第33話 厳戒態勢
スプリガン〈SG-069 プリマ・グリエ〉の特徴として、他機より低めの体高の他に反重力フィールドという固有装備がある。
脚部と腕部で展開できるその装置は、名前の通り重力を局所的に反転させる機能を持つ。
脚部装置は機体の重量をほぼゼロにし、腕部装置は質量を伴った投射物を反射する。
現在は脚部装置の性能が遺憾なく発揮されていて、〈SG-069 プリマ・グリエ〉が建物を屋根伝いに移動しても自重で屋根を押し潰すことはない。
機体は〈非表示〉設定のため見えないが、もし反重力フィールドがなければ屋根の破壊音で人々の視線が一斉に上を向いていたことだろう。
プリマは身軽な猿のように屋根を伝いながらシキとシアニスの屋台デートを追跡した。
「ご主人様。これはなんですか?」
「ベビーカステラ、とは似て非なるものだね。うん」
日本のお祭りで定番の見た目に騙されて、柔らかくて甘いものだと思い込んで口に放り込んだシキは大変な目にあう。
食感が煎餅のように固く、噛み砕いた破片が勢い余ってシキの上あごに突き刺さったのだ。
痛みと共に血の味を覚えたシキであったが、体内に内在するナノマシンが直ちに傷を癒して事なきを得た。
口腔内に残ったのはうっすらとした塩味だ。
「煎餅、じゃなくておかきかな。見た目は完全にベビーカステラなのに騙された……」
「美味しいですね。ご主人様!」
「そうだね。これはこれで美味しいから母様のお土産にしよう」
シアニスがばりぼりと美味しそうにベビーカステラもどきを頬張っている。
コアAIたちは飲食できるが、必須ではない。
飲食できる理由は合成人間というBreak off Onlineの世界観に基づいた設定によるもので、必須ではない理由はゲームのキャラクターだからだ。
世界観通りなら合成人間も普通の人間と同じなので、飲食が必要で汗もかけば寿命もある。
それにスプリガンに搭乗するには、物理的にコックピットハッチを開けて乗り込む必要があった。
一方でシキの視界に広がるメニュー画面は、ゲームとしての設定及び権能だ。
〈搭乗〉コマンドでシアニスたちはワープするかのように、一瞬でスプリガンに乗り込むことができるが、現実でこんな挙動は不可能である。
更に彼女たちはシキと出会うまでの332年間、ずっとスプリガンの中に搭乗していたことになっていた。
普通に飢えて死ぬし、寿命もとっくに尽きているはず。
そのことをシアニスに聞くと「ずっとコックピットの中にいました!」らしいのだが、そう認識していたとしても、本当に肉体が存在していたかは怪しいとシキは考える。
もしくは簡易的な肉体、オルティエのような立体映像に切り替わっているのだろうか。
ちなみに王都に来る際、馬車の上で一切休憩せずに警護に当たっていたスースに「トイレに行かなくて大丈夫?」と聞いたのだが、「コアAIはトイレに行かないので大丈夫です」と、昔のアイドルみたいな答えが返ってきた。
「ご主人様! 大丈夫ですか? どこか調子が悪いんですか?」
思考の渦に飲まれていたシキが視線を上げると、シアニスが心配そうにこちらを見つめていた。
犬耳が力なく垂れ下がり瞳が潤んでいる。
「っと、ごめん。考え事をしていただけだから大丈夫だよ」
頭を振ってシアニスの
紛らわすように頭を撫でると、シアニスは気持ち良さそうに目を細めた。
332年に渡る樹海防衛のお礼として、シキはスプリガンたちのお願いに応える機会を設けている。
今のところお願いを聞けるタイミング少なくて、シキとしては申し訳ない気持ちで一杯だった。
厳正なる抽選の結果、当選したシアニスのお願いは「ご主人様と一緒に美味しいものが食べたいです!」というものだった。
そしてお互いに豪華ディナーフルコースという感じでもなかったので、こうして屋台デートとなったのだ。
二人は身なりの良い少年少女のペアなので目立っており、屋台を楽しむ反応からよそ者だということも丸わかりだ。
そうなるとスリのような犯罪の標的になりやすく……。
『7時方向より怪しい子供が接近』
『了解』
屋根の上から見張っているプリマのボイスチャットの通り、シキの背後からみすぼらしい少年が真っすぐ向かってくる。
そしてそのままぶつかろうとしたが、直前で少年は見えない何かに躓いて転んだ。
「えっ、何? 君、大丈夫?」
大きな音がしたので振り向けば、自分より幼い少年が転んでいたのでシキは助け起こす。
「だ、大丈夫だ……」
何に躓いたのか分からず混乱していた少年だったが、スリをしようとした相手に助けられたと気が付くと、手を払いのけ慌ててその場を立ち去った。
屋台デートの邪魔をしない、プリマとオルティエの見事な連携である。
ボイスチャットのやり取りは、シキとシアニスには回線を開いていないので聞こえていない。
シキに悟られないように邪魔者を排除する。
そのことに二人は執念を燃やしていた。
何故なら自分たちのお願いの番の時に、同様の万全なバックアップを他のコアAIたちにしてもらうためだ。
『オルティエ足癖悪い』
『ふふふ、もちろんマスターの見てる前ではしませんよ?』
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