第40話 いいんちょ
「旦那様起きて。朝、朝だよ~」
「う……ん……」
優しい声と共に肩を揺すられ、シキの意識がゆるやかに覚醒する。
目を開けると窓からは暖かい日差しが差し込み、体にかけられている真っ白なシーツが輝いていた。
寝心地の良いスプリングベッドから体を起こし視線を右に向けると、エプロン姿の可愛らしい少女が微笑んでいる。
亜麻色の髪を腰まで伸ばしていて、くりっとした瞳がシキを愛おしそうに見つめていた。
「ほらほら、朝ごはんできてるから、顔を洗っておいで」
「……うん」
水洗トイレで用を足し、洗面所の蛇口を捻り温水で顔を洗う。
備え付けのタオルで顔を拭けば、鏡に映るのは冴えない前世の姿……を一瞬幻視したが、すぐに少年の姿に戻った。
久しぶりに文明の利器を堪能して、日本に戻った気分になっていたようだ。
そもそも朝起こしてくれる可愛い幼馴染? など居るわけないのだから、すぐに気付きそうなものだが。
ここはCRで購入した
カーゴトラック型、牽引トラクター型、各種武装が搭載された荷台のないキャブ付シャーシ型など色々あるが、これは要人宿泊用のキャンピングカー(装甲車)である。
少々手狭ではあるが、ホテルの一室のように設備は充実していた。
リビングスペースに行くと、亜麻色の髪の少女 〈SG-062 ルミナ・ヴィオス〉がシキを笑顔で出迎える。
服装は上が夏季仕様の軍の士官用シャツに、下は紺のプリーツスカート。
まるで学生のような出で立ちと世話焼きな彼女の性格から、〈学級委員長〉という単語がシキの脳裏をよぎる。
テーブルの上ではルミナが用意した朝食が湯気を上げていた。
「糧食を温めるだけだと味気なかったから、卵焼きを作ってみたよ」
「おお……美味しそう。厚焼き玉子だ。ケッコーの卵かな?」
「うん、エリンお義母さんが近所のお婆ちゃんから貰ったのを分けてもらったんだ。一応塩味だけど物足りなかったら、糧食のトマトソースハンバーグのソースを使ってね」
シキは「いただきます」と両手を合わせてから厚焼き玉子を口に運ぶ。
柔らかくて程よい塩味に懐かしさがこみ上げ、頬がほころぶ。
「美味しい」
「ほんと? よかった~」
シキの判定を緊張気味に待っていたルミナが、安堵すると同時に花のような笑顔を咲かせた。
前世はともかく、今世は食欲旺盛な子供なので朝からハンバーグでも問題ない。
対面に座って頬杖を突きニコニコしているルミナに見守られながら、シキは厚焼き玉子と糧食を完食。
二人で後片付けをしてから外に出る。
そこは樹海のスプリガンの防衛ラインより、五百メートルほど男爵領側に離れた場所だ。
鬱蒼とした森林の中に、シキが実験で出した6×6輪駆動で装甲を纏ったキャンピングカーが鎮座している。
多少の悪路なら物ともしないが、さすがに原生林の中は走れない。
なのでこのキャンピングカーは完全に家扱いだ。
Break off Onlineの世界の車両なので動力や燃料の詳細は謎だが、運転自体はシキの前世が持っていた普通免許でもできそうだった。
現在の体では背が低くてアクセルペダルに足が届かないが。
このキャンピングカーは大型魔獣十匹程度を倒すと手に入る程度のCRで購入できた。
毎日一体くらいの頻度で大型魔獣をスプリガンたちは倒しているので、おおよそ十日分の稼ぎで購入できることになる。
これを高いと取るか安いと取るか。
この世界にとって未知の技術、物質、エネルギーの塊という時点で安いということはないだろう。
ちなみに大型魔獣一匹の素材を余すことなく回収できれば、貴族向けの馬車が三台くらい作れる額になるそうだ。
つまりキャンピングカーは貴族の馬車三十台分。
この世界の貴族や研究機関に差し出せば、その十倍や二十倍の価値になるのではなかろうか。
キャンピングカーには本体以外にスプリングベッドやシーツ、タオルといった備品、シャワールームには石鹸やシャンプーといったバスアメニティが付属。
貯水タンクには飲食可能な真水が満タンだ。
備品取りのためだけにキャンピングカーを出すのは勿体ないが、これらだってこの世界では作れない代物なのでとてつもない価値がある。
領地の発展には使わないが、ロナンドとエリンの二人に使わないとは言っていない。
スプリングベッドはロナンドに、バスアメニティはエリンに進呈する予定だが、これらが一定時間で消失してしまわないか確認する必要があった。
「消えないかどうかもだけど、マイアさんがベッドや石鹸を見たら驚くだろうしなあ」
マイアは午後の数時間だけ、エンフィールド男爵家の屋敷の家事を手伝ってくれる村人だ。
それ以外の時間は男爵家の面々が自ら家事や雑事をしている。
エンフィールド男爵家は本当に零細貴族で、その辺の商人のほうがよっぽど裕福だった。
今後は専用のメイドや家宰を雇う必要があるだろう。
精霊の力は隠しておきたいので、気安く備品をばら撒くわけにもいかない。
さてどうしたものか。
そんな事を考えながらシキは、手に持っていた空のシャンプーボトルを翳して観察する。
成分表示も何も記載されておらずカタカナでシャンプーとだけ表示された、シンプルでチープなプラスチック……と思われる物体だ。
中身は別の入れ物に移し替えて、キャンピングカーの中に置いてある。
現状この容器は使い終わったゴミだが、スプリガンが発砲した後の薬莢のように、一定時間で消えるようなことはなかった。
オルティエ曰く「おそらく消えることはありません」とのことだったが、薬莢と違ってキャンピングカーは一度も出したことがなかったので、念のための確認である。
「この分ならCR購入品は大丈夫そうだ」
「はい。倒した魔獣の素材を直接売るよりも、CRに換金して治療薬といった効率の良い品物に変えて販売したほうが、利益効率は遥かに高いです。マスターなら経済を支配することも可能でしょう」
「うん、やらないよ?」
ルミナのお願いで暫くシキたちから離れていたオルティエが、どこからともなくやってきて耳元で悪魔のように囁く。
「寿命以外の死を全否定する治療薬なんてばら撒いたら、経済どころか世界そのものが変わっちゃうよ。しかも治療薬はキャンピングカーのコストで五十個は買えるし。安すぎるよ」
「治療薬の主成分であるナノマシンは、容易に培養できるため生産コストが抑えられています。またメナスとの戦いにおいて、コアAIが治療薬を必要とする状況はあまりなく、需要という観点からもコストが下がる一因になっています」
「……そっか、コアAIも大変だったんだね」
コアAIが治療薬を必要とする状況はあまりないというのは、使う暇もなく死んでしまうという意味だ。
隣で会話を聞いていたルミナの頭を、悲しくなったシキが背伸びして撫でる。
「ふぁっ、旦那様。急にどうしたの? でもありがとう。えへへ……」
「ちょっ、私が説明したのに何故ルミナが撫でられているのですか!? 私も! 私もっ!」
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