第16話 追跡
部屋に戻って、娘二人でやりきれない時間が続くんだろうとカスティリナは思った。
だが、そうではなかった。
アヴィアは、部屋に戻ると、あの白い
「何やってるの?」
「あの子を助けに行く。早くしないとあの男を見失う」
アヴィアが暖炉のなかにしゃがみこんでまじめに反論している姿は、ちょっと見ただけで噴き出してしまいそうだった。
こんな場合でなければ、だが。
「見張られてるんだよ」
「下からでしょ? 煙突までは見えないよ」
「あんたね」
言ったときには、アヴィアは煙突掃除用の鉄の
「こら」
引きずり戻してやろうと思う。でも、暖炉の灰の中に足を踏み入れるのをためらったぶん、カスティリナは遅れた。
しかたがなかった。
煙突が上のほうで狭くなっていて、
けれどもそうはならなかった。するすると、とは言いかねるものの、ともかく屋根まで上ってしまった。
インクリークでもこの娘は石炭運びの梯子を上がって僧院の屋根に出たのだ。
つくづく屋根に上がるのが好きなんだと思う。
「早く!」
屋根囲いなどついていない。吹きさらしの瓦屋根の上に二人の娘は身を屈め、表の道を見下ろした。
日暮れどきだが、空はまだ明るい。街路には油ランプが灯され始めている。
「あれ!」
カスティリナは顔を少し突き出して道を歩く男を指してから、後悔した。
わからないことにしておけば、アヴィアは動きが取れなくなったはずなのに。
男は
ほかに何人か道を歩いている人はいたが、さっきの声の主にあたりそうなのは、この男のほかにはいない。
宿屋の向かい側のランプの支柱に寄りかかって鼻のあたりを引っ掻いている若者が、男の言っていた見張りなのだろう。賊の見張りとしてはだらけているが、ほかには見張りらしい者の姿はない。
「行くよ」
アヴィアが屋根の端まで行って隣の屋根に
カスティリナが後ろから肩を押さえる。
「跳んだら瓦が落ちて見つかる」
不機嫌に言った。
「行く気があるならついて来て。あと、剣が瓦に当たったら音がするから、気をつけて」
アヴィアが身軽でも、カスティリナが本気を出せば引き離せるだろう。
カスティリナにおいて行かれれば、アヴィアは戻るほかなくなる。
アヴィアを引き離してからどうするかまではカスティリナは考えていない。
考える必要はなかった。
引き離せなかった。
途中の家の屋根で、干し物を取り込みに上がってきた女の人と出会ってしまい、怒鳴られそうになったところを、アヴィアがあの細い小さい声で
「ごめん。ちょっとまずいことやっちゃって、ほんとごめん」
と言ってすり抜けた。女の人はあきれ顔で見送ったが何も言わなかった。服が煤だらけで
この娘はほんとうに貴族なのだろうか?
もしかするとこのアヴィアも自分と同じ傭兵ではないか。シルヴァス局長が自分を試すために雇ったのではないだろうか。
いや、気品があって、美人で、体のこなしも巧くて、力も強いこんな傭兵がいるならば、傭兵仲間の噂にならないはずがない。ともかく局の傭兵たちは噂話は大好きなのだ。
人のいない路地に塀づたいに下りたときには、二人の娘は男よりも少し先回りしていた。
路地からのぞいていると、男がゆっくりと通り過ぎる。
カスティリナはここでアヴィアを止めようと思った。
素姓も目的も隠さなければならない役目を抱えた娘を危険にさらすわけにはいかない。
「ごめん。でも」
男の行方を目で追いながら、アヴィアが先に言った。
「あとでわたしがここにいたことがわかったときに、その宿の男の子が誘拐されたのにわたしが何もしなかったってわかると、やっぱり困ったことになるんだ」
「
カスティリナは常識的な答えをしてみる。
「言っても動かないって脅しじゃないと思う」
そうだろうな、とカスティリナは思う。
そうなると、
状況によっては、人を傷つけても、殺しても、罪に問われない。本来は、傭兵が戦場に出て一人前に戦えるようにするための資格だ。
そして、カスティリナはその免許を持っている。
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