第27話 天上の大河

 乗り手が「はっ! はいっ!」と言って、しきりに馬を叱咤しったしているのがわかる。

 そして、そのかんだかい声で、その乗り手があのセクリート少年であることも見当がついた。

 アヴィアとカスティリナはすぐ近くで顔を見合わせた。アヴィアが笑いかけていて、それをおさえているのがわかる。

 自分も同じような顔をしていただろうとカスティリナは思う。

 威勢いせいのよい早足はすぐに並足になり、その足どりも乱れてきた。少年の声もえがちだ。

 ここに二人が隠れていることを知って、脚を落としているのだろうか。

 そうではなさそうだ。しきりと鞭を入れているのがわかる。

 できれば馬を駆けさせたいのだ。

 二人の娘の前の道を馬が通り過ぎていった。

 乗っているのは体格の大きい男に見えた。だが、よく見ると、それはあいかわらず前と同じ服を着ているらしいあの少年だった。

 体格が大きく見えたのは、馬が小さかったからだ。

 背が低いかわりに頑丈そうな体つきをした馬だ。すきを引いたり荷を運ばせたりするための駄馬だばだろう。もともと早足で駆けさせるための馬ではない。

 馬は背に乗った少年をもてあまし、少年は馬に言うことを聞かせることができずに困っている。それでも、馬は止まることなく、少年も馬から下りることなく、街道を進み、やがて峠へと登る坂道を上がっていった。

 「どうしよう?」

 アヴィアが言う。

 こんな困り切ったような声を立てるんだと思ってカスティリナは黙っている。

 「あれ、そのうち馬がばてるよ。ばてなくてもいやがって止まっちゃうよ。それでこのまま行くとわたしたちが追いついちゃう」

 カスティリナも同じことを考えていた。馬がばてて動けなくなったら、あの少年は道を行く人に助けを求めるだろう。そこに二人でわざわざ踏みこんで行くことになる。

 「バッサスに戻ろう」

 カスティリナは言った。

 「さっきとは違う宿に泊まって、で、明日、馬車を雇ってでシャンティーまで行こう。馭者には最初から手当をはずんで、だれも相乗りさせないようにしよう。そうしないと、馬が倒れてどうにもならなくなって、あいつが乗ってくるかも知れないから」

 「うん」

 アヴィアも反対はしなかった。

 今度はあしもとを注意しながら、街道へと戻る。

 セクリート少年から見えていないか、ほかにも旅人はいないかを確かめてから、街道に出る。

 いままで来た道を逆戻りだ。

 今度は東へ向かうことになる。

 「ああ!」

 アヴィアが胸の底から声を立てたのでカスティリナはとまどった。

 アヴィアは道の上に立ち止まったまま斜め上を見ている。

 そこには空しかないはずだ。人には見えないものが見えているように、アヴィアはその空へ目を向けている。

 「どうしたの?」

 気後れしながらカスティリナがきく。

 「あれ……」

 「うん?」

 何を言っているんだろうと思ってカスティリナも同じほうを見る。

 「あまがわって、あんなに大きな川だったんだ……」

 「ああ」

 天の、長い大きな川が、東から昇ってきて中天ちゅうてんにかかろうとしていた。

 それは、空の北の端から南まで、広がったり、狭まったり、大きな中洲なかすがあったりしながら、途切れることなく続いている。煙のような淡い雲の連なりだ。

 でも、この暗い空に見上げると、それは明るい星々に劣らずくっきりとさやかに地上を照らしているようにも見えた。

 「ほんと、大きいよね」

 アヴィアは空を見上げたまま動かない。

 カスティリナはいらつ。ここにあの少年が戻ってきたら厄介なことになるというのに。

 でも、アヴィアの思いにもう少しつきあってやっていいとカスティリナは思いなおした。

 「それはさ、天の上を流れる川なんだから。大きいのはあたりまえだよ」

 「北から南に流れてるっていうよね。川の両岸の星が神様の王国で」

 「うん」

 カスティリナは天の川が普通の川とは違うことを知っていた。

 望遠鏡で見れば、天の川はほんの小さな星を川底の砂のように無数に敷き詰めた川に見える。

 その川に何が流れているのだろう?

 でもいまアヴィアにそんな話をしても仕方がない。

 昼にあのいにしえの城壁の出口から見たネリア川の川面が細かく波立ち、輝いていた。

 あの川の輝きをずっと遠くにして、上流から下流までを見渡せば、この天の川のように見えるのだろうか。

 アヴィアは昼に見たあの川の輝きを思い出しているのだろうか。

 しばらく、カスティリナはアヴィアと並んで、天上の大河を見上げている。

 だがアヴィアはまったく違うことを考えていた。

 「あの天の川でも、上流の国と下流の国で、あいだの国の取り合いをして戦ったり、あいだの国は嫁取りをしたり婿むこ取りをしたりして国をなんとか守ろうとしたり、そんなことをずっとしてるのかな」

 カスティリナは答えなかった。そう言ったアヴィアのほうを見ようとして、見るのもやめた。

 その問いは傭兵に答えられる問いではもともとなかった。

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