第25話 剣を使わなかった理由

 月はすぐに沈んでしまった。

 あとはほしづくだ。広い夜空にはいちめんに星が瞬いている。

 星の明かりは明るく、一つひとつが針のように鋭く輝いている。

 だが、地上は、これから歩いて行く道がなんとか見分けられる程度だ。

 娘二人はその星空の下を急ぎ足で歩き続けている。

 荷物全部を持って煙突から抜け出すのは、身一つ抜ければよかったさっきよりもずっとわずらわしかった。注意はしていたが、体じゅうがすすだらけになったことだろうと思う。

 顔はぬぐった。肌が見えるところもいた。服についた煤とほこりもはたいたが、まだ残っているだろう。

 普段着で、しかもスカートの裾をちぎったまま繕ってさえいないアヴィアはともかく、きちんと乗馬服を着ているカスティリナには気になる。

 ところで、アヴィアがスカートのすそをちぎったのは、さっきの神殿でほおかむりにするためだった。おかげで前の右のほうだけスカートの丈が短いという奇妙な服装になっているが、アヴィアは気にしないらしい。

 貴族というのはもっと身なりに気を使うのではないか。

 よくわからない娘だ。

 このあたりはまだ道の左右が開けている。

 森もない。

 遠くから、ふくろうの鳴き声や、名も知らない鳥の鋭い叫びがときどき聞こえるだけだ。

 次の宿場シャンティーは遠い。バッサスを朝に出てもシャンティーに着くのは夕方になる遠さだ。しかも途中に三回の峠越えがある。

 夜のうちにはシャンティーにはたどり着けないだろう。

 しかも、二人ともほとんど寝ていない。

 それでも、夜を徹して歩き続ける苦労をしてまで、この娘は素姓を探られるのを避けたいのだろうか。

 アヴィアはさっきチェルにセクリートは悪い人ではないと言っていた。それはほんとうの気もちだろうと思う。

 カスティリナもセクリート少年が悪人だとは思わない。むしろ悪いことなど何もできない男の子に見える。

 だが、何かをなし遂げようとしている者にとって、ときとして善良な人が悪人と同じくらいに煩わしいということも、カスティリナはよく知っていた。

 では、アヴィアは何かをなし遂げようとしているのだろうか。

 それはわからない。

 ただ、少なくとも、最初に思っていたような暇でわがままなお嬢様の道楽旅でないのは確かだ。

 「ねえ」

 カスティリナの左前をせわしく歩きながら、振り返らずにアヴィアが声をかけた。

 「二度も起こしてだいじょうぶだった?」

 「それぐらい慣れてるよ、わたしは」

 カスティリナがぞんざいに返事する。

 アヴィアも愛想を見せないで続けて言った。

 「あんたのことじゃなくて、そのさ、あんたの剣のこと」

 「はい?」

 「だからさ、宿に入って、おまつりして、そしたらあの騒ぎでさ、その剣を持って出ていったでしょう? それで、帰って、またお祀りして、それでまた出てきた。その剣にしたら、二度、起こされたことになるよね。それってだいじょうぶなの?」

 「ああ」

 護衛の傭兵の身より、その傭兵が持っている剣のほうが心配なのだろうか。

 軽いひがみを感じる。

 それでカスティリナは正直に答えた。

 「そんなの考えたことない」

 「でも、お祀りしてるってことは、だいじな剣なんだよね?」

 カスティリナは生返事を返す。

 「それはそうだけど」

 「あんたは、さっき、最後までその剣を使わなかったよね」

 アヴィアに言われてびっくりする。

 その通りだ。

 しかし、このお嬢様が、あの場でそんなことまで見ていたとは思わなかった。

 「だって、さっき、相手はわたしが見ただけで十五‐六人はいたよ。入り口のほうで倒れてたのも入れるともう二十人以上。それで、あの男の子、ぜんぜん役に立たないしさ」

 「あの男の子」というのはセクリートのことだろう。

 アヴィアは続けて言う。

 「そんなのだったら、あんたならその剣を使って敵を全部斬り伏せてしまうって思ってたんだ。でも、あんたは最後まで使わなかった」

 そうだ。

 使わなかった。

 「だから、あれだけの敵に囲まれても使わないくらい、あんたはその剣をたいせつにしてるんだって思った」

 「それは」

 「たいせつにしてるからじゃない」と言いかけて、カスティリナは口をつぐんだ。

 アヴィアが振り向く。だからカスティリナは何か言わなければいけないと思う。

 「相手からぶんどったかわりの武器があったしさ。それに、子どもの前でいっぱい血を流すっていやだったんだよ」

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