第33話 世のなかに絶対に安全なことなんてない
カスティリナはもう
それに気づいて、セクリートはタオル地の毛布を慌てて引き寄せて頬のところまで覆い、慌ててスープを
啜ってしばらくセクリートは苦しそうにした。やはり熱かったのだろう。
でも、それで気が落ち着いたようだった。
ふうっと大きく息をついてから、湖のほうを見ていたセクリートは、アヴィアのほうを振り向いて、その顔をにらみつけた。
いや、にらんだつもりかも知れないが、そのまじめな顔に幼さが出ていて、かわいらしい。
「でもどうしてそんなこと知ってるんだ?」
アヴィアのことばにあまりにすなおに答えていたので、セクリートはそれを疑問に思いもしなかったのかと思ったが、そうではなかった。
逆に、アヴィアが、そのセクリートと、セクリートの知っているほうのアヴィア嬢の話をよく知っているので、とまどったのだろう。
いまアヴィアと名のっている娘は、やっぱり目を細めて笑って、少し首を傾げて柔和な声で答えた。
「だって、この服、ほんとにそのほんもののアヴィアからもらったんだもの。それに、体つきがそのアヴィアに似てることも知ってる。声は違うけどね。顔はたしかに似てないけど、顔の形は似てるでしょ? だから、わたしがいま着てる服を見て、わたしをアヴィアさんだって思ったとしたら、それはまちがいじゃない。それに、カスティリナにも謝らないといけないんだ、わたし」
言われたので、カスティリナは後ろのアヴィアを見なければならなかった。
いまそう名のっている娘を、だけど。
そのアヴィアはちゃんとした椅子に座っているが、カスティリナは低い腰掛けなので、首を後ろ向けて見上げなければいけない。
そのアヴィアが貴族の娘らしく品のある微笑で自分を見ている。
おもしろくない。
こういうふうに人を見るから貴族というのは嫌いだと思う。
「あのあとね」
アヴィアはカスティリナから目を離さないで言った。
「バッサスまでの乗合馬車のなかでずっと考えてた。それで考えついた。もしわたしがほんもののアヴィアとまちがえられたとしたら、着ているこの服のせいだって」
「だから宿に着いたらすぐに慌てて着替えたんだ」
「そう。でも、あの神殿で普段着のほうだめにしちゃったでしょ? それに、この子だってシャンティーよりは先に行ってないと思ったから、この服、着たんだよね」
セクリートが何か言おうとする。「この子」などと言われたからだろう。
でもその前にバンショーが口をはさんだ。
「こいつは
「なるほど」
カスティリナは言って、バンショーのほうに顔を向ける。
「それで、バッサスに戻って」
「いや。馬はシャンティーの知り合いに預けた。こいつが急いでたもんでな。自分の好きな女が
チェンディエルの先は山道になる。山道ではとても追いつけないと思ったらしい。
カスティリナが続ける。
「それであの橋の手前に先回りしてたんだ」
「そうだ。それで、その赤い乗馬服の女は悪いやつかってきくと、いや、あんたのことだよ。こいつは、その女は悪いやつの手先に違いないって言う。こいつ、嘘のつけそうなやつには見えなかったから。それをアゼリア橋の手前で確かめた。でも斬り合いになるのはいやだとか言う。だから、こっちのお嬢ちゃんを連れ返す手助けをした。そしたら、こういうことだ」
「ふうん、そういうこと?」
カスティリナが初めて聞いて感心したというように言ってセクリートを見た。
セクリートは何も言い返さないで、恨みがましそうな目でカスティリナを見ている。それがまた中途半端な恨みがましさでかわいらしい。
カスティリナは続けて言った。
「だいたい、バッサスの神殿で、あんたが危ないところを助けてやったじゃない? どうしてそのわたしが悪いやつの手先なわけ?」
「悪いやつの手先が悪人とは限らないじゃないか」
セクリートはもじもじしながらも一人前に反論してくる。
カスティリナはふんと鼻を鳴らし、セクリートのほうに向いて斜めに座り直した。
「で、アヴィアさ」
カスティリナが呼びかけたその名を聞いてセクリートがはっと顔を上げる。
カスティリナは、ほんとうの名でないと知っていてもこの娘がアヴィアだと思っているし、セクリートは別のだれかをアヴィアだと思っている。
ややこしくてしかたがない。でも、この娘がほんとうの名を名のらないのだから、どうしようもない。
「そのほんもののアヴィアさんはいまどこでどうしてるわけ? この子が知りたいのはそういうことだと思うんだけど」
アヴィアは不機嫌になった。
「わたしの
つまり、ほんもののアヴィアの居場所を言うとこの偽アヴィアの素姓に触れるというわけだ。
そんなことだろうとは思っていたけれど。
「ま、ともかくね」
でもアヴィアはカスティリナとセクリートの両方を半々に見て
「セクリート君の知ってるアヴィアさんと、わたしとで、名まえと服を交換したの。だから、いまここでアヴィアっていうと、わたしのこと。そのアヴィアがいま何って名のってて、どこにいるかは、わたしは知ってるけど、でもそれは言えない」
「インクリークのどこか、っていうことか?」
セクリートも座り直し、偽のアヴィアのほうに顔を向けて尋ねる。
もうもじもじしてはいない。必死だ。
「ま、わたしと最後に会ったのはインクリークだったね」
「無事なんだな」
「怪我も病気もしてないっていう意味なら、そうね」
「それはどういう意味だよ? 怪我も病気もしてないけれど、何か危ないことになってるのか? そういうことなのか?」
「世のなかに絶対に安全なことなんてないと思うけど」
偽のアヴィアはそう言ってちらっとカスティリナを見る。
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