五 不死

 丹省の冬は永い。極寒と言われる所以の冬の嵐が轟々と窓を打ち付け続ける日々が続くと、皆家に籠った。行政の機能まで停止させてしまうほどの吹雪が一週間と続く事もある。この間に火が絶えて家の中で凍死。うっかり外に出て、道を見失い凍死。春の雪解けの季節になって、溶けた雪の下から死体が――なんて話も。

 

 晴れたとて雪は深い。けれども晴れた日は雪かきに顔を出す人々は賑やかだ。

 朱と白が混じり合った都は、雪に埋もれても尚眩しくあり、力強く生きている。

 

 そんな永い冬を得て、雪解けが始まりつつある――漸く春が来ようとしている頃。


 陽暦ようれき十三年 丹省たんしょう 省都しょうと岐杏きあん 太学たいがく学内


「……う、受かった」


 省都岐杏にある太学の一角。科挙試験が行われた試験会場にて――試験を終えて、資格の証明書を手にした雷堂は疲れ果てながらも、喜びの中にいた。まあ、無理もない。試験期間中は、受験者全員軟禁状態で合否の判定が出るまで外に出る事も許されないのだ。

 緊張と、外にも出られない狭い空間で他人同士顔を見合わせていなければならなかったりと、中には精神疲労で倒れる者もある。

 

 それに打ち勝ったのだ。雷堂はこれで小言から解放される(多分)という安心感を胸に、思わず隣を見やる。そこには、雷堂と同じく合格を手にした男が、石椅子に腰を下ろしているのだが……打ちひしがれたように項垂れて、その顔色は雷堂以上に疲弊していた。


「大丈夫か?」

「人が多すぎる。近すぎる。二度とごめんだ」

「安心しろ、受かったら二度はねぇから」


 科挙は、位が低くても学力を証明さえできれば誰でも――たとえ平民だったとしても受ける事ができる。その影響か、受験者は多く倍率も高い。しかも、試験官は省都の役人だけではなく、皇都からも派遣されたりとその目の厳しさは尋常ではないのだ。不正防止の為に外とは孤立もさせたりと、何かと息苦しい場でもある。

 城でしか生活した事のない蚩尤にとって、貴重な経験となった……と言えるだろう。漸く会場から解放されて外の空気を吸うために、太学の中庭にて休息をとっているのだが、座り込んだ蚩尤に動く気配はない。

 完全に、人酔い状態である。 


「とりあえず、帰るぞ。少しは歩けるか?」

「……まだ待て」

「なら、ここ迄馬車呼んでくるから待ってろ」

「今、あの狭い空間に入りたくない。歩いて帰る」

「あほ、俺が叔母上に殺される」


 駄々を捏ねるような言い草の蚩尤だが、顔色は芳しくはない。寧ろ、今にも何かしらが喉の奥から舞い戻って来そうでもある。まあ、貴族とはいえ寝泊まりも簡易的な部屋こそ用意されるが一人ではない。蚩尤は一人が好きな性質なのも相まって、気が休まる時間も無かったとも言える。


「なら、乗っけてやるから」

「……頼む」


 人が減った中庭で、雷堂はある程度の空いた空間に立つ。すると、身体が脈打つように波打った。雷堂の身体が蜃気楼のように曖昧になると、その身体は全身が光沢ある鱗により黒く染まる。頭からは角が、口からは牙が、胴は蛇のように長くなり、手足は鋭い爪まで現れた。終いに、長い尾の先をくねらせて、「ふしゅう」と息を吐く。

 金の瞳だけが同じ色でそこにあるが、炯々と神格に近しくなったように威圧が増していた。


 その姿、正しく龍である。


 龍人族は二つの姿を持って生まれてくる。一つは、人。もう一つは龍だ。龍血りゅうけつと呼ばれる血が呼び起こす雄々しくも威厳ある姿は、龍人族本来の姿と言っても過言ではないだろう。

 蚩尤は黒龍の姿をじっと眺めた後、漸く座っていたその場から腰を浮かせて、雷堂の七けん(※十四メートル程度)以上にはなった龍の背へと跳び乗った。


 その胴がふわりと浮く。鳥が羽ばたく様な姿ではなく、魚が泳ぎ始める動作のようにくねらせた身体が、水面を進むかの如く宙を泳いだ。そうやって、雷堂は蚩尤を背に乗せたまま、紅砒こうひ城へと向かっていった。


「念の為に言っておくが、俺の上に吐くなよ」

「…………」

「おいっ」

「冗談だ」

「笑えねぇ!」


  

 春より、晴れて二人は官吏への道を進む。

 丹省の地に降り立って、早十三年。

 横目に映る、白い山の景色の一端が幼き日を思い起こさせる。それと同時、雷堂に一つの思考が浮かんだ。


「なあ、そういやぁ気になったんだけどよ。お前、自分が、て考えた事はないのか?」


 雷堂は龍人族だ。龍人族の寿命は五百年と決まっている。だが、蚩尤は人だ。

 人の寿命は平均で五十年。長くても、七十年程度だ。 

 けれどもこの世には、『不死ふし』なる存在がいる。


 寿命をもたぬ、だが永遠は生きる事のない者達。

 神々の影響を受けて、または神の血を受け継いでこの世に現れる不死なる者達。寿命がないと言っても、歳をとらないわけではない。精神の衰弱により、不死は老いる。その老いが、不死の肉体に死を与えるのだ。

 

 丹諸侯、姜家当主共に、更にはその両名の妻も、既に百年を超えて生きているが、その身姿は若さを保ち続けている。だが、その血を受け継いでいるからと言って、必ずしも同じく不死として生まれてくるわけではない。不死に自覚はなく、長く生きて初めて自認が出来ると言えるだろう。 


 蚩尤が不死なる存在でない限りは、蚩尤が後継なるものになる可能性は無に等しい。

 だとて雷堂は、蚩尤が不死だろうが、只人ただびとだろうが、どちらでも構わなかった。どちらであろうが、雷堂は一度決めた事を変える気はない。もう心に決めているのだ。

 蚩尤はまだ二十三歳。不死への自認が芽生えるにはまだ早い。だから、ちょっとした話の一つ程度のつもりだった。けれども、蚩尤からはなかなか言葉が返ってこない。


「蚩尤?」

「俺は……多分、不死だ」

「まあ、お前病気した事ないもんな」


 不死は病にかからない。それを基準にする者は多く、断定こそできないが一つの判断材料だ。更に言えば、両親が不死であるとその子供も不死で生まれる可能性は高い。

 だから、蚩尤が「多分」といった事に雷堂は深くは考えていなかった。



  

 けれども、雷堂の目の届かない背の上。

 蚩尤は一人、雷堂の言葉に小さく「ああ」と返しながらも、背後へと目を向けていた。まるで、自分が不死である事に確信があるかのように、更には白仙山に何か意味を求めるかのように、白く染まる山を双眸に映していた。


 高く聳え立つ白仙山は今日もそこにある。

 悠々と、雄大で優美な様を変わりなく見せつけて、物言わぬ。


 真実を知り、どうやっても辿り着けないと知るその瞳には、今も尚、まだ見ぬ地があるその向こうへの憧れは消えていない。

 けれども、今の蚩尤は憧憬とはまた違った想いが瞳に宿る。


 両親にも、伯父にも、幼き日より信頼した友人にも言えぬ想いが、蚩尤には宿っている。

 けれども決して、誰にも言えない。

 

 言ってはならぬとが己に命じるのだ。

 

 使命を秘めた姜蚩尤。

 これは、紆余曲折ありながらも不死たる道を歩み、人君の頂きへと辿り着く迄の物語である。

 


 第一章 冬の都 了

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