四 文官になる理由

 ◆◇◆◇◆


 雪が降りそうだ。木窓を閉めたままでも寒気が滲むように入り込んで、薄寒さを感じながらも雷堂は膝の上に置いたまま握りしめた拳がひやりとした。

 

 雷堂の正面。雷堂と同じ黒髪と金眼の、しかし、雷堂よりも小柄の女性が淑やかに向かい合って座っている。

 淑やか、と言っても彼女の体付きは武人のそれだ。武人らしくなのか、装いは女性のものとは違い男装混じりの動きやすいもの。目を凝らせば覗いた肌には細かく傷が見えて、それが過去の何かしらなのであろう。

 膝の上に丁寧に置かれた左手はなんの変哲もない女性のそれであるが、右手は指の先まで長い袖に隠れて何も見えない。少しばかり奇異な格好であったが、それが雷堂の叔母――よう彩華さいかだった。 

  

 叔母、と言っても雷堂と見た目の歳の差はそれ程ない。と言うのも、そもそも龍人族とは寿命が五百年と永いのもあって、叔母もまだ百年ほどしか生きていない若い龍と言える。ただ若いと言うべきその目は、淑やかなどという言葉から遠く厳しいものがあった。


「それで、次はどうするの?」


 次、とは科挙の事だろう。雷堂は身を硬くして、今にも食われそうな生きの気分で大の男が肩を窄めて縮こまり、「受けます」と弱々しく答えた。

 雷堂には怖いものがある。何がと尋ねられたのなら、いの一番に「叔母上」と答えるほどだ。しかし、これを言うと大抵の者が首を傾げた。


『確かに楊女士は威厳もあるが、大変お優しい方だ。丹諸侯にも、姜家御当主様にも信頼され、朱家にも一目置かれる。そんな方が叔母だと思えば誇らしいだろう?』


 と、雷堂の言葉を誰も信じてはくれないのだ。唯一信じる者があるとするならば、その恐ろしさを身を持って知っている蚩尤ぐらいだろうか。


 目の前の淑女は過去の経歴からも丹諸侯からも信頼された人物で、発言すらも許される。そんな人物は、甥に容赦がない。


「別に責めてはいないのよ。何回と受けても落ち続ける人もいる。貴方がただ科挙を受けて官吏になりたいだけの人物だったら、私も三十を越えても許容できる、けどね」


 語尾が強くなる。その次を強調するかのように置かれた間が、やたらと永く重く感じて、雷堂はヒヤリとした。


「それでは、蚩尤様の従者として相応しくないと言われるのは貴方なの。蚩尤様も人選を間違った、なんて言われるかもね。そこのところを判ってるの?」

「……わかっています」

「蚩尤様が貴方を信頼して下さっている事は大変栄誉だわ。それは貴方がきちんと蚩尤様と接してきた証拠だし、素晴らしい事ね。けど、そろそろ他の可能性も考えないといけない時期よ」

「と、言いますと……」


 雷堂は恐々としながらも、そろりと目線を上げる。


「姜家御当主様と太尉たいい(※軍部最高責任者)から省軍への推薦のお話を頂きました。次に落ちた場合は、武科挙ぶかきょの試験を受けて軍部に所属なさい。貴方なら簡単に受かるでしょう」


 雷堂を親元から預かっているからか、楊彩華の目は厳しくも親心も混じったものである。

 そんな叔母の言葉は、前々からさりげなく周りから言われていた事だった。お前に向いているのは武官ではないのか、と。それは、雷堂自身も気づいている。


 蚩尤の立場は次期丹諸侯。それがいつの事なのかは知れないが、それでも蚩尤は一人ずつでも将来の人選が必要である。

 誰が必要で、不要か。

 雷堂は自分の実力で諸侯の側近に十分足ると言えるほど驕ってはいないし、丹諸侯後継という立場から出る利益に縋り付こうとしているわけでもない。軍部に所属したからと言って、何も友人でなくなるわけでもないのだ。

 けれども、叔母から出た厳しい言葉に対して、「わかりました」と頷いた後――


「次は、受かってみせます」


 と、恐怖の最高位にいる叔母に面と向かって覚悟を見せた。



 ◆◇◆◇◆



 雷堂は、そんなつい先ほどにあったばかりの叔母との会話を思い返していた。どころでは無いそれに、うっかり嘆息が漏れそうにもなる。

 集中力が切れて、読み耽っていた新訳から目線を上げれば、目の前の男は淡々と伝奇小説に目を通し続けている。これと言って表情に変化はない――が、この男は昔からそんなものだった、と雷堂はもう一度出そうになる嘆息を抑え込んだ。


 雷堂から見た姜蚩尤という人物は、偏屈な上に面倒な人物だ。それに加えて、人に対して潔癖な所があるものだから厄介極まりない。

 権力に擦り寄る人物、欲目だけで近づく人物、自身の能力に見合わぬ権威を手にしようとする人物が己に近づく事を嫌悪し続けてきた。

 それはあくまで性格なので幼い頃から共にいる雷堂は気にもしないのだが、潔癖が故に、蚩尤にとって友人と言える人物は雷堂一人だ。

 

 蚩尤は幼い頃から利発な子供だった。

 それこそ、雷堂が初めて出会ったのは、まだ蚩尤が六歳の頃。姜家がまだ皇都で暮らしていたその頃には、蚩尤は官学かんがく(児童向けの学校)へ通う事もなく、今と同じ家庭教師から全てを学んでいた。その頃には、文字を読み書きできるようになり、目につく書籍全てに目を通して身につけようとするほど学習意欲のある子供で、その意欲は凄まじく六歳にして既に経典の解説の幾つかを読破していた程。

 そこに、同い歳の子供を面と向かわせても話が噛み合うはずもなく。かと言って、少しばかり歳上の子供を合わせてみると、親に胡麻を擦れとでも言われてきたかのような口振で蚩尤を褒めるだけ。

 朱家の子供は永年の呪いのようなそれで、妙な距離を作って畏まるばかり。

 単純に、どの子供もつまらないと言って遠ざけてしまったのだ。

  

 そこで蚩尤の将来性を心配した両親によって宛がわれたのが雷堂だった。かく家は、姜家と細くも繋がりを保ってきた家だ。正確には姜家当主と、郭家当主の繋がりだろうか。

 郭家は楊彩華の実家でもある為、そこに縁あって雷堂は蚩尤と引き合わされたというわけだ。


 そして、雷堂は蚩尤に気に入られて、そのまま皇都を出たあとも蚩尤の友人として……将来的に従者となるために今も共にいる。なれるかどうかは、別として。

 そう考えていると、雷堂の頭に再び叔母の言葉が浮かんだ。 


『次に落ちた場合は、武科挙の試験を受けて軍部に所属なさい』


 あれは、今まで蚩尤の学友として姜家に面倒を見てもらった体裁を保つためのものだろう。二回科挙に落ちた程度であれば、文官が向いていなかった。かつ、軍部からの誘いもあったので、選択を変えた。とでも言えば、それで済む。

 言われた瞬間に、雷堂もそれとなく言わんとしている事は察していた。暗に『文官は向いていないのだから、素直に武官の道を選びなさい』という、叔母としての優しさも含まれる事にも。

 蚩尤の従者や副官に足る人物は他にもいる。時間は十二分にあるのだし、官吏になってからゆっくり探すのでも問題はない。

 

 のだが――そうと理解していても、雷堂は猶予がある限りは道を違える気は毛頭になかった。


 ――叔母上。俺だって、こいつがここまで偏屈でなければ、素直に武官になって丹の為になる道を選びますよ


 当人には絶対言えないであろう愚痴を、雷堂は腹の中で呟く。再び目線を書籍へと戻すと、蚩尤にも聞こえないように小さく息を吐いた。

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