第24話


 店内は俺が想像した以上に混雑していた。カウンターしか空いていないというのも理解出来る。てっきり2人だからテーブル席に回されなかったと思ったが。

 昼間から酒を飲んでいることもあって、2次会の店に入ったような感覚があった。ここも大衆居酒屋だし、案内してくれる女性店員の香水が鼻を抜ける。俺の好きな匂いをしていた。


「こちらにどうぞー」


 その店員が差した席を見て、俺は言葉を失うことになる。


「どうかしましたか?」

「え、あ、いやえっと……」


 立ち尽くす俺を見た彼女が問いかける。それでも上手い言葉が見つからなくて、頭を掻くしか出来なかった。

 酔っているせいかな。目をこすっても、何も変わらない。俺の視線の先にあるソレは、壁際で一人酒を飲みながら俺たちを見てニヤニヤと口元を緩ませているのだ。


「とりあえず座りますよ。ここで立ってると邪魔になりますし」

「あぁえっと! そっちには俺が座るから」

「ま、まあどちらでも良いですけど」


 食い気味に言う俺の圧にたじろぐ彼女をよそに、俺は腰掛ける。カウンターも俺たちが座る2席以外埋まっていた。佐富士初夏の右側には女性が2人いる。俺の左隣に女性――桜野唯乃は顔を真っ赤にしてもうどころじゃない。どうしてここで一人飲みをしているのかは分からないが、タイミングも悪いし、もうとにかく面倒だ。

 いずれにしても、彼女と桜野を隣り合わせにすると大変なことになる。俺が間に入って、なんとかしよう。予約なんてしなきゃ良かったよ。


「ビールで良いですか?」

「え、えぇ。そっちは?」

「私もビールにします。今日は飲みたい気分なので」


 俺は完全に桜野に背を向けて座る。馬鹿正直に真っ正面を向いて座ることはない。それにカウンター席なら体半分、連れに向けて座るのが一般的だろう。だから何も変じゃない。


 それなのに――。


「へぇ。持ち帰りのチャンスかもねぇ。そういう合図にしか聞こえないなぁ」


 背中から聞こえる声。うん、独り言である。だって桜野は一人で酒を飲んでいるわけだし、俺たちの会話に対する言葉ではない。絶対に違う。そんなことがあって良いはずもない。とにかく黙ってくれ。何も言うな。ちくしょう。

 そんな俺をよそに、佐富士初夏はメニューを見てテキパキと注文していく。特に食べたいものもないから、今は素直に助かった。

 俺も目の前のメニューを見てみるが、見るだけ。ただジッとしていると背中からの声がうるさくてかなわないから。


「やっぱり飲み過ぎじゃないんですか?」

「へっ!? ど、どうしてですか」

「今だってボーッとしていました」


 気がつくと、注文を終えた彼女が俺の方を見つめている。酒を飲んでいたせいか、今朝方よりも美しく見えてしまってたまらない。やっぱりめちゃくちゃ美人じゃんこの人。絶対性格で損しているって。


「す、少し考え事をしてただけです。もう大丈夫ですから」

「どんな考え事ですか?」

「それはまあ、今の状況について」

「はぁ……?」


 別に嘘は言っていない。彼女の反応次第でどうにでも転べる言葉だ。佐富士初夏は何かを言いたそうにしていたが、タイミング悪くキンキンに冷えた生ビールが2杯やって来る。居酒屋の生ビールはどうしてこうもんだろうな。彼女の言葉そっちのけでジョッキを手に取る。


「とりあえず乾杯しましょ。あけおめってことで」

「本当、適当な人ですね」

「そうですよね。私もそう思います」


 俺にしか聞こえない背中越しの返答は無視して、生ビールを流し込む。寒い外を歩いてきて、暖かい店内で飲むからこそ、こののどごしが生まれるわけで。一気に半分ほど飲み干すと、思わず「ぷはーっ!」なんて言ってしまう。


「そういや、休みの日っていつも何してるんですか?」


 佐富士初夏に向けて問いかける。桜野の存在は想定外だったが、ここで変にビビっていては仕方がない。あのメッセージを受けて、俺が誘ったんだから。俺がペースを握らないといけないに決まっている。


「お、口説きが始まったぞぉ」


 桜野のやつ、マジで覚えてろよ。背中向けておいて良かった。顔が見えると、俺はきっとひどいことをしてしまう。桜野をこの空間から追い出すように思い切り咳払いをする。


「別に何もしてないです。無趣味なので」

「じゃあ、ずっと家にいるんですか?」

「そういうわけじゃありませんけど」

「まあでも、趣味って見つけるの大変ですからね」


 趣味を見つけたいという考えは理解出来る。でも、趣味というのは自ら望んでするものであって、見つけるものではないというのが俺の持論だ。趣味を探すのにもお金がかかるし、アウトドアかインドアかでも大きく変わってくる。

 結局、生きている中で見つかるものなんだよなあ。かくいう俺も特に趣味がない人間だから、こういう質問をされると困るタイプである。


「そういう適当さんはどうなんですか」

「来ると思いました。俺も無趣味です」

「人に聞いておいてそれはないんじゃないですか」

「ええ、俺もそう思います」

「……真面目に聞いた私が馬鹿でした」

「そんな言わないでくださいよ。俺は一人になったんで、これから探すところです」


 あのまま聖夏と結婚していたら、きっと彼女のことばかり考えていただろうな。俺は聖夏と一緒に居られればそれで良かったから。

 ……でも、彼女はどうだったのだろう。海外に行きたいって俺にぐらいだ。少なくとも、俺みたいな考えを持っていたとは考えづらい。

 俺は、加藤聖夏のことをどこまで考えていたのだろうか。幸せにしたいとか、一緒に居たいとか言っておきながら、それは俺がそうしたかっただけじゃないのか。それは彼女のことを本気で考えていなかったってこと――。


「落ち込んでるんですか」


 負のスパイラルに陥りそうになった時、意識を呼び戻したのは彼女だった。無意識に俯いていた顔を上げて彼女を見る。少し呆れながら、でもどこか優しくため息を吐いていた。


「え?」

「やっぱり酔っ払ってますね。人は酔うと本音が出ますから」


 気がつくと、彼女はジョッキを空けていた。え、いつの間に? 俺が考え事をしている間に飲み干したって言うのか?


「そりゃ落ち込みますって。一世一代のプロポーズっすよ」


 つい愚痴っぽく言ってしまう。こうやって言葉に出すことでいつまでも吹っ切れることが出来ないわけだが、かといって黙っておくと胸の中で靄がどんどん大きくなっていく。

 軽い気持ちで残りのビールを流し込むと、彼女がおもむろに口を開いた。


「今までの適当さんの態度は、本気で落ち込んでいるようには見えなかったんです」

「そ、そうですかね」

「それが今、少しだけ腑に落ちました」


 俺はこの時のことを、多分一生忘れないと思う。

 喧噪とした店内で、一人、空になったジョッキを見つめながら、小さく小さく微笑んだ佐富士初夏という人間を。それはあまりにも美しくて、固唾を飲んで見守りたくなるような優しさに満ちあふれていて、でもどこか、はかなげで弱々しい陽光のように。

 あの瞬間の俺は、間違いなく彼女に見惚れていた。


「どういう、ことですか」

「今の適当さんが素ってことですよね」

「俺はずっと素を見せていたつもりですけど」

「いいえ。私はいま初めて、アナタの素を見た気がします」


 そう言う彼女は、今までに無いぐらい真っ直ぐ俺を見つめる。

 照れくさくなって、咄嗟に店員を呼んだ。

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