第3章 小国の公女の冒険

第28話 湖

 空は青く晴れていた。

 湖もその青い空を映して青い。

 あの天の川とは比較にならないけれど、高いところから見下ろすディエル湖もやっぱり大きかった。

 あのあと、バッサスに戻り、街の城門の門番に宿を紹介してもらった。

 男に追われて困っているという様子を何となく見せながら、あまり目立たない宿屋がいいというと、門番は小さい宿屋を紹介してくれた。

 街の外で畑を作っている家が小遣い稼ぎに宿をやっているらしく、客は一組しか泊められないという。

 便利な宿ではなかったが、主人は、翌日には行きたいところまで馬車を出してやろうと言った。

 そこで、カスティリナとアヴィアはたっぷり寝て、日が高く昇ってから、シャンティーは素通りしてディエル湖に下る手前の分かれ道まで送ってもらった。

 出発を遅くしたのはセクリートと会わないための用心だ。

 街道沿いであのセクリートが動けなくなっていたとすると、朝一番で街道を通ればセクリートが助けを求めてくるかも知れない。同乗お断りと言っておいても、あわれな姿で現れたら助けないわけにはいかない。

 シャンティーを素通りしたのも同じ理由だ。セクリートは、バッサスでアヴィアを見つけられなければ、次はシャンティーでアヴィアを捜そうとするだろうから。

 それでも、セクリートも道端で倒れたまま寝過ごしていて、ちょうどカスティリナとアヴィアが通りかかるころに起きて、二人の乗った馬車に助けを求めてくるのではないかとか、シャンティーの町ではセクリートが馬車に乗っている女の身許を確かめようとするのではないかとか、カスティリナはずっと気にしていた。

 アヴィアも外から見えないようにほろの隅に隠れて黙っていた。同じことを気にしていたのだろう。

 けれどもそれはむだな心配に終わった。少年はシャンティーまでの通り沿いでもシャンティーの街でも見かけなかった。

 夜のうちにバッサスまで戻ったか、シャンティーのどこかの宿で休んでいるかどちらかなのだろう。

 しかし用心しなければいけないのはセクリート少年だけではない。

 昨日の盗賊団の残党が追ってくるかも知れない。バッサスの子どもたちを助けることができたのはよかったけれど、そのぶん、用心しなければいけない相手は増えてしまった。

 カスティリナとアヴィアは、馬車で送ってくれた宿の主人には、分かれ道から山を下ってハーペンに行くと言っておいた。

 ハーペンは公国でインクリークに次ぐ大きい都会で、ネリア川の上に張り出した白壁の城館が有名な街だ。

 国公こっこうとその家族は年に何回かこの都会を訪れ、この白壁の城館に滞在する。だからハーペンは公国の副都と呼ばれている。

 ここからハーペンに行く道は坂が急だ。途中が石段になっていて、普通は馬車では通れない。だから、この分かれ道で馬車を降ろしてもらうならば、相手はすなおにハーペンに行くものと思うだろう。馬車を出してくれた宿の主人が帰りにセクリートや盗賊団の残党に出会ったとしても、娘の二人連れはハーペンに行ったと言ってくれるに違いない。

 ハーペンまで何をしに行くかの説明は必要なかった。

 「ああ、公女様の婚礼行列を見に行くんだ、あんたたち。いいよなぁ。公女様の婚礼行列なんて一生に一度見られるかどうかだもんな」

 宿の主人は、そう言うと、ハーペンまでの行きかたと、坂を下った後にどの辻馬車宿に行って辻馬車を雇えばいいか、ハーペンではどこに泊まればいいかを懇切こんせつに教えてくれ、やがて分かれ道の近くの茶屋へと姿を消した。

 カスティリナとアヴィアは、宿の主人と別れると、ハーペンではなく、ディエル湖に下りる坂道へと向かった。

 こちらも坂だったが、馬車が通れるように道がつけてある。ハーペン行きの坂はごつごつした岩場を下るらしいが、こちらの坂の両側は広く開けた草原だ。

 坂の上からは、湖と、湖の向こう岸の高台にあるチェンディエルの街がよく見えた。

 湖は、小さくさざなみ立ち、ところどころ日の光を反射して一瞬だけまばゆく輝く。葦船あしぶねがところどころに浮かび、その上では漁師たちが何人もで糸を垂らしたり、網を打ったりしていた。

 網を打ったところから波紋がゆっくりと広がっていく。

 アヴィアは両手を頭の後ろに組んで身を反らし、「うーん」とかわいいうなり声を立てて欠伸あくびをした。

 もともと眼が細いので、そうやって気もちよさそうにしていると猫のようだ。

 その表情のまま坂道を歩いて下りていく。

 背が高いし、大股で樵夫きこりのようにたくましく歩くから、速い。

 もっとも、歩く速さについていえば、アヴィアの歩きが速いぶん、カスティリナはいらいらせずにすむ。

 今日は着ているものがいっそう田舎娘らしい。インクリークを出たときと同じ飾りボタンいっぱいの乗馬服を着て、同じ布地で作った帽子をかぶっていた。その帽子は丸い帽子で、まわりにフリルがついていて、短いつばが出ている。そのフリルの上にまたいっぱい飾りボタンがついていた。

 普段着はすすだらけにしてしまったし、裾をちぎってほおかむりを作ったりしたものだから、右と左で裾の長さが違っていて着られたものではない。

 もっとも、カスティリナも乗馬服を一着煤だらけにしてしまったから、どこかで服を洗わないといけないけれど。

 アヴィアは、歩きは山村の娘風、衣裳は田舎娘風で、ものの言いかたはセディーレ派貴族の家のセディーレ派嫌いの娘のようだ。

 よくわからない娘だ。しかも、見たところ、「よくわからない娘」らしい謎めいた感じがまったくない。

 「よくこんなところに橋をけたもんだねぇ」

 アヴィアは、湖のちょうどまん中にかかっている橋を見下ろして言った。

 橋は木の橋で、まっすぐにかかっている。

 幅は中くらいの馬車がすれ違えるほどだ。ただ、両側には手すりはないから、端を歩いたり馬車を走らせたりすることはできない。

 「ああ」

 カスティリナがなま返事へんじする。生返事だけでは味気ないので、アヴィアにきいてみた。

 「あんたなら、なんでわざわざ湖にこんな橋を架けたか、知ってるんでしょ?」

 「うん」

 アヴィアは軽やかな声で答える。

 「このディエル湖はますれて、有名なんだけど、網主あみぬしの家はだいたい向こうっかわの岸にあるんだよね。で、いま通ってきた山街道が、昔は歩く人しか通れなかったんだけど、小さい馬車なら通れるように改修されたときに、鱒を塩漬けしないで馬車でインクリークまで運べるようになった。でも、そうすると、こっちの岸のほうがインクリークに馬車で荷物運ぶには早いじゃない? だったら、インクリークに鱒を送る網主さんはこっちの岸に移ろうとするよね。でも、税務管区がこっちの岸はシャンティーで、向こうがチェンディエル、だから、チェンディエルから直接に馬車で鱒をインクリークまで運べるようにこの橋を架けたっていうんだけど」

 「うん」

 「でも違うんだよね」

 アヴィアは得意そうに言った。

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