八 奇跡の噂 肆

 辿り着いた先は、貧困層の居住区だった。小さな、日干し煉瓦れんがの家々が所狭しと長屋が立ち並ぶ。そのうちの一軒が男の家だった。


「悪いね、あんたらみたいな人が来るような場所じゃないんだろうけどさ」


 そう言って、男はゆるゆるとしながらも蚩尤と雷堂を中へと招き入れた。

 中は高床たかゆかの寝床だけの一室と、隣は調理のみの為の竈門があるだけの部屋で広くは無い。その狭い家の奥には、膝を抱えた十歳程度の子供が一人。じっと蚩尤と雷堂を見比べるように眺めていた。


「あなたの娘か」

「いや、拾ったガキだ」


 そう言って男は、特に敷物も無い高床の上に座るように勧めて蚩尤と雷堂はくつを脱いで遠慮なく上がると適当に腰を下ろした。

 すると、男は蚩尤と雷堂の対面に座って子供がして見せたようにじっくりと顔を見比べる。そうして一つ頷いて、奥で膝を抱えたままの子供に声をかけた。


「ユマ、お前と話がしたいとよ」

「ひとつ聞くが、あなたは夢見……であっているのか?」

「そうだよ。俺も夢見だが、俺よりもユマの方が良い目を持ってる。まあ、その分、金は弾んでもらうがね」


 男は、変わらずゆるりとした顔付きだった。何を考えているとも知れない眼差しは、いたく機嫌は良さそうで敵意は無い。

 元より博打で夢見を探り出そうとしたのだ、と腹を決めると蚩尤は「任せる」と一言返した。


「それで、何が知りたい」

「天上聖母の噂。出来れば行動予測が出来る情報が欲しい」

「噂の聖母様か、尚更俺じゃ覗けないな。ユマ、出来るか」


 男は今も尚、隅で膝を抱える子供へと視線を投げると、ユマは小さくかぶりを振った。


「覗けないよ。聖母様を近くで見ようとすると、聖母様もこっちを見るの。怖くはないけど、近寄っちゃダメって言われた」


 雀が鳴くようなか細い少女と思しき声。ふつりふつりと湧き出た言葉に、蚩尤は当たりを引いたと思った。同時に、聖母を探す事は容易でもないのだと知らしめられて肩を落とす。


「何か、天上聖母の当ては検討がつかないか? 向かう場所にある小さな要因でも構わない」


 少女は何かを思い出すように視線を泳がせて、うーんと唸る。そうして、またぽつりと小さく溢した。


「……黒いもの……聖母様は黒いものを探してるよ」

「黒いもの?」

「人の身体に入り込んで、人の命と心を食べてしまうもの。聖母様はね、黒いものを治せるの」


 稚拙な言動に蚩尤は今一つ検討がつかなかったが、何かに気がついたように男の口からポンと言葉が出た。


「ああ、黒い病の事だな。と言っても、あんたらには縁がない話だろうけどな」


 男は変わらずゆるゆるとした調子だったが、どうにも見た目で龍と判断出来る雷堂だけでなく、蚩尤までが不死と勘づいているようだった。

 蚩尤は驚きはしたものの、さしてどうと言う事でもない。それよりも問題は――――


「黒い病……身体が腐るという噂の……か?」

「そうだ。丹省たんしょうの薬師が総出を上げても特効薬は作れないだろうよ。なんたって、身体に巣喰ってんのは病魔じゃないからな」

「では何だと?」

「そこまでは見えねぇよ。だが、聖母様には見えているのかもしれないな。それを国中で治して回っているとしたら……健気なお方だね」


 男の目は、遠く……まるで、そこにはないものを見つめているような目線で遥彼方を見つめていた。


「では、黒い病の場所を幾つか教えて欲しい」


 そう言った蚩尤が荷物から地図を取り出そうとすると、男の目線は蚩尤へと戻り、しかし呆れたように息を吐く。

 

「良いけどよ、そろそろ出すもんだしな」


 男は空の手を前に出して軽く振る。その意味を解するのは容易く、蚩尤は懐から皮革の財布を取り出すと銀五枚を差し出して男の前に置いた。


「出来れば今後も情報が欲しい時は頼りたい」

「こっちとしても払いの良い客は歓迎だ……で、場所だったな。ユマ、こっちに来い」


 蚩尤が地図を男の前に広げると、ゆっくりと立ち上がったユマは男の横へとちょこんと座る。が、困ったような面持ちで、男の袖を摘んで見上げた。


「スウジュン、わかんない」

「なら俺に


 ユマが小さく頷いて、恐る恐る小さな指先で男の額へと触れた。すると途端に男の眼差しが変わる。

 飄々としていた面持ちは消えて、呆然と何も捉えていないように瞳は虚。その顔つきで広げた地図を眺めては、男の指が紙の上を滑るように動いた。


「今、ではっきりわかるのはこの八箇所……」


 指し示す先にあるのは、小さな村が六ヶ所と宿場町と思しき場所が二つ。これを見た雷堂は、前のめりになって地図を眺めては、男が辿った場所を準えるようにして金の瞳が動く。そうして何かを納得したように、ボソリと呟いた。


「……情報を拾いながらと考えると、三日か四日ってとこか」


 その姿が気になったのか、男の額から手を離したユマが雷堂をじいっと見た。

 

「目がきんいろ……りゅうなの?」


 初めて見たと言わんばかりの期待の籠ったような眼差し。だが、龍人族は都で暮らしていたのなら、そう珍しい存在でもない。


「ああ、俺は龍人族だが……見た事はあるだろう?」


 雷堂が思ったままを吐露しただけであったが、これに対して瞳に生気が戻った男が返した。

 

「ユマは獣人族だ。都に暮らすようになってからも、この通り家に引きこもっていてな。現世での龍人族は初見かもしれねぇな」


 獣人族というのは山で暮らしている者が多い。村や町との交易で山を降りる事は珍しい事ではないが、村や都で暮らす者は少ないだろうか。中には、山に生きる意義を失ったようにして、山を降りる者も少なからずいるようではある。が、ユマの幼さでは、そのどちらの可能性も低く、男の言葉だけで何かあったのだろうと勘繰らせるには十分だった。しかし、脳裏に過ぎる何かを遮るように、男は言葉を続けた。


「さて、お二人さん。聖母様は龍に乗ってる。そちらさんも龍とは言え、情報が古くなる前に動く事をお勧めするね」


 男の正論で、蚩尤は地図をしまうと再び財布を取り出してもう一枚の銀貨を出すと男に渡す。


「助かった」


 そう一言告げて、二人はゆっくりと立ち上がる。「今後とも宜しく」と言う男の言葉を背に受けて、出る支度を整えた蚩尤は最後に振り返った。


「あなたの名前は、スウジュンで良かったか?」

「ああ、ただの騶潤すうじゅんだ。何かあったらまたか、此処に来ると良い」


 騶潤はゆるゆるとした調子のままだったが、その影に隠れるようにしていたユマは蚩尤と雷堂へと向けて小さく手を振っていた。

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