしかしたら、私以外でも治している方はいるかも……。ただ、黒い病によって起こった皮膚の腐敗や併発した部分には治療が必要かと」
「なるほど……」
蚩尤は思案するように顎に手を当て、目線を落とす。夢見は表には出たがらない。該当する夢見は極端に少ない上に、黙蓮の言うように治して回っている人物が他にいたとして探し出す事はより困難を極めるだろう。もし、現状以上に病が広がったとして、手立ては無いと言っているも同然の現状に、蚩尤の顔は強張った。現状、黒い病は噂程度だが――今後も、そうとは限らないのだ。
そんな、思案する蚩尤をどう思ったのか、黙蓮は再び口を開いた。
「私は、これからも続けるつもりです」
それは、力強く。蚩尤に訴えかけるものがあった。
「私が治せる方は、限られているかも知れません。それでも、治せる手立てがあると知れば、もしかしたらと希望を持てるかも知れない。勿論、明朙さんが協力してくれるからこそ、出来る事ですが」
黙蓮は、上目遣いに隣で黙って見守っていた明朙へと視線を向ける。明朙は驚く様子もなく、静かに微笑んで一つ頷いた。
「勿論、力を貸す。私もまた、使命を授かったのかも知れない」
明朙の言葉に黙蓮の目に更に強く意志が宿った。まだあどけなさが残る黙蓮の姿は聖母然として、誰が呼んだか――『
「では、貴女にはこれを渡しておこう」
そう言って、蚩尤は一つの木札を手渡した。ほんの、手の上で握れる二寸(※七
「あの、私、字が読めなくて……」
戸惑う黙蓮の木札を、隣に座っていた明朙が覗き込んだ。
「……これは、丹省諸侯の
木札に記されていたのは、丹省諸侯の署名と印章だった。
「もし、何かあった時は丹省の紅砒城を訪ねると良い。私の名とその木札を使えば問題無いだろう」
「蚩尤様の?」
「ああ、今回の調査で、件の貴女に問題が無い場合、私の判断で手を貸すようにと御達しがあった。勿論、
蚩尤はすっきりとした顔を見せた。黒い病の件は重く、靄が晴れたわけではないだろう。しかし、聖母の存在は、確かに一抹の光として蚩尤の心にも光として宿ったのだ。
「はい。確かに受け取りました」
その札の重みを理解しているのか、していないのか。黙蓮は緊張した面持ちで、札を両手で握りしめていた。
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