第17話 望遠鏡
「だったらわたし一人でやる。それだったら、あんたが何もしなかったことにはならない」
カスティリナが言った。
アヴィアは軽く首を振った。
「煙突から出られても煙突から戻るってわたしにはできないもの。それで下から行くとあの見張りに見つかっちゃうでしょ? だから連れて行って。あんたの指図はちゃんときくから」
だったら、アヴィアにはここで待つように指図して、自分だけで行く。そうしようと思った。
だが、アヴィアがほんとうにおとなしくここで待っているかどうか。
それに、この場所が安全な場所かどうかも、土地に不案内なカスティリナにはわからない。
「ほんとにちゃんときいてね。きかないと、あんただけじゃなくて、あのチェル君の命も危ないんだから」
「うん」
「行くよ。なるべく自然に」
「うん」
カスティリナが道に出ると、アヴィアもついて来た。
男の後ろ、家四‐五軒分はあいだを
それでも相手が慣れた軍人や傭兵ならば後をつけられているのに気はつくだろう。
ただ、そう気がついても、後ろを振り返って歩いてくるのが
いちおう路地に下りたところで
戦うとか尾行するとか、そういう人間にはおよそ不似合いな煤けぐあいと薄汚れぐあいのはずだ。たぶん、あんまり裕福でない家で、家事から力仕事までやらされている使用人の小娘にしか見えないだろう。
男は曲がり角でほかの男と合流した。
やはり
歩いている男で三人、ほかに、見張りに立っている者もいるとすれば、誘拐団には十人ぐらいは人間がいると考えたほうがよさそうだ。
このバッサスの街は街道沿いにだけ開けている。そこからはずれた道は寂しく、人通りも少ない。
ここを娘二人でつけていったら、さすがに怪しまれるだろう。
相手は誘拐犯だ。何をされるかわからない。
カスティリナは農家の門口で立ち止まり、その家に入って行く振りをして、入り口の太い柳の木の陰に身を寄せた。
アヴィアは宿に着いてさっさと着替えてしまったけれど、カスティリナは外出着の乗馬服のままだった。ポーチもつけたままだ。そのポーチから取り出したものを見て、アヴィアが驚いて小さい声を立てた。
「それ、吹き矢? それとも新式の
「違うって」
筒を伸ばしながら、カスティリナが言う。
「望遠鏡」
「望遠鏡って?」
学校に行っていてもそれは知らないらしい。
あたりまえだ。
少なくともこんなものがあることを知っている者はミュセスキアで十人はいないはずだ。前にある事件にかかわらなければ、カスティリナもこんな道具の存在は知らなかっただろう。
いま持ち歩いている持ち歩き用の望遠鏡は、その事件の依頼人だった人からお礼にもらったものだ。
「すごく遠くが見える虫眼鏡だと思えばいい。さて、と」
カスティリナが、追っている相手だけではなく、道からも見つかりにくいように柳の老木の幹に身を寄せて、望遠鏡で相手を探した。
アヴィアもいっしょに望遠鏡をのぞくように顔をすりつけるようにして見ている。
望遠鏡に相手の姿を捉えるまで、しばらくもどかしい時が過ぎる。ようやくその姿が映ったときには、男どもはずいぶん遠くまで行っていた。
男どもは何度か後ろを振り返った。
互いに話はしない。振り返るときもばらばらだ。それだけで十分に異様だ。
男どもは、家並みの絶えたところにぽつんと一つ建っている白い建物に入って行った。
カスティリナはしばらく待つ。
初夏になろうというのに、夕方の風は冷たい。
男どもは出てこなかった。あとから同じ建物に入っていく者の姿もない。カスティリナは望遠鏡をしまった。
望遠鏡をはずして見ると、その白い建物は遠く小さく見える。
「行こう。あそこの白い建物だよ」
「でも表から行くと目立つよ」
「裏から回る。いいね?」
カスティリナはアヴィアの返事を待たずに山に分け入った。
藪をかき分けて山の中途まで上る。あとは、藪のないところを選んで、木の根を踏んで行く。
もうアヴィアを止めることはしない。でも遅れても待ってやることもしない。アヴィアが取り残されても大声でカスティリナを呼んだりはしないだろうし、暮れ始めた空の下では黒い服のアヴィアは見つかりにくいだろう。
白い建物が間近に見えてきた。
二人が歩いているのはその屋根よりも少し高いくらいの高さだ。
四角い建物の両側に三角屋根の出っ張り部分がついた独特の形、その三角屋根と四角い建物の屋根がくっついたところには、それぞれ球と
何人かの神様をいっしょにまつった神殿だ。一人の神様をまつる
敷地はそれほど広くはないが、周囲に塀がめぐっている。
「カスティリナ!」
後ろでアヴィアが小さい声を立てた。さすがに音を上げたかと思う。カスティリナは振り向いた。
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