三 省試

 蚩尤は何事も無いかのようそのに、やり過ごす。コソコソと嫌味を言う者達の声がはっきりと聞こえたわけでは無いものの、それでも察しはつく。だがそこで反論する事の意味の無さもよく知っていた。朱家は朱家なりに矜持を抱えて姜家に仕え続けていると知っているのもあるだろう。蚩尤は丹諸侯の子息ではあるが、今はまだ何の実績も持たないしがない身でしかないのだ。



 蚩尤はそのまま、雷堂を連れ立って向かった先は。書庫だった。

 春にもなれば、三年に一度の科挙試験が行われ、その次に年には新たな官吏が登用される。

(※県試けんし省試しょうし会試かいしが一年毎に行われている。

県試けんしが受かると省試しょうしの受験資格を得られる。皇帝直属の中央政府に勤めたい場合には、省試の合格で得られる受験資格で会試かいしを受けなければならない。会試が受かると、皇帝陛下の面前で行われる殿試でんしを受ける事が可能となる。なので、丹省に勤めたい雷堂は省試が受かればそれで良い)


 雷堂の叔母――よう彩華さいかは蚩尤の伯父の従者だ。その甥という立場で城の敷地の一角で暮らしているが、官吏登用までは融通はできないと言われていた。

 まあ、当然である。そんな事をすれば、雷堂は一生涯どんな功績を立てようが「姜家の手引きがあったから」、と言われ続ける羽目になるだろう。だから、実力で試験に受かり、堂々と役職を頂戴しなければならない――のだが……現状、雷堂は既に省試に二度落ちている事が実情にある。


 科挙試験の難易度は高い。

 県試を受けるにしても、太学たいがく(高等教育機関)の卒業資格または、義塾ぎじゅく(官吏登用を目指す為の塾)や、それなりの私塾による推薦状が必須である。太学は優秀な成績を収めれば学費と寮費は無料であるが、その他の塾は毎月の月謝は相当な額である。相当な熱意と支援が無ければ受からないと言われているのだ。(※貴族位にあり、ある程度実績がある叔母を持つ雷堂はまだ楽な方と言われている)

 

 雷堂は将来的な立場を見越して蚩尤と共に家庭教師から勉学を学んできた。その家庭教師から推薦状を貰うには貰ったのだが、苦々しい顔色を浮かべた家庭教師にはっきりと「相当努力を続けないと厳しいですよ」、と何度も落ちる前提で渡されていた。ただ「無理」、とだけは言わなかったので希望は僅かな救いと言えるだろう。

 

 雷堂の学力は低くはない。蚩尤と同じ家庭教師の下で学んでいた為それなりであはある。その証拠に、前回の県試は難なく受かっているのだ。

 だから軽く言えば後一歩、といったところか。それを承知の上だからか、蚩尤は雷堂の眼前にこれとこれを読めと積んでいく。


「経典の新訳が新たに出たから読んでおけ」

「うっ……」 


 呻きながらも、雷堂は真新しい書籍へと手を伸ばす。

 受験内容は、史学、文学、神学からの出題と、論文である。その中でも、最も重要視されているのが神学だ。この国に経典は一つだけ。その新訳を研究者が勝手に出せるわけがなく、神殿や皇帝の許可が降りて初めて世に出る。と、いうことは、試験内容にも反映される恐れがあるのだ。

 また覚える事が増えて、項垂れながらも雷堂は一葉を捲っていくが、ふと対面に目がいった。

 真向かいに腰を下ろして……というよりも寛ぐようにゆったりと余裕を見せつけて、全く関係のない巷で人気と噂の伝記小説、『虎仙女討鬼伝こせんじょとうきでん』に手を出して読み耽る姿が。あまりの清々しい態度に雷堂は恨めしく蚩尤を睨みつける。


「……お前、次は……受けるんだよな?」

「ああ、受かるだろ」


 もう一回落ちたらどうしよう。と、悩む雷堂を前にして素っ気ない様子で、さも当然と言わんばかりに答える蚩尤。

 蚩尤は丹省諸侯王子息。省だけならば、最高位の身分が将来保証されていると言える。皇族、それに次ぐ諸侯一族に関しては、任子に当て嵌まらないのだ。 

 今でも、地方によっては無いとは言い切れないが、どの役職に着くにしても官吏となるには科挙試験に合格した事が前提とされている。(※因みに科挙試験で賄賂が発覚した場合、国への冒涜にあたり、例え貴族であったとしても贈った側も受け取った側も死罪である。)

 だが、諸侯は皇帝と同じく領地を治める者となると話は別だ。端的に言って、蚩尤は科挙を受ける必要は無い。のだが、雷堂が受けるならば体面的に自分も一応受けておこう程度の気構えである。


「安心しろ、俺だけ落ちるという間抜けはない。逆はあるかもしれんがな」

「ぐうの根もでねぇけど腹立つ」

「そんな些細な事に気力を向けるな、全ては試験に使え」


 せっついて、雷堂を焦らせる手なのだろう……多分。主人になるべき人物だけ受かって、従者になるべき者が遅れを取る――ある意味、一生の恥である。

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