第40話 高貴な娘
「その噂がどういう噂だったか、細かいところまで言ってみて」
あの
「あんた、起きちまったのか」
バンショーが振り向く。
それはここの天井板がそのまま床板になっている部屋で寝ているのだからあたりまえでしょうとカスティリナが言おうとする。
でもアヴィアが
「もしかすると公国の存亡に関わる大事件かも知れないでしょう? だから言ってみて。どんな不確かそうなことでもいいから」
「あ、ええ」
男たちは偽のアヴィアの凛とした声に
圧されて、男たちのなかでいちばん気の弱そうな男が言った。
それにしても、このアヴィアは、カスティリナといっしょにいるあいだ、「存亡に関わる」なんて難しいことばは一度も口にしなかった。
「はい。その。昨日の夜、公女様が連れ出されたっていうんです。あのハーペンの
「それはおかしいわ」
この娘は自分にはそんな女っぽいしゃべり方はしないのに、とカスティリナは思う。
でも苦笑しているばあいではない。まじめに耳を傾ける。
「だって、あの城は厳重に警備されているのよ。それに、公女様にだって警備の兵はついてるし。そうかんたんに連れ出されはしないわ」
いまは公女にもちゃんと「様」をつけている。
「だから噂なんですよ」
気弱そうな男をかばうように、もう少し歳上の男が言う。
「アルコンナの手先が公女様を夜中に連れ出したって」
「だって、公女様はアルコンナにお嫁に行くんでしょう? それをなんでアルコンナ公国の手先がわざわざさらわないといけないの?」
「戦争ですよ戦争!」
もう一人がいきなり話に割りこんだ。
「公女様を自分の国に嫁がせると言いながら、それを途中で逃がした、それが無礼だって言うんで、アルコンナのやつら、こっちに戦争を仕掛けてくるつもりなんだ。ね? やつらのことだから、これくらいやりそうなもんでしょう?」
たしかに、やりそうなものだ。
アルコンナは過去にそういう手管をいくらも使って、いまの強国の地位を築いた。あのチェルという子が言っていたように、それでソフェもポジアもエジルもアルコンナに併合された。
次はミュセスキアの番だ。
ミュセスキアの人がそう恐れていたとしても、それはふしぎではない。
だが、だからこそ嘘っぽい。限りなく黒に近いまっ白、といったところだ。
偽アヴィアも厳しい声で問い詰める。
「それはあなたがそう思っているだけ? それとも、そういう噂が流れているの?」
「それはもちろんみんなそう言ってますよ。だから、ハーペンの連中、朝からあの
「そう。公女様に会わせろ、公女様を出せって、ほんと」
「そうそう。ほんと、大騒ぎで。それで、これはもう魚の注文をとるどころじゃないって思って、おれたち、急いで引き上げてきたんですよ」
みんなが声を揃える。
大騒ぎと聞いて、バンショーは深刻そうに
偽アヴィアは
「ありがとう」
と、あの高貴な声を崩さないまま三人の魚商人に言う。
そして、バンショーにそっと近づくと、
「バンショーさん、ちょっと来てください」
と耳打ちした。
さっきのお嬢様のような高慢な話しかたでではない。
いつもと同じ気丈な娘の声でだ。
偽アヴィアは四方に階段のついた吹き抜けの
魚商人たちは後ろで不安そうにその姿を見送っているだけで、何も言わなかったし、ついても来なかった。
中の間には
偽アヴィアはまわりを見回して、人がきいていないかどうか確かめているらしい。
いまこのアヴィアに話をさせてはいけないとカスティリナは思った。
だが止められなかった。
「バンショーさん、今日は何か仕事あります?」
「いや、何も決まってないけど」
バンショーも偽アヴィアの態度に圧されている。
さっきの高慢な話しかたが効いているのだろうか。
偽アヴィアはすぐに続けて早口で言う。
「じゃあ、今日はわたしたちにつきあってください。馬車、出せますよね?」
「ああ、それは」
「それじゃ、いますぐ、セクリート君を起こしてきて。ぐずぐずしないで、
「あ、ああ、でも」
偽アヴィアの様子にバンショーはとまどっている。
止めるならばいま口をはさむべきだ。
でも、カスティリナはやっぱり声を出せなかった。
偽アヴィアは、もういちどあたりを見回してから、バンショーにきつく言った。
「あの子の同じ村の女の子の身が危ないんです。何かあったら助けるって、昨日、約束してましたよね?」
「ああ」
バンショーはわかっていないようだ。でも、考えて納得しないと動かないような男ではないらしい。
「ともかく言われたとおりにするよ、お嬢さん」
「じゃ、わたしたちもすぐに身支度するから」
バンショーは早足で向かい側の
偽アヴィアは自分たちの部屋へつづく階段に足をかけた。カスティリナがついてくれば足早に駆け上がるつもりらしい。
カスティリナも念を入れて周囲をうかがう。
だれもいない。
魚商人たちも自分たちだけで話していていまはこっちに注意してはいない。壁までは少し離れているから、壁の向こうにだれかいても、ここでの小声の話を聞かれることはないだろう。
カスティリナは心を決め、階段を見上げて声をかけた。
「殿下」
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