あきのいっぷんかん

藤泉都理

あきのいっぷんかん




 りぃん、りぃん。りぃぃ、んと、

 秋の虫が鳴いている。

 ゆっくり、ゆっくりと時間をかけて、たったの一匹だけが、鳴いている。


 一匹だけだからだろうか。

 競う相手が居ないからだろうか。

 求婚する相手が居ないからだろうか。

 ゆっくり。ゆっくりと、

 たったの一分間だけ、ゆっくりと鳴いては、鳴りを潜めた。

 夜を迎えた。


 夕焼けの名残は瞼の裏にだけ存在する。

 うっすらと、

 たったの一時間、およそ一時間、夏よりも夜を早く迎えるだけで、どうしてこんなにも、夕焼けの印象が違うのだろうか。

 血肉湧き踊る夕焼けから、芯骨沈み遮る夕焼けへと変わってしまうのだろうか。

 夕焼けは何も変わってはいないのだろうに。


(いや。高さに違いはある。夕焼けはどちらが、いや、どの位置が好みなんだろうか?)


 春夏秋冬。

 どの高さが、緯度が、好みなのだろうか。

 ふと、詮無い事を考えては、瞼を開いた。

 寒さに鳥肌が立ちながらも、枯れ葉の上に寝転んだ身体を起こそうとはしなかった。

 起こす気力がないというのが、正しいのか。

 一気に削がれてしまった。

 徐々に葉を落とすこの木のようにではなく、まるで台風が襲ったかのように一気にやる気が削がれてしまった。


 もういいかあ。

 このまま枯れ葉と一緒に燃えるゴミ袋に詰められて焼却場に連れて行かれるもよし。

 このまま枯れ葉と一緒に菌類に分解されて土に、水に、空に戻るもよし。


 瞼を閉じて、意識して自分の呼吸に耳を傾ける。

 詰まった呼吸音が聞こえる。

 寒い中に居続けた代償だろう。

 ひそやかに流れ出た鼻水が滑らかな呼吸の邪魔をする中、片方が最早使い物にならなくなり、もう片方も時間の問題だろうとぼんやりと思う中、その僅かな隙間を縫って優しい匂いが流れ込んできた。


 出汁の匂いだ。

 意識を集中して嗅げば、和食に欠かせない鰹節と昆布の匂いに加えて、野菜や肉や練り物の匂いもする。


 おでんの季節かあ。

 きっと屋台が近くを通りかかったのだろう。

 今立ち上がって追いかければ間に合うだろうか。

 間に合うだろうなあ。

 ぼんやりと思うだけですぐには実行しなかった。けれど。

 不意にやる気が湧き上がった。

 よいしょっと声をかけて、上半身を起こし、下半身を起こす。腰に両の手を当てて、ゆっくりと僅かに仰け反り、ゆっくりと僅かに身体を左右に捻り、仕上げに腰に当てていた両の手を三日月へと押し上げる。


 きれいな夜空だなあ。

 目を細めて夜空を見上げる事、およそ一分間。

 未だ視界の先に捉えられる赤提灯に触れる為に、ゆっくりと、いや、やや早足で歩き出したのであった。











(2024.11.6)



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あきのいっぷんかん 藤泉都理 @fujitori

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