第19話 子どもらと女の子

 最初は風で祭具さいぐか何かが揺れているのだろうと思った。

 しかしそんな風は感じない。

 空気は重苦しくよどんでいる。ただ空気が淀んでいるだけではない。その淀みの感じを強めている何かがある。

 そして、それは自分の喉から胸あたりを重苦しく押さえつける感じと、どこかでつながっている。

 はっ、とカスティリナは足を踏み出した。

 そこへ左後ろから襲いかかってくる。

 何か大きいものだ。カスティリナは振り向きざまに左の腰の剣にやりかけた手のひじを横にして突いた。

 「おぉぉぉ」

 何か重いものが床をる音がする。

 カスティリナは、半分当てずっぽうに、半分見当をつけて脚で蹴った。

 「うぃっ」

 思った以上の手応えがあり、人間が床の上で寝返りを打つように転がる。

 すかさずつるおとだ。身を伏せる。

 身を伏せたままカスティリナは突進する。かち、と音がした。弾が壁ではね返ったのだろう。そのときには人間の、たぶん男の腹が目の前にあった。腹立ちまぎれに右手で殴りつける。

 「おえっ」ときたない声を立てて男はいしゆみを取り落とした。その顎のあたりに見当をつけて、下から殴りつける。相手はそこに倒れた。

 反対側からさっき蹴飛ばした男が立ち上がり、こんどははっきりと

「うおおっ!」

えてこちらに跳びかかってくる。

 闇の中で短く白く輝いたのははくじんだろう。その流れを見て身をかわす。

 右手で相手を押しのける。からん、ちゃりんと安っぽい音を立てて刀が落ちた。

 そんなものを暗がりに転がしておくと危ない。カスティリナは音を頼りに刀を拾う。

 「あ、あ」

 声がしたので、そのあたりを蹴ると、また手応えがあった。相手は声も出ない。

 カスティリナの靴の靴底の板は鉄の金具で補強してある。男はその鉄の靴で蹴られた。

 気の毒だと思ったが容易に起きられては困る。

 もう一回、力いっぱい蹴ってやる。

 「おい、をつけろ」

 これは宿の女主人を脅していた男の声だ。

 落ち着いている。変事が起こっているというのに。

 カスティリナはぞっとした。

 中の者たちがとうに火を入れて回っているらしい。次々に明かりが増え、神殿のお堂の中は明るくなってくる。

 その明かりで、床に伸びている二人の男の姿が浮かび上がった。

 最初の男は太り気味、弩の男は痩せていて、どちらも気を失うところまでは行っていない。

 カスティリナのいるところは祭壇の後ろなので、祭壇の前にいる者たちからは姿が見えない。

 カスティリナは、いちばん闇の濃い、祭壇の下へと後ずさりして機会をうかがう。

 目の上に、奇妙なかたちの振り子がいくつもぶら下がっていて、それが揺れている。

 振り子が揺れるならばもっと規則的に揺れてほしいと思う。こうばらばらに揺れるのを見ると落ち着かない。

 しかしカスティリナはすぐに気づいた。

 「はっ」と声を立てない分別はある。でも心が乱された。

 振り子などではない。

 さらわれてきた子どもたちの足だ。

 この上に集められ、声も立てられないようにされて、縛られているのだろう。

 男が三人連れでここに入ったことで、さらわれたのがチェルだけでないことは察していた。けれども、足の数を数えると、五人くらいはいるらしい。

 それはそうだ。

 男の要求した一万デナリは安くはない。でも子どもさらいという大きい危険を冒すにしては高くもない対価だ。

 だが、一度に五人なら単純計算で五万デナリ、「取りこぼし」があったとしても三万は入る計算だ。

 「下の上」ぐらいの生活をする庶民の、一年分の収入。

 盗賊団の収入としてはそれでも少ないほうだろうが、バッサスの街で騒ぎになるころには盗賊団はどこか遠くに移動する。そしてまた同じような犯罪を繰り返すのだろう。

 いずれにしても、いまこの人質の子らを助けるわけにはいかない。

 「祭壇の裏だ。探せ」

 男の声がした。

 子どものいるところで人殺しはしたくない。

 カスティリナ自身が最初に人を殺したのは十歳のときだ。

 けっして気もちのいいできごとではなかった。いや、人が傷つけられて死んでいる姿など、できれば思い出から消し去ってしまいたいくらいだ。

 自分で殺した相手なのに。

 しかも、そこでその相手を殺したおかげでいま自分が生きていられるというのに。

 そして、それから何人も人を殺してはいるのに。

 それでも思い出したくないほどいやなのだ。

 だから子どものいるところで人殺しはしたくない。

 ふいに左隣のすぐ近いところで女の子が笑った。

 アヴィアではない。人質の子でもない。

 だれにも見えない。カスティリナにもその姿は見えない。

 ただ、すぐ近くに、その子がいることを感じるだけ。

 内気そうな、笑おうとしても笑い声を立てられないような女の子の、力の抜けた笑い。

 カスティリナのよく知っている感覚だった。

 それにあわせて、カスティリナの右手が左腰の剣のさやにひとりでに近づく。

 だが、すぐにわれに返った。いまは右手にさっきの男から奪った鈍刀がある。

 これでやれるところまでやってみよう。

 精鋭の刀と鈍刀の両方が使えるとき、しかも、こちらが劣勢なときに、まず鈍刀を使うのは愚かな選択だ。それはわかっている。

 だが、それでも抜きたくないのだ。

 この父譲りの名剣「くれないの水晶」は。

 相手が祭壇の右と左に回ってきたのがわかる。

 追い詰められる前に、討って出るしかない。

 右へ出るか、左へ出るか。

 左すぐ近くに迫ったまま動かない内気な少女の気配を引きずったまま、カスティリナはそっと背筋を伸ばした。

 だが、カスティリナが動く前に、思わぬほうで、がた、どすという音がした。

 だれかが転がりこんできたのだ。

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